<1・まさか前世は悪役令嬢?>
「さあ行きなさい、水の竜よ!その女をビッショビショのグッショグッショにしておしまい!」
「きゃあああああああ!」
ブリジットがそう命じた瞬間、召喚されたドラゴンは主の命に従った。うまく機能してくれない魔法の杖を持って右往左往していた少女を目がけて、思いきり水流を吐き出す。
あっという間に、ブリジットと対峙していた少女は、その藍色のドレスにいたるまで全身ズブ濡れになってしまった。
「おーっほっほほ!ざまぁないわね、杖が故障でもしたのかしら?反撃もできないなんてなっさけない!」
無様に草叢に尻もちをついた少女を嘲笑うブリジット。まあ、彼女と自分が魔法で手合せをするように仕向けたのも自分だし、彼女の杖を不良品(遠距離射程の魔法が発動しないやつ)にこっそりすり替えたのも自分なのだが。
全てはこの伯爵令嬢、ブリジット・オーモンドの邪魔をするこの女が悪いのだ。低い身分出身のくせに両親に取り入り、メイドのくせに随分綺麗なドレスを与えて貰った上、自分の想い人であるアランを横取りしようとしている。こんな腐った性根の女、その気がなくなるまで根性叩き直してやらなければ気が済まない。
モンスターがうようよするこの世界で、魔法や戦闘技能を学ぶのは貴族ならば当然の務めである。だから自分が、この女に“生き残る術”を教えてやるという名目でびしばし鍛えてやることに何の問題もないのだ。むしろ、労働階級の女を相手にそこまで世話をしてやる自分のなんと優しいことだろう。愛の鞭であって、非難されるいわれなどないのである。それが多少こちらに有利な勝負であっても関係ない。あくまでこれは、“突発的なトラブルにも対処できるように”と自分がこの女のために手間暇かけてやったという、それだけのことなのだから。
「あら、泣くの?泣いちゃうの?わたくしがせっかく魔法の手ほどきをして差し上げているのに、まさか自分が苛められてるだなんて思ってたりなんかしないわよね?」
にやにやと笑いながら少女――ロミーの顔を覗きこんでやる。次の瞬間。
「……雷よ!」
「!」
突然、小さな稲妻が走った。ブリジットはぎょっとして一歩後ろに飛びのく。直前に、目の前で膨れ上がった魔力に気づかなければ避けることなどできなかっただろう。
――こいつ……!
見ればロミーが、不良品の杖を握りしめ、こちらを果敢に睨みつけているではないか。びしょ濡れで、髪の毛ぐしゃぐしゃ、ドレスは草まみれ泥まみれの酷い姿であるにも関わらず。
「遠距離は、無理でも。近距離魔法なら、当たります、お嬢様」
「……いい度胸してるじゃないの」
なんと忌々しい女であることか。そう思いつつも、どこかで気分が高揚している己がいた。ブリジットは己の杖を握り直し、高々と笑い声を上げたのだった。
「ふふふふふ!そうね、それくらい威勢が良くなくっちゃ、こっちも面白くないわ!」
自分の目の前に、よりにもよって恋敵として立ちはだかったのだ。簡単に折れてくれてはつまらないというもの。杖をくるくると回し、ブリジットは次の魔法の詠唱を始めたのだった――。
***
――……うっそやん?
バリバリバリ、という雷が落ちるような音の後。突然脳裏に蘇ってきた記憶に、毒島あやめは唖然とさせられた。
「あやめちゃん、どうしたの?」
学校に向かう通学班の途中。唐突に立ち止まったあやめを気にして、一番前を歩く六年生の少女が振り返る。まずい、流石にこの状況は不審がられてしまう。あやめは無理やり笑顔を作った。そして、精一杯“小学校二年生の少女”らしい言動を心がける。
「う、ううん!何でもないの、ミドリちゃん。ちょっと思い出したことがあっただけだから」
「思い出したこと?」
「あー、わかった。毒島お前、宿題忘れたんだろー!」
「誰かさんと一緒にしないでくれる?私は毎日出された宿題は当日のうちにちゃーんとやってるんだから」
この野郎、とここぞとばかりからかってきた同級生の男子を睨みつけるあやめ。と、同時に、今の物言いはちょっと大人っぽすぎるかもしれないと反省する。今日までも毒島あやめ、の記憶も人格も自分にはちゃんとあるのだ。そのキャラクターを可能な限り保つ努力はしなければならない。そうちょっと生意気で、ちょっと勝気な――お世辞にも美人とはいえない、ぽっちゃりでチビな女の子の性格を。
――マジなのこれ。ほんっとにマジ?ありえない……。
どういうきっかけで、ビジョンが降って湧いたのかはわからない。ただ、あやめはたった今見たそれが、己の前世の記憶だという確信があった。あまりにもリアルすぎるのだ。魔法を撃ち放つ感触、メイドの少女を苛めていた言動と感情、そしてとある貴族の青年に向けていた恋心など全てが。
現代日本の知識、近代理性、そして大好きなライトノベルやマンガの知識と照らし合わせてみれば一目瞭然である。
どうやら自分、前世はいわゆる“悪役令嬢”というものだったらしい。それも、最近よくある“一般人が悪役令嬢に入っちゃった”的なガワだけのものではなく、ガチで正ヒロインをいじめて恋人を奪い取ろうと目論んでた系の悪役令嬢だ。いじめのテンプレートはひとしきり披露し、彼女を魔法の訓練と称していじめぬいた上で片思いの青年悪評を流し――残念ながらそれを見抜かれて絶縁を言い渡され、がびーん!となったところまでは覚えている。その後の記憶がおぼろげだが、多分テンプレ通りに悪行がバレて家を追い出されるなり、一人寂しくババアになるまで生きるなりしたということなのだろう。
――よりにもよって悪役令嬢……ずっとお姫様系、溺愛される系ヒロインに憧れてたのにうっそやん……!
あやめが心底ショックを受けている理由は二つ。
一つは、よりにもよって自分の前世が、ずっと憧れてきた正ヒロインではなくその正ヒロインをいじめぬく悪役令嬢の方であったこと。しかも記憶が蘇った今、ブリジットの行動をけして非難できないばかりか、“だってわたくしは悪くないですもん!”と堂々と居直る彼女が確かに自分の中に存在していること。
もう一つは。多くの悪役令嬢がそうであるように、ブリジットも見た目で言えば絶世の美貌を持つお嬢様であったということ。にも拘らず、現世の自分は“チビ”“デブ”“ブス”と三拍子揃っている上、性格を含めた中身のスペックもお世辞にも高いとは言えないということ。要するに、よりにもよってモブとしか思えない見た目なのである。昔からお転婆でやたら気が強いのもそうだし、運動神経や勉強もけして出来る方ではない。何でよりにもよってあのブリジットが転生したら、こんな残念スペックの少女に生まれ変わってしまったのだろう。せめてブリジットの半分程度でも顔面偏差値が高ければ、人生大きく変わっていたかもしれないというのに。
――ブリジットの記憶のせいで、多少テーブルマナーとか英語とかの記憶は思い出したし、それに関しては役立つかもしんないけど!……ああ、でも、それ踏まえてもショックが大きすぎる。なんでこの私が、こんなひっくいスペックの女の子に転生しなきゃいけなかったのよ……。
それともあれか。前の世界で悪行を重ねすぎて、神様から罰が下ったとかいうあれなのか。それにしては地獄行きじゃなくて現代日本に転生になっているあたり、微妙に裁定が甘い気がしないでもないが。
――記憶を取り戻したんだから、多少魔法とか使えたりしない?無理?
住宅街を歩いて学校へ向かう道すがら、ちらりと設置されているカーブミラーへと視線を向ける。そこには鼻もぺたんこ、ほっぺがぷっくりと膨らんで、やや三白眼気味のお世辞にも可愛いとはいえない少女の顔が映っていた。相手をよく観察しようとすると、つい睨んでいるような目になってしまうのもきっとマイナスポイントなのだろう。仮に魔法が使えたところで、どう見ても魔法少女なんてガラではない。なんせ、世間一般の魔法少女ときたら、可愛らしいロリか圧倒的美貌のお姉様と相場が決まっているのだから。
――何も思い出さなきゃ、良かった。
ずずん、と一気に気持ちが沈んでいく。
――そうでなきゃ、今の自分のカオがここまでブスだってことにも、気づかないで済んだかもしれないのに。
ひょっとしたら、毒島あやめの顔は平均よりちょっと下かも、程度なのかもしれない。実際、お笑いタレントやクラスメートの中には、もっと凄い見た目の女子なんかいくらでもいるのだから。
それでも人間というものは、ものを比較で見てしまうイキモノなわけで。ブリジットであった頃、己の優秀な運動神経、マナー、堪能な語学力、そして美貌を自慢にしていた身としては、現在の己の全てに失望してしまうのも無理からぬことなのである。
ひょっとしたら、記憶を取り戻したのも偶然ではなく、そうやって適当なタイミングで全部を思い出させて反省させようという神様の目論見なのかもしれなかった。なるほど、それなら罰として良くできてはいる。皮肉なほどに。
――こんな気持ちを抱えて、一生生きて行かなきゃいけないわけ?マジサイテー。ありえない。
ああ、都合よく前世の記憶を消したい。あるいは整形したい。小学二年生にして、あやめは心の底からそんな風に思う羽目になったのだった。
果たして、自分の数奇な運命が、誰の差し金であったのかはわからない。
あやめは小学二年生で、前世の記憶を取戻し、元の人格とブリジットの性格をまぜこんで、やや鬱屈した気持ちをためこんだまま成長していくことになる。ちょっとだけ使えることが判明した、魔法の力を隠した上で。
きっと自分の人生に、明るい光など差し込むことも、面白い刺激もないのだろうと思っていた。
そう、高校一年生になるまでは。
――は……はああああ!?
あやめは心の中で、すっとんきょうな悲鳴を上げることになるのである。
音藻高校、一年三組。そのクラスに、まさかのまさかでとんでもない人物がいたからだ。
――う、う、うっそぉ……?
眼鏡をかけ、ややうつむきがちに座っていた少女。雰囲気はかけ離れているが、見間違えるはずがない。
ロミー・ガースン。
前世で自分がいじめ抜き、そしてどこまでもライバル視していた“ヒロイン”――彼女と瓜二つな人物が、クラスメートの中に存在していたのである。