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事故物件に引っ越した友人が幽霊と友達になっていた

作者: やまおか

 わたしの唯一の霊体験は友人の家でだけだった。

 その友人というのがアキコというのだが、少し変わった性格をしている。

 どれだけ変わっているかというと、幽霊と友達になったらしい。

 

 彼女が幽霊と出会ったのは、とある事故物件を借りたことがきっかけだった。

 

***

 

 夜の二時過ぎ。多くの人が寝静まっている時間になると、決まってそれが来る。

 

 カタン。

 

 ドアポストが立てた音の後に軽いものが落ちた音が聞こえた。

 これで何度目だろう。もう1ヶ月以上続いている。それでも慣れて気にならなくなるなんてことはない。

 

 アパートの錆びた郵便受けに封筒が入っているのを見るたびに、嫌悪と恐怖が同時に襲いかかってくる。

 封筒の表には何も書かれていない。郵送されたものではなく誰かが直接持ってきている。

 

 中身は写真だ。写っているのは私の横顔や後頭部。正面から撮られたものは一枚もない。

 

 初めはただのいたずらだと思った。

 警察にも相談した。周囲のパトロールを強化してくれるといったが、あまり当てにはできなかった。

 なるべく人通りの多い道を歩き、夜間の外出も控えた。

 

 その日、届いた写真には私は映っていなかった。だけど見覚えがあった。私の部屋だった。

 

 すぐに引越しを決めた。

 何故、自分がこんなことをしなければいけないんだと理不尽さに憤った。しかし、これでもう悩まされなくて済むとも思った。

 だけど、その安心が続いたのは三日間だけだった。

 

 会社からの帰り道をつけられていたらしい。すぐに新しい居場所がばれていた。

 

「お願いします。どんな物件でも構いません」

 

 不動産屋に駆け込んで、発した第一声がそれだった。

 このときの私は追い詰められていた。

 とにかくあの場所からすぐに逃げなければいけなかった。

 事情を話し、今日明日にでも引っ越せる部屋を探してもらった。

 

「一つあります」

 

 提示された物件の情報を見ていぶかしんだ。都内のそれも駅に近い2LDKのマンション、敷金礼金なし。家賃も相場より数段安かった。

 

「正直に言いますと、あまりおすすめできる物件ではありません」

 

 いわゆる事故物件だった。

 中にはそんなことを気にせず住む者もいて、何人かが借りたらしい。しかし、彼らは一ヶ月もたたずに部屋を出て行った。

 

「いいです。そこにします」

 

「本当に大丈夫ですか?」

 

 お祓いや供養も試したが効果はなかったらしい。それでも、何をするかわからない人間よりも幽霊のほうがましだった。

 

 夜逃げ同然の慌しい引越しを終えて、ダンボールだらけの部屋を見回す。

 腰を落ち着けようとしたところで、突然の電子音にびくりと体が反応する。スマホに表示された名前を見てほっと息を吐く。

 

『引越し大丈夫だった?』

 

 引越しすることを伝えた数人の一人、友人のミチルだった。彼女とは小学校からの友人で、高校まで同じだった。

 卒業すると私は専門学校、ミチルは大学に進んだ。

 私が二年早く就職すると一時期離れていたが、彼女も卒業後は都内に住みはじめ、月に2、3回会っていた。

 

 今の状況を相談もしたところ、自分のアパートに来るように誘ってくれた。

 だけど、もしも彼女を巻き込んでしまったらと想像すると怖くなった。引越しの手伝いも断った。

 

『安くていい部屋も見つけたんだ。掘り出しもの見つけられてラッキーだったよ』

 

 ひとしきり話してから通話を切る。彼女の明るい声を聞いていると安心できる。

 とりあえず、引越しでほこりをかぶった体をキレイにしたかった。

 

 バスルームを見てへえと感心する。さすがに立地のいい場所に建つマンションだけあって、広さも造りも段違いだった。通常の家賃だったら、とてもじゃないが私の給料じゃ住めないだろう。

 

 シャワーからの温かい湯が体を打つ心地よさを楽しんでいた。泡を洗い流してお湯を止めてから、正面の鏡を見た。

 

「……まさかね」

 

 もちろん、そこには自分の顔が写っているだけ。そう思った。

 

「あれ?」

 

 鏡の隅に視線を向けた。手形がついていた。

 そんなとこに手をついただろうかと首をひねりながら、跡が残らないようにお湯で流しておいた。

 さっぱりした気分でバスルームを出る。頭にタオルを巻きながら寝室の前を通りかかると、また違和感。

 

 クローゼットが少しだけ開いて隙間ができていた。まだ服はダンボールにいれたままで、クローゼットを開けた覚えはない。

 

「う~ん、まあいいか」

 

 今度こそきっちりと閉めておいた。

 軽めの夕食を済ませて、慌しい一日が終わった。

 ベッドに入り、明りを落とすとすぐに眠りに落ちることができた。

 

「…………」

 

 目を開くとそこには真っ暗な天井。

 時計を見ると午前二時。

 まただ、と思った。

 この時間になると、またあの音が聞こえるんじゃないかと目が覚めてしまう。

 

 最近は熟睡することができなくなっていた。

 寝ようと思えば思うほど眠気はやってこない。

 もういいやと体を起こそうとした。

 

 あれ?

 

 体がベッドに縛り付けられたように動かない。声もだせない。

 金縛りだった。仕事で疲れきったとき同じようなことがあった。ほっとけばそのうち治るだろうと部屋のあちこちを眺めていた。

 

 そして、違和感。

 またクローゼットに隙間ができていた。

 それは現在進行形で開いている。

 すすすと滑って、ちょうど人間ひとり分が通れるぐらいの隙間が開いたところで止まった。

 

 何かがいる。

 

 暗闇の奥。暗くて見えないはずなのにわかった。

 人間の形をしたなにかがじっとこちらを見ていた。

 

 その影は髪の短い女の人の輪郭をしていた。

 彼女は何をするわけでもなく、ただじっとこちらを見ていた。

 

 

 気がつけば朝になっていた。

 ひさしぶりの睡眠に体が軽い。体を起こして両手を伸ばす。日の光の下でクローゼットの隙間に目をむける。目が合った。じっと見ているとふっと姿が消えた。

 

 パジャマのまま寝室を出ると、トーストをもそもそとほおばりながら時計を見る。

 朝の九時。今日は月曜日。いつもなら会社にいるはずの時間だった。

 

 会社は辞めた。

 ここが最後の砦だ。

 

 朝食を済ませると寝室に戻った。

 また視線を感じた。

 どうやらあのクローゼットが彼女の居室らしい。ずっと同じ場所にいるわけではなく、風呂に入っていると戸の擦りガラスにこちらを見ていることもあった。

 

 もちろん、怖いのは怖いし不気味である。

 しかし、姿を見せるだけで何かをしてくるわけでもない。

 

 ピンポーン。

 

 インターホンのモニターにゆっくり顔をむける。カメラには買い物袋を下げた友人が映っていた。

 

「元気してる?」

 

「うん、まあまあかな」

 

「ほしいものあったらいってね。一緒に買っとくから」

 

 部屋に通したミチルから買い物袋を受け取った。

 外にでることが怖くなって以来、ネット通販で済ませられるものは宅配で頼んでいた。

 しかし、それ以外の細々としたものは月に数回、時間の都合がつくときミチルに買ってきてもらっていた。

 

『あなたが悪いわけじゃないんだから』


 彼女はそう言って助けてくれる。

 

「本当にいい部屋だね。事故物件っていっても全然変な感じしない」

 

 ミチルは興味深そうにあちこちを視線をむける。それから、少し不安そうにこちらを見る。

 

「やっぱり、出るの?」

 

「うん、今もいるよ」

 

「ほんとに? 見て回ってもいい?」

 

 頷くと彼女は宝探しをするように家の中を見て回る。その様子は少し子供の頃を思い出させる。

 やかんの沸騰する音がして、台所にお茶を入れにいった。

 

「うひゃあああ!」

 

 カップを用意していたところでミチルの悲鳴が響いた。びっくりして見に行くと、顔を青くしながら廊下に続く扉を指差していた。

 

「あー、こっち見てたんだね。お客さんが珍しかったのかな」

 

「な、なんで、あんた平気なの!?」

 

「私も最初はびっくりしたよ。でも、何もしてこないし」

 

「はぁ……、昔っから妙なところで肝が据わってたけど、ほんとに変わってる子だよ」

 

「そんなこといったらミチルだって」

 

 はじめて知り合った頃、小学生だった彼女は内気な子だった。だけど、中学に上がると率先してみんなの前に立つようになった。

 友人のグループができるとみんなを引き連れていくのは彼女で、突然に言い出したことでみんなを引っ張っていった。

 そんな友人の変化がうれしくもあり、うらやましくもあった。

 

 楽しかった頃を思い出して少しだけ口元が緩む。

 

「新しい環境で少しは元気になったみたいだね。よかったよ」

 

「そうかな?」

 

「でも、幽霊がいるところで元気になれるのなんてあんたぐらいなもんよ」

 

「それはそうかも」

 

 少し笑いあった後、お互いに黙った。静寂だけが部屋に残った。ミチルは口をつぐんで私をじっと見ている。何かいいずらいことを口にするときの彼女の癖だった。

 

「……あのさ、まだ外にでるのは無理そう?」

 

 部屋に侵入した写真が証拠となり犯人は捕まったとは聞いていた。

 

「ごめん、ミチルに迷惑かけてるよね」

 

「そうじゃなくて、例えば散歩に出かけたりとか好きな店にいったりとか。ずっと部屋の中にいたら腐っちゃうよ」

 

 以前、一人で外に出ようとしたことがあった。だけど、なぜだか足が扉の先から前にすすまなかった。無理に出ようと一歩踏み出したら、それだけで平衡感覚を失ったように立っていられなくなった。

 

「まだ、ちょっと怖いんだ」

 

「……そっか。また何か必要だったら言ってね」

 

 まだ何か言いたげな顔だったが彼女は帰っていった。あとには一人きりになった寂しさが残った。

 

 ベッドの上で猫のように体を丸める。

 時間がたっても、ミチルと別れ際にした話ばかりを考えていた。

 外に出ることを止めてからは、ただ横になって静かにしているだけというのが生活の中で多くの時間を占めている。

 

 窓から差し込んでくる日の光を受けていると、まるで自分が植物になったようだった。葉を広げて、憎しみも何もない世界の住人になれたように思えてくる。

 

―――視線を感じた


 クローゼットの方を見ると、わずかに隙間が開いている。

 

「…………」

 

 部屋の中には静寂があるだけだ。

 今の状況が異常だということはわかっている。

 たぶん私は意地になっているのだと思う。ストーカーのせいで引越しを強いられ職も失った。

 今度は幽霊に部屋を取られるなんて我慢ができなかった。

 

 

 朝おきると、掃除機を手に掃除を始めた。それは名前も正体もわからない幽霊への牽制。

 

 ピンポーン。

 

 インターホンの音にびくりと体がすくむ。カメラにはダンボールを抱えた宅配会社のお兄さんが映っていた。

 

「こんにちは、お届け物で―――」

 

 ドアを開けると、笑顔だったお兄さんの顔が急に凍りつく。その視線は私の背中を通して部屋の中に向けられていた。

 後ろを振り向くと、影が部屋の中にひっこんだ。

 

「それじゃあ、どうも……」

 

 荷物を受け取ると逃げるようにお兄さんは帰っていった。

 バタンと扉の閉まる音がすると影がこちらの様子をうかがっていた。顔は見えないけれど、いたずらがばれてばつが悪そうな子供のように見えた。

 

 

「ねえ、まだいるの?」

 

 ミチルは家に来ると最初にそう聞いてくる。もちろんうなずく。彼女は昼となく夜となく視界の端でうろついている。

 

「幽霊と一緒に住めるなんて信じられない」

 

「そうかな? 私にとっては外の方がこわいよ」

 

 家の中ならば何があって誰がいるかは決まっている。それが外に出るとまったく未知の世界だ。

 すれ違う人間、通り過ぎる車、それらがいちいち怖い。

 

 ミチルが立ち去った後、家の掃除をはじめた。

 やることもなくいつもで家の中はぴかぴかになっている。

 時間がたった後でも彼女と別れ際にした話ばかりを考えている。私は家から出たくないと思っている。

 ミチルの言うとおり少し考え方を変えれば問題ないのかもしれないが、気が乗らない。

 

『ストーカー被害に会って家から出られなくなるという方は大勢います。相談でしたらいつでもいらしてください』

 

 書類手続きのために署を訪れたとき、担当してくれた婦警はそういった。私もその一人なのだろう。

 

 家の中でじっとしていれば、家が殻になって外と内を隔ててくれる。

 誰かに出会って、喜んだり悲しんだり、傷つくのはくたびれる。それならいっそ最初から一人の方がいい。

 例外的に正体不明の幽霊もいるが、いついるかわからない存在だ。いずれミチルも自分のそばからいなくなるだろう。自分が外に出ないのを内心いらだっているのをわかっていた。

 

 

 その日、ミチルと静かなケンカが始まった。

 始めはいつもどおりのたわいないおしゃべりからだった。

 だけど、この日の彼女はいつもと違っていた。私も意地になっていた。

 

「でも、外に出られないと困るでしょ。ちょっとずつでいいから練習していこうよ」

 

「食料なら配達で頼めるし、外にいく用事なんてない」

 

「それじゃあ、一生この中にいるつもり?」

 

 ミチルの問いかける声が鋭くなる。

 笑みを浮かべようとしているが、その瞳は真剣だった。

 

「外へ出ても何もない」

 

「あるよ」

 

「ないよ」


「そんなこと―――」


「だって、私はミチルみたいにはなれない」

 

 ミチルの言葉をさえぎって言い放つ。私をじっと見てから無言で立ち上がった。


「もういい」


 それだけ言い残して去っていった。

 

 テーブルには二人分のカップが残されている。ぼんやりとながめながら立ち尽くす。

 片付けなきゃいけない。のろのろとカップを持ち上げようとしたけれど指先から滑り落ちた。

 

 カシャン。

 

 床の上ではじけた破片が散らばる。

 大きな破片をとって、それからほうきで集めなきゃ。

 そこまで考えたとき、耐えられなくなった。

 

 いつのまにか、寝室に走りベッドの中に入っていた。

 

 朝日が昇り、昼になっても寝室に引きこもっていた。

 目が覚めてもすぐに体を起こす気力は湧かなかった。遅かれ早かれミチルとは別れるというのはわかっていた。これまで彼女だけが外界とのつながりだった

 それが消えて、本当に私は一人ぼっちになった。

 ずっとここで一人で過ごさなければいけないのだと思うと唇が震えた。


 だけど、自分ではない誰かの視線はずっとそこにあった。

 ベッドに寝そべりながら、クローゼットには開いたわずかな隙間をぼんやりと見ていた。その暗闇を見ながら私はいつも死をイメージしていた。もしも、祟られたりしたら、それでもいいと思っていた。

 

「……あの子はミチルっていって、小学生の頃からの友人なんです」

 

 返事はない。

 だけど、そのまま話を続ける。

 

「私は彼女の話を聞くのが好きなんです」

 

 彼女が語る内容は自分とはかけ離れた世界のことのように思えた。

 大学の頃の話はいつも楽しげで、働き始めてからは愚痴も増えた。だけど、ひとつひとつの話から想像する彼女の姿はいつも輝いていた。

 

「私は不器用な人間でした。一つのことにだけ集中するのが得意で、幸い好きなことを仕事にすることができました。だけど、その仕事も辞めてしまいました」

 

 彼女の存在を感じながら話せることが妙にうれしかった。おかしなことだと思う。相手は幽霊で勝手に家に住み着いていた正体不明の存在なのである。

 

 ストーカーが怖くて、外に出るのも嫌だった。だからといって部屋で一人でいると心細い状態だった。

 そんなときに自己主張が激しい幽霊の存在に安心していた。驚いたことはあっても怖いと思った記憶はない。

 

 ああ、そうかと納得した。

 これまで自分を支えていたものが崩れた気がした。

 

 一人で生きていけるなんていうのは、嘘だ。

 

 さっきまで苛立って黒いもので心の中をいっぱいにしていた。硬くとがって心を突き刺していたのものが抜けた気がした。

 もう恐怖や不安ばかりではない。少し余裕も生まれた。

 

「ありがとう、話を聞いてくれて」

 

 クローゼットの奥に語りかけるとスマホをとった。

 

 ミチルにあやまろうと思った。

 『私はあなたみたいになれない』

 なんて無神経な言葉なんだろう。彼女は今の自分になるためにたくさんの努力をしたはずだ。

 私は人生のなにもかもを諦めようとしていた。

 

 電話の呼び出し音が響く。

 数秒のことだろうけどとても長く感じられた。呼び出し音が消えて相手につながった。

 

「ミチル、昨日はごめんなさい。話がしたいの」

 

 受話器の向こうで相手が沈黙する。返事はないまま通話が切れる。

 

 再度電話をかける。

 

「お願い、話を聞いて!」

 

 また切れる。どうやって彼女にあやまればいいのかわからなかった。

 

 会おう。そう決めると、上着をはおって玄関に向かった。

 外へ出ようと玄関の扉の前に立つ。ドアノブをひねった。とたんに冬の冷たい風が頬の熱を奪う。

 

 後は外に出るだけ。いままで何千回とできたはずのことだった。

 だけど、一歩が踏み出せなかった。靴の裏側が地面に接着されているようだった。

 

 怖い。

 

 心の中でずっと警報が鳴り響いている。

 うつむいていると、すぐそばで気配がした。

 

 彼女がすぐそばにいる。そのことに気がついたとき左手をつかまれた。これまでその存在を感じることはあっても、近づいてくることはなかった。


 彼女はどうしてここにいるのかと考えることもあった。きっと、ここに住んでいたのだろう。どんな風に暮らして、何を考えていたのか。

 しかし、それは彼女自身に聞かなければわからない問題だった。

 

 ぼんやりとした影が先に外に出た。どうしてという疑問はある。だけど、その意図はわかった。

 手に感じる冷たさに飛び乗るように足を前に出した。

 

***

 

 引きこもっていたアキコが家に来たときはとても驚いた。

 仲直りはすぐだった。元々彼女にはそんなに怒っていなかった。何か変わるきっかけになればいいと思ってやったことだった。

 

 どうしてこんなことを今更思い出しているかというと、つい先日アキコの引越しが終わったからだった。

 

「はい、新居と新しい仕事が決まったお祝い」

 

 そういって彼女に包みを渡すとありがとうと受け取る。その表情は生気に満ちていた。家に引きこもっていたときは青白く透けるようだった肌も健康的な色に戻っている。

 

「今度の部屋はどう?」

 

「うーん、前のマンションに比べると手狭に感じちゃうなぁ」

 

 彼女の言い方にほっとする。

 あの部屋の賃貸情報を検索すると、家賃や初期費用も相場どおりになっていた。事故物件をにおわすような表記もない。

 彼女が3年も住めたのだから何もないと不動産屋も判断したのだろう。

 

「やっぱり、あの広さであの値段は事故物件ならではだよね。さすがに今度の部屋は出たりしないよね」

 

「うん? 彼女なら、今もいるよ」

 

「え……?」

 

 至って普通に答えたアキコに聞き返す。

 

「まだ姿見せるの? いや、それよりもついてきたってことでしょ。それやばくない?」

 

 矢継ぎ早に質問するわたしの前で、相変わらずアキコはのんきな笑顔を浮かべていた。

 

「私が誘ったんだ」

 

 引越しの準備のために荷物をまとめていると、閉じたはずのダンボールが開けられていたらしい。

 今まで悪さも悪戯もしてくることもなかったから、彼女も困ってしまったらしい。

 

『私はこの部屋から引っ越さないといけません。あなたにとってここは思い入れのある場所だと思います。それでも、よければ一緒に来ますか?』

 

 そういった次の日から荷物は荒らされなくなったらしい。これでアキコの人生に何かしら影があるなら取り憑かれたと思っただろう。

 

 だけど、それからの彼女の人生は順調そのものだった。

 

「たまにしつこいセールスがくると追っ払ってくれるんだ」

 

 そういってうれしそうに笑うのを見て、やっぱり彼女には敵いそうもないなと思った。

 

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― 新着の感想 ―
[一言] うわぁ、とても良かったです!
[良い点] よかった、幽霊はちゃんと幽霊だった。 実は生身のストーカーだったらどうしようかと。
[一言] こういう短編大好きです
感想一覧
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