16.機密事項
その日は朝から城の内部が賑わしく浮き足立っているような気配が感じられた。すでに絶大なサイモンの信用を勝ち得ていたフレデリックだったが軍の重要機密についてはサイモンの口は堅かった。軍部はサイモン元師を筆頭に以下制服軍人である幹部連中はフレデリックに対し広報という役目は認めてはいたもののあくまでスポークスマン的立場にしか過ぎないことを日々強く態度に表した。「実務を動かしているのはあくまで俺たちなのだ。」力で牛耳ってきたものの押し付けがましい圧力的な態度にもフレデリックはいやな顔ひとつせず日々対応していた。
城の地下部分には何かの研究所があることはうすうす感ずいてはいたがそれが何を研究しているものなのかフレデリックは未だに知ることはなかった。
いつもより警備体制の人数が多く兵士の武器や身に着けているユニフォームも戦闘態勢に近いものがあり明らかに日常とはかけ離れた雰囲気が立ち込めている。フレデリックは部屋から外を見渡していたが一向につかめない状況に少し苛立ちを感じていた。その時フレデリックの携帯が机の上で音を立てた。あわてて携帯を手に取ると発信先はサイモンからだった。即座に応答するフレデリックに聞きなれたサイモンの低い声が聞こえた。
「フレデリック太子。お目覚めですかな?」
フレデリックは不吉な予感が大きくなるのを感じていた。
「おはよう。サイモン元師。」
気づかない振りをするのもしらじらしいと思ったフレデリックはあえて今日の城の様子をサイモンに伝えた。
「なにやら城内がザワついているようだが・・・特別なことでも?」
「くっくっ」
と地の底から湧き出てくるような低いサイモンの笑い声が受話器の耳元から聞こえてくる。フレデリックは思わず身震いをした。
「おおさすがでございますな。フレデリック太子。本日私は非常に機嫌がいいのですよ。太子が日ごろ軍の評判を上げる事に大層ご尽力いただいていることの感謝の意を込めまして本日取っておきのショーを太子にお見せしようとご連絡申し上げた次第です。」
フレデリックは熱くもないのに自分の首の後ろから汗が流れ出るのを感じていた。まるで後ろに逃げ道のないしかし目の前には暗闇の中断崖絶壁の崩れそうな細い道が一本フレデリックの目の前に続いているそこを渡るしか自分の望むものを手に入れる術はない。解ってはいるが今がまさにその渡り始める瞬間なのだと自分に言い聞かせ唾を飲み込む音をサイモンに聞かれないようにするのが精一杯だった。めずらしく浮かれ調子のサイモンは早口に続けた。
「よろしければ私の部下がお迎えに参ります。どうかご一緒におい出てください。お待ち申し上げておりますよ。フレデリック太子。」
フレデリックの答えを聞く事もなくサイモンは通話を切ってしまった。「ツーツー」という発信音を耳にしながらフレデリックは携帯をテーブルに置いた。
窓の外に目をやると城の内外をバイカーに乗った兵士がめまぐるしく行き交っていた。城内も一層のあわただしさを増しているようにフレデリックには感じられた。
やがてサイモンの部下に案内されフレデリックが今までに見たこともないような地下の研究室へ通された。フレデリックはガラス越しにその研究員たちを眺める部屋に通された。
「こんなにも大勢の研究者たちが働いていたのか・・・」
最初にフレデリックが感じたのはその研究所の広さと人数の多さだった。ざっと見ても五十名近くの研究員たちが半透明な特殊ビニールのようなユニフォームで全身をすっぽりと覆い隠し顔には宇宙服のような丸いヘルメットをすっぽりとかぶり忙しく動き回っている。
フレデリックがガラス越しにその様子を眺めているとサイモンが奥の部屋からやってきた。手招きをしながらフレデリックに近づいてくるその顔は今まで見たこともないような上気した表情を浮かべていた。サイモンはいつものようにフレデリックに恭しく膝を付き敬礼すると時間を惜しむようにフレデリックの肩を抱いて奥の部屋へ案内した。
「さあさ太子こちらですよ。」
二つの部屋と円筒形の通路を通りすぎるといつの間にかフレデリックとサイモンの二人きりになっていた。三つめの部屋を通り抜けると厳重すぎるくらいの分厚い銀色をした楕円形のドアが目の前に現れた。扉の上部には数字のテンキーのような鍵がついていた。そこにサイモンが何か打ち込みさらに自分の網膜をスキャンさせると音も立てずにその楕円形のドアが開いた。
「ようこそ夢幻の館へ・・・」
サイモンがフレデリックを招きいれる姿勢をとりながら先に室内に入る。フレデリックは胸の鼓動が早くなるのを感じていた。おそるおそるサイモンに続いて室内に足を踏み入れる。薄暗い室内に目を慣らすまでには少し時間がかかった目が慣れると同時に部屋の奥に三m近くある卵型のボウッと淡く輝く水槽のようなものが目に入ってきた。手前から奥へ何台あるのだろう?フレデリックは足元を確認しながらゆっくりとその輝く最初の水槽の方へ歩を進める。
その最初の水槽の中を確認できる位置に立った時フレデリックは息が止まるかと思うほどの衝撃を受けた。思わず駆け寄りその水槽に両手をつけ眼を見開いてその中のものを確認する。水槽の中には一杯に張られた水の中に少女が浮かんでいた。
(これはあの森の中で会った少女ではないのか!)
言葉にならない衝撃でフレデリックはその水の中に浮かんでいる少女をじっと見つめるしか術がなかった。少女は全裸で両手を胸の前で祈るようにクロスし首をかしげてうつむき加減で眠っているよう浮かんでいる。水の中銀色の髪の毛が藻のようにゆらゆらと揺れ少女を守り包んでいるようにも見える。頭部後方には器具が取り付けられそこから水槽の外部へと何本ものラインが伸びていた。脊髄の辺りにも一本太いパイプが取り付けられそれも水槽の外部へと続いている。フレデリックは自分の汗で着ているものが背中に張り付くのを感じながら言葉ならない感情を押し殺すので精一杯だった。
(いや違う。面差しは似ているがあの少女より大人びてみえる。)
フレデリックがそう心の中でつぶやいた時サイモンが後ろから声高にフレデリックに話しかけた。
「いかがですかフレデリック様。これが何かお解りか?いや初めて見られるのですからお解かりにならなくて当然です。これは我々が長い時間と労力をかけ研究しているヤマトという民族のミコというものです。」
フレデリックは振り向くことが出来なかった。というよりそのミコとよばれる水槽の女性から目を離すことが出来なかった。両手を水槽に押し付けたままフレデリックはつぶやいた。
「ヤマトの・・・?」
「まずはご覧あれというところですかな?」
そう言うとサイモンは自分の背面上部にあるガラス張りの部屋に向かって自分の持っているコントローラーを指差し目で合図をした。そのガラス張りの部屋には四~五名の研究員らしき人影が水槽の制御を行っていた。おもむろにサイモンが手元のコントローラーのボタンを押すと水槽の中のミコはゆっくりと目を開けた。フレデリックは思わず自分の全身が鳥肌立っているのを感じていた。すぐさまフレデリックは開いた瞳の色を確認した。瞳の色は薄紫ではなく赤い色をしていた。落胆と同時に安堵感を覚えたフレデリックはほんの少し冷静さを取り戻していた。
(やはりあの少女“シオン”ではない。しかし・・・どことなく面差しが似ている・・・)
心の中でつぶやきながらフレデリックは不安そうな表情を浮かべゆっくりとサイモンの方へ振り返った。
「さあ太子。しっかり見ておいてください。」
サイモンの唇の端が少し上がったように見えた。フレデリックは水槽の方へ向き直る。サイモンがコントローラーのボタンを押すと水槽のミコはフレデリックに向けてゆっくりと微笑んだ。またサイモンがボタンを押す。突如ミコは悲しい表情を浮かべ胸の前で組んでいた両手を解き自分の顔に当てて泣き始めようとする。サイモンがボタンを押す。ミコはその手を下ろし胸の前で握りこぶしを作ると荒々しく怒りの表情を浮かべた。フレデリックはくるくると喜怒哀楽を見せる水槽の中のミコを凝視していた。
「これは・・・」
思わずフレデリックが口走った言葉尻を捕らえてサイモンは「くっくっ」とこらえきれずに笑いを漏らした。
「私のこのボタンひとつでこやつの感情をコントロールしているのです。いかがですか?フレデリック様。これからが本番ですよ。」
そう言うとサイモンは上のガラス張りの部屋に対してマイクで指示を出した。
「エターナーを投入せよ。」
「YES SER」
というスピーカーからの返答が聞こえるとミコの脊髄の辺りにつながれた太い管からブオッという音と共にピンク色の液体がミコの体に注入された。ミコの体は注入されたい勢いで少しえびぞりになり反動で元に戻る。サイモンがゆっくりとコントローラーを動かすとミコの赤い瞳は燃えるように赤さを増していった。それと同時にミコはまったくの無表情な様子に変わると両手の平を仰向けに両腕を前に差し出した。フレデリックは思わず一歩後ずさりをする。その時ミコの両腕がゆっくりと上に上がり始めた。フレデリックは自分の目を疑った。自分が少しだけそのミコの手の動き分だけ宙に浮いているのだ。地面に降りようとしてもまるで浮いているその位置が地面であるかのようにほんの少しだけ浮かんでいる。ミコの両手がまた少しだけあがる。フレデリックが同じだけ浮かぶ。
「あっ・・・」
思わず声が出たフレデリックを見てサイモンがゆっくりとコントローラーを動かす。ミコの両手の平が今度は下を向き両腕がゆっくりと下がり始めた。フレデリックも同じだけ下がり地面に足を付くことが出来た。サイモンが「終了だ。」とマイクに向けて告げると室内は明るくなり逆にミコの水槽が暗くなりミコは見えなくなった。サイモンが呆然としているフレデリックのそばへ歩み寄ると左手でフレデリックの肩を抱き右手で奥の方向を指し示した。その方向へ振り向いたときフレデリックは思わず悲鳴を上げそうになった。
それまでは暗くてよく解らなかったがミコの水槽に居並ぶように横一列に大小さまざまな形の水槽が並べられていた。その中には人間の脳と思われるものが半数近くある。しかし単なる標本ではなくその脳はコードにつながれ未だ活動を続けているように見える。また人間の形はしているが顔面の皮膚が剥ぎ取られ顔の筋肉がそれぞれのコードにつながれさらにその上の脳もさまざまなコードやパイプでつながれている水槽も半数近くある。人間の内臓部分にコードがつながれている水槽手足が体から切り取られ別の水槽でその切り取られた体と反応している人体もあった。皮膚の付いている体や顔面が半面であろうと認識できるそれらは白人種のものは一つも無く明らかにアジア系の人種で実験していることは明らかだった。フレデリックは目の前に広がる信じられないおぞましい光景に吐き気を抑えるのがやっとだった。どうみても戦闘用の人体実験であることはフレデリックにも理解できた。それがさっき自分を宙に浮かせたミコの能力と関っていることも・・・フレデリックがゆっくりとサイモンの方へ振り返った。いつもの不敵な笑みを浮かべた見慣れたサイモンが目の前に立っていた。今のフレデリックには目の前のサイモンがまるで地獄の底から現れ出た魔王のように見えるのだった。サイモンはいつもの冷たい見下した眼差しでフレデリックを見据えている。言葉を失ったフレデリックはただサイモンをじっと見返すしか術がなかった。何の人間らしさのかけらもない冷たい金属的な部屋の中熱くも寒くもない室温にむしろ苛立ちを感じるフレデリックの耳には水槽のあわ立つ音とシューシューという空気が送られる音だけが響いていた