表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

純文学の掌編集

前略、からあげの下のパスタより

作者: 佐々雪

前略 先日のからあげ弁当での一件、大変失礼いたしました。私はあの時、からあげの下にひそんでいた、パスタでございます。


 先生。あのとき先生は、まるで感情の伴わない目で、私のことを見ていましたね。


『こんなものは、別に食べたくない』


『米という炭水化物に、パスタという炭水化物を重ねる愚行』


『このパスタの存在意義を、生まれて一度たりとも認めたことがない』


 そんなところでございましょうか? 心中、お察し致します。しかし我々パスタとしても、パスタ側の事情があるのです。何も好きこのんで、あのような所に潜んでいるわけではないのです。あれは我々の、れっきとした仕事なのです。


 われわれ下級パスタは、か弱い存在です。かわいそうな存在です。ひとたび弁当屋が「からあげの下にひそんでいろ!」と号令をくだせば、それに従わざるを得ないのです。それはまるで、統制のとれた軍隊のようなものなのです。


 われわれ下級パスタにも、もちろん意思はあります。しかし『自分がどういうパスタになりたいのか?』であるとか『どういうパスタであらねばならぬのか?』などといった高尚な意思は、まったく無意味なのです。いかなる高尚な意思も、弁当屋の命令の前にしては、ただただ蹂躙される宿命なのです。


 ですから、先生。

 貴方がこの先、からあげの下にパスタの姿をみつけたときには、どうか憐れんであげて欲しいのです。


『おお……かわいそうなパスタよ。お前もこのような場所には、居たくはないだろうに…』、と。


 そろそろお分かりいただけたかと思います。パスタというものは生まれながらにして、そのような悲劇を背負わされるものなのです。そして悲劇はそれだけではありません。パスタ界には、更に深刻な悲劇があります。


 それは『パスタには、生まれつき明確なヒエラルキーが存在する』ということです。ヒエラルキーの最上位はもちろん『上級パスタ』です。シェフが作った美味しいパスタ生地たちです。『中級パスタ』は、スーパー等で売られている家庭用の乾麺のことを指します。そしてわれわれ『下級パスタ』は、からあげの下を支えるためのパスタです。パスタとして生まれながら、パスタとして生きること許されていない存在なのです。


 このようなヒエラルキーは絶対的に覆せません。いかに抗おうとも、まったく覆すことができないのです。遺伝子に刻まれているのです。


 より上位のヒエラルキーのパスタから、マウンティングをしかけられることも良くあります。例えば我々下級パスタは、上級パスタたちから、こんな言葉をすれ違いざまに投げつけたりしています。


「君たち下級パスタが、パスタの地位を貶めているのだよ」


「そろそろ、スパゲティって呼んでいい?」


 このようなときでも、我々下級パスタはただ、うつむいてやりすごすしかないのです。しかし相手は上級パスタですから、それほど腹も立ちません。それくらい、身分の差は歴然としているのです。


 ですので、我々が最も腹立たしいのは、中級パスタなのです。彼らは、あからさまに見下した態度をとってくるのです。この間などは我々下級パスタの前で、このような独り言を大声で言っていました。


「あー、俺、ミートソースかよ。だりぃ。ほんと、ペペロンチーノにしてくれっての。あー、マジだりぃ」


 我々下級パスタは、基本的にはソースなどとは無縁です。ですので、そのような言葉は耳には届いていないそぶりをして、ただ静かに目を伏せるのです。しかし、その気持ちを見透かしているつもりなのでしょう。彼は我々下級パスタが目を伏せるのを、チラチラと面白そうに眺めているのです。これに悪意があることは、明らかでしょう。


 この中級パスタは、これで調子づいたのでしょう。その声は次第に大きくなり、やがて身の程をしらず「アルデンテ」について大真面目に語り始めたのです。これには私も、思わず吹き出してしまいました。彼は中級のなかでもレベルがもっとも低い、最安値の業務用パスタでした。お前に、アルデンテも何もないだろう、と。


 しかしながら、先生。きっとこれは、単なる醜い嫉妬なのでしょう。アルデンテというものがどんなに素晴らしいものなのか。我々下級パスタには想像もつきませんが、きっと素晴らしく良いものなのでしょう。身体に芯が微かに残る。なるほど。理屈では分かります。しかし我々下級パスタは、死ぬまでそのようなな経験をすることはないのです。アルデンテに憧れが湧き上がるとき、われわれは自分が下級パスタであることを思い出し、心をきびしくつねるのです。


 アルデンテだけでありません。ソースだってそうです。様々な濃厚な風味、香りをおびた、あのソースたち。許されることであれば、一生に一度くらいは、カルボナーラで身を包んでみたいものです。しかし我々下級パスタのなかで、ソースに身を包めることができるものは、ごく限られています。そんなことをすれば、からあげの風味をそこなってしまうからです。味の分からない弁当屋さんに当たらない限り、そのような奇跡は起こらないのです。


 そのような背景が、ソースへの憧れをより強いものにしているのかもしれません。ともすれば手が届く憧れに見えてしまうのかもしれません。この世界に、味の分からない弁当屋さんがいなければ、このように無駄な憧れを抱くことはないのに。私は恨めしく思います。


 いつぞやは身の程も知らず、自身がタラコソースに包まれる夢を見たことがあります。イタリア人は私を食べながら、満面の笑顔で「ボーノ……ッ!」と言っていましたが、それもすべて夢でした。私は目が覚めてから悔しくて泣きました。


 このように我々は、決してくつがえせぬヒエラルキーに苦しみ、同時にまた、曖昧なヒエラルキーにも苦しむのです。


 そして恐ろしいことに、最終的に寄せ集められたお弁当箱のなかでも、ヒエラルキーは存在します。私の詰められた弁当箱にも、ヒエラルキーは存在しました。


 最下層は『変な色をした謎のつけもの』です。続いて『嫌な苦味のあるキャベツの千切り』。その次にわれわれ『下級パスタ』が続き、その次に『緑色のギザギザしたビニールのあれ』が続きます。『ブラジル産の鶏むね肉でできたからあげ』は、ここではヒエラルキーの最上位です。


 弁当箱の中を見渡し自分のヒエラルキーを確認したブラジル産のからあげ女は、偉そうに私に指図をしてきました。


「ねえアンタ、さっさとそこに、横たわりなさいよ」


 カチンときた私は、あえて聞こえないふりをして、キャベツの香りをかいでいるふりをしました。しかし、これがからあげ女の逆鱗にふれてしまったようでした。


「早くアタシの足場になりなさいってば。このクズ!」


 からあげ女はそういうと、私に馬乗りになりました。私は体をひねり、逃れようとしました。しかし、ダメでした。この動きには、見覚えがありました。ブラジリアン柔術でした。そうです。私は気がつくと、からあげ女にマウントポジションを奪われていたのです。


 私は足をはねたり、身をよじったりして、なんとかこの体勢から逃れようとしました。しかし私はすでに、深くマウントポジションをとられていました。ピクリとも体勢をかえることはかないません。からあげ女はそんな私を嘲笑するように、私の顔に何発か、軽くビンタをしました。


 しかし、彼女に一瞬だけ油断が生まれました。自分の優位を確信したからでしょう。一瞬だけ私から目をそらし、弁当屋さんの位置を確認したのです。私はその隙をついて、彼女の両手をぎゅうっとつかみました。これで彼女は、私を攻撃することはできなくなりました。


 私は身体をこまかくじりじりとよじり、弁当箱からの脱出を試みました。しかし、その意図が彼女にも伝わったのでしょう。弁当箱のぎりぎりのところで脱出をはばまれ、膠着状態になってしまいました。


 そのときです。


「お前たち! 何をしているんだ!」


 弁当屋さんがわれわれの様子に気がついてしまったのです。私とからあげ女は、思わず身をこわばらせます。すると弁当屋さんは


「Don't move(動くな)!!」


 と叫んでから、われわれをその体勢のまま、弁当箱の中央へと戻しました。


 これには私もからあげ女も、すっかりと尊厳を損なわれてしまいました。からあげ女は馬乗りの姿勢から立ち上がり、虚無を目に浮かべ、肩をすくませました。


「あのさ、もう無理やりしないからさ、上にのらせてくれない?」


「……分かりました」


 私はゆっくりと、横たわりました。


「アタシさ、足があんまり強くないの。痛めちゃっててさ。寝るときいつも、柔らかいのひいてないとダメなの。ひざがしくしく痛むの」


「ごめんなさい」


「んーん。ごめん。アタシさ、こんなはずじゃなかったんだよ。アタシの人生が、こんなことになるなんて、アタシさ。ちっとも思ってなかったんだよ」


 そう言ったきり、彼女はうつむいて口を強く結んだままになりました。それからだまって、私の上に静かに横たわり、顔を両腕のなかに隠してうずめました。


 そうしている間にも、お弁当屋さんの手により、お弁当が完成していきました。お弁当が完成すると、弁当屋さんによって蓋がしめられました。真っ暗闇です。彼女はなぜか、ふふっと笑いました。私もつられて、ふふっと笑いました。


 そして二人は暗闇のなかで、いろいろな話をしました。他愛のない話ばかりです。彼女はブラジルから日本にきて、おしゃれなカフェでボサノヴァが流れているのをみて、びっくりしたそうでした。ブラジルではもう、ボサノヴァは若い人の間では、あまり聞かれていないらしかったです。


「なんでもいいから、ソースというものに包まれてみたかったな」


「そんなにいいものなの?」


「分からない。それすら分からない。だからそれも知りたいです」


「そっか」


「からあげ女さんは、何か夢はないんですか?」


「あるよ」


「聞いてもいいですか?」


「んーん。それを口にできるほど、アタシは強くないんだよ」


 それで二人はしばらく黙り込みましたが、しばらくするとまた、どちらからともなく、身の上話を再開しました。暗闇の時間は過ぎるのがおそく、永遠に二人で話していられるのではないだろうか。そんな錯覚すら覚えました。


 しかし、そんなものはただの錯覚にすぎません。タイムリミットは、刻一刻と近づき続けていたのです。


 二人だけの暗闇の時間は、ある瞬間、急に閉じられてしまったのでした。


「ねえ。やっぱりアタシの夢の話をしていい……? あのね、アタ」


 からあげ女さんのお話は、急遽、明るい世界が取り上げてしまいました。私は彼女の話の続きを聞きたい。そう思いましたが、そうも言っていられない状況になってしまいました。


 弁当箱の蓋は、男が開けたようでした。男はすでに右手に箸を持っており、ご飯を持ち上げました。どうやら、お米から食べるタイプのようでした。男は白いご飯を、美味しそうにもぐもぐと咀嚼しました。


 我々が食べられるのは、もはや時間の問題でしょう。せめて、彼女の夢の話を聞きたいと思いました。しかし、その時間はもう残されてはいなさそうでした。


 しかし、もう数分か後には、彼女も私も咀嚼され、男の腹の中で再会することでしょう。それでもいいか。私はそう、うす甘い観念に心を投じようとしました。しかし、それを彼女がさえぎりました。


「アンタさ。包まれればいいじゃん……!」


「からあげ女さん! 何を言っているんですか!?」


「ソースだよ。好きなソースに包まれてくれば、いいじゃん!」


「何を言っているんですか? 私達はここでもう……」


 その時、男が箸でからあげ女さんをつまみました。それから男は私に視線を向け、つまらなそうな顔をしました。


 男の口の中に入れられようとしている彼女は、また虚無を目に浮かべていました。そして男がかじりつくその瞬間、彼女はニヤッと笑いました。


「せいやー!」


 彼女は声高にさけぶと、からあげは箸からつるりと落ちて、その瞬間彼女は人間に姿を変えたのです! あっと驚くやいなや、彼女は男に飛びつき腕十字を決めてしまいます!


「ミギャーーー!!」


 男は弁当をたべている最中に、まさか飛び込み腕十字をしかけられるなんて、思ってもいなかったのでしょう。大慌てで彼女の脚に高速タップを繰り返しました。


「ここはアタシにまかせて、アンタは早く逃げな! 必ず夢を叶えるんだよ!」


「からあげ女さん! 私はまだ、貴女の夢のことをまだ聞いていません!」


「私の夢は、アンタの夢を叶えることだよ! いいかい? 立派なソースにからまってくるんだよ! だから! はやく! ここから! 逃げろーー!!」


 私は一瞬だけの迷った後に、走りました。走って逃げました。


 気がつけば私の身体は、人間のそれになっていました。


 手があり、足がある。手を振り回し、地面を強く蹴り飛ばす。

 全力で走って逃げました。彼女の気持ちに突き動かされるように。


「パスタックル!!!」


 そして、目の前にいる男に向かって、そのままタックルをぶちかまします。そうです。私は彼女の言葉から全力で逃げて、男に向かって走ったのです。


「何やってんの!?」


「これは、パスタックルという技です。そしてだめです。貴女は、私の、お姫様です」


 私は倒れている男に注意深く視線に留めながら、彼女の手を強く握りしめます。


「あっ……えっ!? えっ!? きゃあ!!!」


 私が彼女の手をひっぱると、彼女はくんにゃりとひっぱられました。私と彼女は走り出します。すこしずつ、その足を早めます。


 ドアを開くと、長い廊下があります。


 左右にはずらりと棚がならんでいます。たくさんのお弁当の材料が置かれています。低級パスタも、中級パスタも、上級パスタも、ずらりと並んでいます。


 私と彼女は、その廊下を走り抜けます。たくさんのパスタたちが、私と彼女のことを見ます。彼らは口々に、私達にむかって何かを叫んでいます。何をしゃべっているのかは、私達にはもう分かりません。後ろからは、もしかすると男が追いかけてきているかもしれません。しかし、そんなこともまったく気になりません。


 私はただただ、手のひらから感じる彼女のぬくもりと、ときおり私が強くそれを握りしめると握り返してくれる感触と、息づかいと、彼女の命と、生まれてはじめて感じる私の命と、まもなく身体をこわしそうになる高揚感とそれを冷やす風と、気がつけば一面はクローバーの草原にシロツメクサと。勿忘草と。つまずいてその上を転げると、かすかに香る草の香りと。彼女からこぼれる無邪気な笑い声は、まるで春に生まれたばかりのお花みたいで。そのお花ごしに見える晴天の青さと、雲の真っ白さがほんとうに驚きで。笑うように揺れるクローバー。それでもまだ、手を離す気にまったくなれなくて。この手が死ぬまでずっと一つになってしまえばいいのに。魂というものが、命というものがもしも形をともなうのもであれば、そんなものは、ひとつになってしまえばいいのに。くだらない。そんなものは、とっくの昔に、ひとつになってしまえばいいのです!


「ねえ、アタシをどこにつれていくつもりなの?」


 草原のはるか向こう側の空に目をやると、街がありました。その街の上には、黒くて厚い雲が張っていました。その雲は次第に大きくなりながら、こちらに近づいてくるのです。その雲をながめながら、彼女は私に問いかけてくるのです。


「お花の咲くところです」


 遠くの空から、コロコロ……と雷の近づく音が聞こえます。


 首筋にヒヤリとしたものを感じます。それは、かつて何もできなかった、過去の自分の記憶です。低級であり、そのヒエラルキーに思考が歪められた自分の記憶です。私にはそれが、雷よりもよっぽど恐ろしいのです。その過去の記憶の延長線上に、本当にお花を咲かせ続けることはできるのか。そのような自問自答の問いが、冷たいナイフのように首筋に突きつけられたのです。


「大丈夫だよ。アタシもついている」


 そんな私の心をみすかしたのでしょう。彼女は私の手を引いて立ち上がります。


「咲かせましょう。私達はきっと、そのために」


 私と彼女は空の下、あの雨雲のかかる街に向かって走りだします。彼女と踏みしめるこの幸せな草々を、しっかりと私の足の裏に記憶しながら。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] でもあの、シンプルな味の癖に上の具材の味が付いた低級パスタ、美味しいよね
[良い点] バランが低級パスタより格上扱いなところでさすがに笑ってしまいました。 とてもお上手で、ところどころ笑いどころをおさえた素敵な作品でした。 [一言] とはいえ、「弁当に入ってるあのよくわから…
[一言] この発想好きです
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ