第44話 その手の温もり
【加護無し】
それは、決してステータスが表示されることは無い。
何故なら、女神の加護を授からなかったからだ。
女神の加護を授からない者。
それは、魔神そのもの、もしくはその眷属だからだ。
だが、レリック侯爵の執務室で起きた現象は、それを覆すものであった。
何も表示されないはずの【加護無し】のステータスに、突如現れた記号。
【ERROR】
全ての人のステータスに刻まれる『DEAR』に、似た記号。
しかしそれは初めて見るものである。
記号について、レリック侯爵が語る。
「人類にステータスを授けたのは、女神様だ。その女神様が意味の無いことはしない、とグレバディス教の司祭や神官、それに歴史学を研究する貴族たちが様々な議論を繰り返しているが、それでも意味が分からず『聡明かつ高潔な女神様のお考えなど、所詮、人間如きがたどり着ける境地ではない』というのが、今の共通認識である。」
ごくり、と唾を飲み込みレリック侯爵は呟く。
「それにしてもこの記号は……。我々は【加護無し】についてもっと知るべきなのかもしれないな。」
レリック侯爵は、何かを考え込んでいる。
それを見守るディールとユウネ。
そして。
「戦時中に、このようなはっきりせぬモノを人前に晒すやら、公表するやは控えるべきだな。」
レリック侯爵は、ディールとユウネに向き合う。
「ディール殿。ユウネ殿。お二人の申し出をお受けしよう。褒章だが、【勲章】はまだお若い二人が得るにはまだまだ経験が浅いとの申し出により、感銘を受けた私が、あえて授けなかったとしよう。」
その言葉に、表情を明るくする二人。
「ただ、私はこのラーグ公爵国の治安維持を担うレリック家の当主なり。かの『黒獣王』の討伐、それに伝承の生き証人とも言える『任侠道』のことは公爵陛下や連合軍に報告する義務がある。当然、誰彼に褒章を授けたも含めて、な。」
レリック侯爵の言葉を、静かに聞き入る二人。
語られる言葉により、二人の命運が決まるようなものであるからだ。
「褒章とは、褒美と勲章が揃って意味を成す。つまり、二人は褒章を辞退した、と報告せざるを得ない。そしてその事実は、恐らくラーグ公爵もしくはガルランド公爵が理由を聞き、公爵国の沽券に関わると騒ぐだろう。」
「レリック侯爵に…ご迷惑をかけることになるな。」
「むろん、私のところに “理由を述べよ” と通達が来るだろう。まぁ、若者二人が清貧を重んじており、その姿勢に関心した、こちらも古き貴族の仕来りにそって誇示するのは二人の信念を汚すことになり、それは民の模範とすべき貴族の姿勢か? とレリックは考え、二人の意思を尊重した、とでも言っておけばよかろう。」
にこやかに伝えるレリック侯爵の言葉に、ディールとユウネは安堵する。
「今夜の褒章授与式含め、対応は私に任せて欲しい。あと、ソマリが約束したフォーミッドまでの馬車の手配も任せなさい。明日には出立できるよう配慮しよう。ある程度の必要な物資もストレージボックスに積むよう指示もしておく。勲章を渡さない代わり、せめてもの贈り物として受け取って欲しい。これまで断られてしまうと、いよいよ侯爵としての矜持が許されないぞ。」
ククク、と笑いながらレリック侯爵は言う。
「助かります、侯爵。」
ディールは深々と頭を下げる。
同じようにユウネも頭を下げる。
そんな二人を見て、レリック侯爵はニヤリと笑みを深める。
「しかし、二人は本当に仲が良いな。どんな恋人同士、夫婦同士であろうと、そのように手を繋ぎながら私と話す者はおらんぞ?年甲斐もなく羨ましく思うほどだ。」
その言葉に、ディールとユウネは顔を真っ赤にしてお互いの顔をみて、繋ぐ手を見る。
「す、すみません!」
「失礼しました!」
パッと手を離して慌てて謝罪するディールとユウネ。
そんな二人を見てますます微笑むレリック侯爵であった。
「もし二人が婚姻をする時はレリックの宮を使うのはどうだ?伊達に“花の都”を名乗っておらん。それはそれは華やかに、素晴らしい式になるぞ。」
そんなレリック侯爵の言葉に、ディールとユウネは全身真っ赤にして俯く。
「ははははは!『黒獣王』を屠った者達とは思えんほど初心で良いな!気に入ったぞ二人とも!」
真っ赤に俯くディールとユウネの肩をポンポン叩きながら、嬉しそうに笑うレリック侯爵であった
――――
夜。
レリック侯爵と夫人、それにソマリの姉であるターナ、そして侯爵に仕える家臣が一同に揃う中、厳かに褒章授与式が執り行われた。
最大の立役者は、ソマリを護衛警護したハンターの一行である“銀の絆”
そして、ソマリの教育係兼行脚道中の同行者として、またソマリを命懸けで守り、500年前の伝承の生き証人である『任侠道』の価値を見出した功績を称え、執事長バゼットも褒章を授かった。
だが、ディールとユウネの名前は呼ばれない。
「以上。これで褒章授与を終える。このまま晩餐会に入るので、皆の者、褒章を授けた勇者達を称え、その武勇を存分に讃えるが良い。」
レリック侯爵の言葉に、唖然とする“銀の絆”の面々。
「ちょ、ちょっと待ってください、侯爵!」
思わず声を挙げるウェルター。
だが、その声をまるで無視するように晩餐会の用意が即座に行われ、レリック侯爵は自身の席へと座るのであった。
「さぁ、勇者様方。本日の主役は皆さまです。どうぞお掛けください。」
メイド長が “銀の絆” の面々を座るよう促す。
「ちょっと待ってくれ! まだ、ディールとユウネが褒章を受けていない! オレ達は何もしていない! 『黒獣王』からオレ達を守ったのはユウネで、あいつを倒したのはディールだ!」
そう叫ぶウェルターだが、メイド長はニコニコ笑うだけで “銀の絆” を席へ促す。
そこに近づくのは、当のディールとユウネ。
「ウェルター。それに皆。聞いてくれ。」
「ディール! 一体これはどういう事だ!? 侯爵は何を考えている!」
憤慨するウェルター。
ディールはウェルターの肩に手を置き、静かに伝える。
「オレとユウネは、侯爵に勲章よりも、もっと価値のある物をいただくことで話がまとまったんだ。それまで貰ったら、さすがに過剰褒章となるってことで、勲章は辞退した。」
「お、おい。勲章より価値のある物ってなんだよ?」
ディールは顔を赤くして、絞り出すように伝える。
その後ろには、顔を真っ赤にさせるユウネ。
「オ、オ、オ、……」
「あ? 何だよ。はっきり言えよ!」
「オレ達の!結婚式をここレリックの宮で挙げる確約をしていただいた!これ以上、褒美を授かるわけにはいかない!」
その言葉に、“銀の絆” の面々は表情を呆けさせた。
そして……
「マジかあああああああああ!!!!」
「凄っっごぉぉぉい!!」
「おめでとうでやんすーー!!!」
全員が驚愕し、そして祝福した。
それに顔を真っ赤にさせながらも、微妙な表情の二人。
「ちょっと、ちょっと!ここで挙式する確約なんて!!公爵様だって叶うかどうかですよ!?」
セイリーンが目を輝かせて叫ぶ。
「しかし、やっぱり二人は付き合っていたんだな。いつも否定していたから心配したんだよ。」
「美男と美女で、絵に描いたようなカップルだからなー。いいな、私もいつか良い男引っ掛けてやる!」
ガザンとメイリも嬉しそうに二人に絡む。
やいやい騒ぐ面々に、侯爵がわざとらしく『おっほん!』と咳払いする。
「さぁ勇者達よ!宴の用意が出来た。今宵は存分に飲み、食べ、そして語らってくれ!」
その言葉で各々席に着く“銀の絆”の面々と、ディールとユウネ。
未だディールとユウネの顔は赤く、そんな二人を羨望の眼差しで見る、“銀の絆”
その目の前に並ぶ、贅の限りを尽くした御馳走と、数々の高級酒。
さっきまでの勢いはどこへやら。
すっかりテーブルの料理と酒に目を奪われる“銀の絆”であった。
“結婚式” の話は、レリック侯爵の入れ知恵であった。
最大の功労者であるディールとユウネが褒章を “辞退した” と、この場で明かしてしまうと、バゼットは当然、もしかすると “銀の絆” の面々も連動して辞退する可能性があった。
また、ディールとユウネに “どうして辞退したのか” と問われ、もしかすると責められることも考えられた。
そこでレリック侯爵が伝えた作戦。
冗談半分で言った『レリックの宮での結婚式の約束をした』である。
レリック侯爵領は、通称“花の都”と、世界で最も美しい都市と名高い。
計算し尽くで並ぶ建物、合間合間に見られる花壇や水路、ゴミ一つ落ちていない街道、そこに差し込む太陽の光。
そして、その中心に厳かに建つ、ラーグ公爵国で有数の大貴族であるレリック侯爵の宮。
“花の都” の中で、最も煌びやかで華やかな建造物である。
“ここで婚姻の儀式を挙げられたら”
色とりどりの花に囲まれ、美しい噴水と静かに流れる水路、世界三大美の一つに数えられる庭園の真ん中で、永遠の愛を誓う。
一度でもこの地を訪れた者なら、それを夢に思う。
だが、多忙を極めるレリック侯爵に、この宮で、庭園で、挙式をさせてくれという願いを言える貴族が世界にどのくらい存在するのだろうか。
一説によればラーグ公爵ですら頭の上がらない、ラーグ公爵国の守護神。
治安維持を一手に担う、厳格な侯爵。
自国のトップですら、その依頼に躊躇するという程である。
それが他国なら尚更。
“何のお戯れを” と一笑に付されるのが関の山である。
それを、勇者とは言え平民出であるディールとユウネに、確約する。
ある意味 “勲章” を授かる以上の、名誉である。
テーブルの料理に舌鼓を打ち、高級酒で喉を潤し、殺到するレリック侯爵家の関係者にアレコレと話を振られ、上機嫌に応える“銀の絆”の面々。
その隅で、顔を真っ赤にして俯くディールとユウネ。
実はレリック侯爵から「あの二人は放っておきなさい。それより“銀の絆”から後学のため話をしっかり聞いてきなさい」と指示された家の者達。
そのため、ディールとユウネの周りには人が来ない。
「ユ、ユウネ……。いくら侯爵の作戦とは言え、嫌な思いをさせちゃったな。」
ようやく口を開くディール。
それは謝罪であった。
「ううん、ディールこそ。言ってくれてありがとうね。」
本当なら、どうする?
そうディールに尋ねてみたい。
顔を赤らめてチラリとディールを見る、ユウネ。
だがディールは、一つの仕事が終えたかのように、料理に手を付けはじめた。
あぁ、やっぱりね。
作戦を聞いた時、卒倒するかと思ったユウネ。
たぶん、自分の口で伝えたら、全部言い切る前に頭が茹って倒れただろう。
それを、ディールが何とか伝えてくれた。
感謝する半面、ディール自身から特段そのことに何の感情も感じられず、“ああ、ディールにはその気は無いんだな” と思い、気持ちが沈むユウネであった。
作戦だと分かっていたが、心は歓喜に満ちた。
“もし、それが本当に叶うなら”
何て幸せなことだろうか。
ううん。
ここじゃなくても良い。
いつか、ディールと一緒になれるなら。
どこでも、良い。
どこでも、付いていく。
そう思っていたが、どうやら自分だけだったようだ。
分かっている。
分かっていた。
ディールは、ただ、グレバディス教国を目指す旅人。
そこに、自分は村長に言われ便乗しているだけだ。
彼に、そんな感情は無い。
この前のデートっぽいのも、周りが囃し立て、美しい召し物も、ただ用意されたものだ。
もしかすると、嫌だったのかな?
ケーキをくれたのも、一緒に食べたくなかったからかな?
手を握ってくれたのも、ただ、はぐれると面倒だったからかな?
“可愛いよ” そう言ってくれたのも、やっぱりお世辞だったのかな?
嬉しかった。
凄く、嬉しかった。
初めて人を好きになり、その人と共有した時間。
なんて幸せな時間だったのだろう。
永遠に続いてほしい。
そう何度も願った。
現実は違う。
自分だけが、想いを向けていた。
自分だけが、空回りしていた。
そう考えてしまうと、急に孤独を感じてしまう。
私だけ?
私だけが舞い上がっていたんだ。
「ユウネ?どうした?」
ハッとする。
心配そうに、見つめてくる。
世界で一番、想っている人。
気付くと、目に涙が浮かんでいた。
急いでその涙を拭うユウネ。
「ご、ごめん。何でもない!」
何でも無い訳がない。
「何でも無い訳ないだろ。ボーッとして、涙を浮かべて。どうしたんだよ……。」
目の前の彼は、私を心配してくれている。
言いたい。
言ってしまいたい。
だけど、怖い。
怖いよ。
全部、壊れてしまうかもしれない。
「何でもないよ! それより、このお料理本当に美味しそう!」
無理に笑顔を作り、誤魔化してしまう。
一緒に居るのに。
暗い、孤独感が、心を染める。
私だけ?
私、だけが、舞い上がって、いたんだんだ。
「ユウネ。」
ディールの言葉と共に暖かく大きな手が、私の手を包む。
優しく、それでいて力強い、温かな手のひら。
ユウネは大きく目を見開き、ディールを見る。
ディールは、恥ずかしそうに、しかし、はっきりと告げる。
「ユウネ、大丈夫だよ。」
その微笑み。
先ほど、ステータスプレートを握り、震え狼狽していた彼に、私がしたように。
「オレが、ユウネをずっと守る。だから、そんな顔をするな。」
ボロボロと流れる涙。
ああ、好きだ。
この笑顔。
この声。
この温度。
全部、好きだ。
どうしようもないくらい、好きだ。
「……ありがとう、ディール。」
「その、何か、辛い思いをさせちゃったみたいだな。褒章も辞退しちゃったし……もしかすると何かの罪で裁かれたかもしれないって、怖い思いまでさせたな。」
ハッと気付くユウネ。
そうか。
彼は私の事を、ずっと気にかけていてくれたんだ。
涙が、止まらない。
「ユウネ。」
改めて、ディールはユウネを見つめる。
「何があってもオレがお前を守る。だから、心配しないでくれ。ずっと、守るから。」
だから、離れるな。
そう、聞こえた。
あの日、手を始めて繋いだ、あの時。
そう言ってくれた、その言葉。
「ディール、今、何て!?」
「何でもない!さあ、せっかくだからいただこう。本当に旨そうだ!また明日から旅が始まるからな!」
照れ隠しのように、ディールは料理を取り分けてユウネに差し出す。
「うん。ありがとう、ディール!」
「こちらこそ、ありがとうユウネ。」
ユウネの涙を見た時、心が締め付けられた。
何で涙を零したのか、分からなかった。
ただ、これだけは言える。
泣かないでほしい。
笑顔でいてほしい。
ずっと傍にいてほしい。
離れないでほしい。
「聞こえなくて、良かった……。」
今考えると恥ずかしすぎる。
我ながら女々しいのかもしれない。
だけど、これだけは言える。
ユウネが、好きだ。




