第36話 黒獣王
『今宵は我らの糧となる愚かなニンゲンが群れているなぁ。』
燃え盛る森の炎の間から優雅に降り立つ、黒い体毛の覆われた巨大な化け物。
その声は大地に響くほど低く、そして歓喜に満ちていた。
「まさか…こいつが『黒獣王』か!」
顔をしかめ、ウェルターが叫ぶ。
その言葉に、バゼットが肯首する。
「全身に覆われた黒の体毛…まさしく、こやつが『黒獣王』だ。」
『それはニンゲンが勝手に我に名付けた字名。そもそも我らに名などないぃ。』
黒のキマイラこと、『黒獣王』の獅子の顔が凄惨な笑みを浮かべ答える。
『だがそれも小事なり。いずれ我らの糧となる者共だ。』
『せめてもの慈悲。抵抗などせねば、ひと思いに食いちぎってくれよう。』
獅子と並ぶ山羊の顔、そして蛇の尾も続いて言葉を並べる。
「ひ、ひぃぃぃい!!『黒獣王』だああああ!!」
「逃げろ、逃げろぉ!!!」
先ほどの火柱を辛うじて巻き込まれなかった“暗闇の狼”の残党が立ち上がり、散り散りに逃げ始めた。
ディールやバゼットに腕や背中を切られたのもお構いなし。
必死に這うように逃げ出した。
『無駄なことをぉ!!逃がすなぁ!!』
『黒獣王』の獅子が叫ぶと、ディールやユウネの後方から木々をなぎ倒す轟音が響いた。
「ぎぃやああああああ!!」
「キ、キマイラァァァァ!!」
逃げ惑う“暗闇の狼”の面々を、まるで芥虫のようになぎ倒し、牙で噛みつき、咀嚼する。
『黒獣王』の対面方向より3体ものキマイラが突如現れたのだ。
「まさか、キマイラを使役しているというのか!?」
バゼットが叫ぶ。
そもそも危険度Bに該当するキマイラは、縄張り意識が高く、群れを成して生息する魔物ではない。
縄張りの侵入者は、例え同族のキマイラさえも容赦せず襲いかかるほどである。
それがまさか3体も同時に現れ、逃げ惑う“暗闇の狼”をまるで連携を取るかの如く襲い掛かるのであった。
『彼らは我らの従属。逃げる腰抜けを食らうには丁度よい。だが、貴様らは…』
『我らの糧だ!!』
『黒獣王』の獅子の目が怪しく光る。
次の瞬間、黒い獅子の口から轟音と共に炎が噴き出した。
「“星盾”!!!!」
その動きと同時に、ユウネは“星盾”を発動させる。
ディールとバゼット、ソマリ、ベッツとサティと“銀の絆”の面々の周囲に星の礫が光を放ち、薄いベールが包む。
光のベールに阻まれ、炎は防がれる。
「ユウネ!大丈夫か!?」
「まだ…大丈夫…でも…」
ユウネは涙を流しながら伏せる。
どうしても、仲間しか守れない。
こうしている間にも、自分たちを襲ってきた者であろうと、“暗闇の狼”の者たちは後ろから現れたキマイラにかみ殺されているのであった。
「ユウネ様!貴女はこのまま防御魔法の展開をお願いいたします!セイリーン殿も防壁を!ガザン殿は遠距離魔法を展開、隙を見て後ろのキマイラに放ってください!!私とウェルター殿でまずは『黒獣王』を牽制します!その間にディール様は魔法が発動するまで後ろのキマイラ共の牽制を頼みます!他は守りを!!」
バゼットの指示が飛ぶ。
元は連合軍の第2軍団長。
例え修羅場であろうと、冷静かつ迅速に戦況を把握し、最善手を構築する。
「おおおし!!男は度胸!!いっくぞぉお!!」
ウェルターは自身を鼓舞し、炎の切れ間を見切って『黒獣王』に斬りかかる。
その後ろに、バゼットも続く。
『愚か愚か愚かぁああああ!!』
次の瞬間、山羊の口から轟音と共に吹雪のブレスが吐き出された。
「複属性か!!」
バゼットは叫び、細身剣を前に突き出し叫ぶ。
「『数多苦難を断ち水難氷冷防ぐ大地の要塞』“塊土蔵豪壁”!!!」
素早い詠唱と発動語。
ウェルターとバゼットの眼前に巨大な岩と土砂で出来た屈強な壁がせりあがる。
その土壁と山羊の吹雪がぶつかり、砕けた。
「うぐぅ!!!?」
だが、吹雪と土塊が砕け、視界が晴れた瞬間。
『黒獣王』の巨大な蛇の尾が、バゼットの左半身に喰らいついた。
「バゼットさん!?」
ウェルターはすぐ身を翻し、蛇の尾の胴体に大剣を振り下ろす。
しかし。
『ガァン!!』
響く硬質音。
まるで巨大な鉄の塊同士を打ち付けた感覚である。
『まずはぁ…一人ぃ。』
『頭を潰せば瓦解するのがニンゲンであろう。』
『黒獣王』の獅子と山羊が狂気の笑みを浮かべ呟く。
「いやああああ!バゼットーーーーー!!!」
“銀の絆”に守られるソマリが叫ぶ。
バゼットの左半身に巨大な蛇の頭が噛り付き、その口からダラダラと赤い液体が流れでる。
「ぐ、ぐぬううう…。これ…しき…」
吐血しつつもバゼットは右手に握る細身剣“大地のレイピア”に魔力を通す。
その様子に蛇の尾は目を細め笑う。
『クカカカカ。無駄だ無駄……。!?』
「『大地より天を穿つ岩針と鋼の刃よ、敵を穿ち鎧を穿ち砦を穿ち山を穿て』“岩鋼針刃連”!!!」
手に握る“大地のレイピア”が一瞬輝きを放った次の瞬間、バゼットの足元から巨大な円錐状の針が幾重も重なり蛇の尾を穿つ。
『グギィィィィギャアアアアアァァァ!!』
貫きはしなかったが、大小幾つもの傷を負わせられ、思わずバゼットを離す蛇の尾。
だが、バゼットはその場から離脱できず、膝をつくのであった。
「バゼットさん!!」
即座にウェルターがバゼットを抱え、離脱しようとするが…
『よくもぉ…やってくれたなニンゲン風情がぁ!!』
獅子の口から、再度巨大な炎が迸る。
バゼットを抱え走るウェルターの背中に、灼熱の炎が押し寄せる。
「ぐ、ぐわあああああああ!!」
巻き込まれる!!
その瞬間。
『“冷壁”!!』
『“星盾”!!』
セイリーンとユウネの同時に放った防壁魔法が、炎を防ぐ。
間一髪であった。
「ぐっ…た、助かったが…」
ウェルターはバゼットを急いで下す。
バゼットの左半身から夥しい血が噴き出ている。
しかも、何やら傷口が青紫に変色している。
「これは…毒か!」
「いやあ!!バゼット、バゼットォ!!」
ソマリが叫ぶが、バゼットの返事は無い。
出血量と毒により、意識が朦朧としているだ。
一刻も猶予が無い。
だが…
『ちょこまかと…ニンゲン風情が苛立たせてくれるなぁ』
『もはや、そちらの頭は倒れた。大人しく喰われよ』
『許さないぞ…よくも我に石礫なぞ喰らわしたな…』
獅子、山羊、蛇。
言葉は三者三様であるが、そのどす黒い殺気が全員を覆う。
「まずは止血!そして解毒!ガザンさん、早く回復魔法を!」
「ぐ…だが…」
「いいから!!このままじゃバゼットさんが…!!」
恐怖、焦り。
それが混乱を招く。
防御と迎撃魔法に力を割いていたセイリーンとガザンは、その力を解き、バゼットの回復に力を注ぐ。
年老いたとはいえ、元連合軍第2軍団の軍団長。
戦力も判断力も、この場にいる誰よりもずっと長けている。
“バゼットさえ居れば”が暗黙の共通認識となっていたのだった。
しかし。
一瞬一瞬の判断が生死を分ける修羅場においては、その合間は致命的である。
『死ね!!』
再度、獅子から放たれる炎。
『“星盾”!!』
ユウネが即座に“星盾”を大きく展開し、炎を防ぐ。
「このまま…じゃ…」
炎を防ぐ度に、宙に浮かぶ光礫がポロポロと落ちていく。
目に見えて光のベールが薄くなってくる。
何度か“星盾”を発動させ、その効力を理解したユウネである。
この魔法は、ありとあらゆる攻撃を防ぐことが出来るが、強度に限界があり、それを超えると“星盾”を構成する礫が崩れ落ちる。
全て崩れると“星盾”は解除されてしまう。
そして、再度発動させるためには…効果が切れた後か、一旦全て解除した状態でなければ発動できない。
他の防御魔法同様、重ね掛けが出来ないことをユウネは理解しているのであった。
『しぶとい、だがこれで終わりだ』
獅子の炎が切れると同時に、山羊がその口から吹雪を吐く。
同時に、頭上から蛇が毒液をまき散らす。
“星盾”が砕けた瞬間、吹雪に巻き込まれ氷漬けになるか。
それとも吹雪を辛うじて防いだとしても、蛇の毒液を全身に浴びるか。
刻一刻と全滅が近づいてきた。
「お願い…お願い…耐えて…!」
ユウネの祈り空しく“星盾”はどんどん薄くなる。
これが全て砕けたら…自分は…みんなは…。
ディール、と叫びたい。
だが自分たちの後方でディールは3匹のキマイラと相対している。
時折聞こえる、ディールとやり取りしているだろうホムラの声。
その合間から聞こえた、信じられないようなホムラの言葉。
もし、それが本当なら間も無く…!!
『無駄だ無駄だニンゲンよぉ!貴様等は我らが糧となる名誉を得られるのだ!無駄なことなど…』
ユウネの祈りをあざ笑うかのような獅子の叫び。
次の瞬間。
全員が予想だにしなかった事態に発展した。
『グガアアアアアアアアアア!!!』
『ぬ!?グガアア!!』
歓喜の笑みを浮かべる『黒獣王』の真横から、突如、巨大な黒い塊が覆いかぶさった。
その黒い塊にまるで弾き飛ばされるように『黒獣王』の身体は横薙ぎとなり、木々を砕きながら倒れた。
「え……!?」
全員が驚愕した。
目の前には、『黒獣王』とほぼ同じくらいの巨大な体躯を持つ、黒毛に覆われた熊の魔物が立っていた。
『黒獣王』はその熊に強襲され、倒れ伏せたのであった。
「本当に来た…」
ユウネは目の前の光景が信じられなかった。
だが、先程からホムラが伝えていた事が事実であったのだった。
「まさか…『任侠道』か…」
回復魔法と解毒魔法の甲斐あってか、意識を取り戻したバゼットが呟く。
その名は、危険度D相当の魔物、マーダーベアの“二つ名持ち”である。
通常のマーダーベアとか比べ物にならない程の巨体を携え、それは森の奥から現れた。
『まさか…ニンゲン好きの異端児がよもや現れるとはな…』
『黒獣王』は平然と起き上がり呟く。
人間好きの異端児。
魔物を好んで襲い、何故か人間を殺しはせず見逃すことが多い『任侠道』のことである。
『任侠道』はゆっくりと躰を戻し、『黒獣王』を睨んだ。
『…ここに多くのニンゲンが争い事を仕出かしていたから、必ず貴様等が動くと見ていた。』
『黒獣王』より低く、聡明さも感じられる声。
『任侠道』から発せられた言葉である。
「まさか…『任侠道』も人語を解すのか!」
「私たち…もしかして『任侠道』に助けてもらったの?」
身体の血まで戻らず、未だ白い顔のバゼットが呟くように言う。
その言葉に続き、メイリが呆然と言う。
『任侠道』はチラリとバゼット達を見据えて伝える。
『横からしゃしゃり出る真似をしたが、コヤツと儂は300年の因縁がある。この場は儂に譲り、お主らは早々と立ち去るがよい。』
『任侠道』の風貌は、全身に古い切り傷や火傷後があり、また片目は大きな傷で潰れていた。
傍から見ると満身創痍に映るが、歴戦の貫禄が伺える。
思わず息を飲む面々。
だが。
「魔物に命を救われる日が来るなんてな…だが、てめぇも魔物に変わらない。素直に“はい、そうですか”と言えねぇよ。」
ウェルターが震えながら言う。
その言葉に、さも当然、と言わんばかりに『任侠道』が答える。
『儂の事など信じなくてもよい。ただ今は、儂はこの黒キマイラとの因縁を果たすのに、お主らが邪魔だと言っておるだけだ。』
狙いはあくまでも『黒獣王』である。
だがその言葉にいち早く反応したのも、『黒獣王』だ。
『ガハハハハハ!たかが熊風情がこの森の王者たる我らに刃向かうと言うのかぁ』
『笑止。貴様こそ目障りであった』
『今宵は運が良い。ニンゲンをたらふく喰らうだけでなく、この煩わしい熊爺を屠れるのだからな』
獅子、山羊、蛇がそれぞれドス黒い邪気を放ち、黒の巨体を『任侠道』目がけ突進した。
轟音、地響き。
ぶつかり合う、巨体と巨体。
その余波で、思わず身を屈めるウェルター達。
「あの『任侠道』が信じられるかどうかはこの際どうでもいい!今がチャンスだ、この場を離れるぞ!」
ウェルターが叫びながらメイリ、ピピン、セイリーン、ガザンに目を向ける。
“銀の絆”の面々は頷き、即座に行動しようとする。
しかし。
「馬たちが怯えて動きません!」
御者ベッツが一か所に固めた馬の傍らで叫ぶ。
4頭の馬は、恐怖のあまり身を屈め、地に伏してしまっているのだ。
「やむを得ない!今は命を繋ぐのが先決だ!」
酷な判断だが仕方がない。
このまま、この場所に居ては巻き込まれてしまう。
『任侠道』がどういうつもりで『黒獣王』と対峙しているか分からないが、魔物達の意識がそれぞれ目の前の巨体に集中している今、逃げるには千載一遇であるのだ。
『ハハハハハハハハハ!逃がさぬと言ったが理解できぬか阿呆共!』
それをあざ笑う、蛇の尾。
赤く鈍く光る眼が、ウェルター達を見据える。
『貴様等の退路には、我らの従属がいることを失念しているのか!?我らが従順なる僕共よ、こやつ等を逃がすな!』
蛇の尾の無慈悲な叫び。
そう、ウェルター達の後方には、逃げ遅れた“暗闇の狼”を食い散らかしていたキマイラ3匹が居るのだ。
そして、先ほどバゼットの指示のとおり、その牽制役にディールが向かったのであった。
「くっ!ディールは!?」
ウェルター、そして元々は大魔法で駆逐とはいかずともキマイラ達に手傷を負わせる役であったガザンが振り向く。
そう、目の前の『黒獣王』にばかり意識が集中してしまっていた。
後ろのキマイラ達は、目の前の化け物には劣るとも危険度Bに該当する、危険極まりない魔物である。
しかも通常は群れを成さず、単騎でも屈強な魔物である。
それが3匹。
方や、たった一人で殿を務めるディール。
大魔法を発動させ、隙を見て逃げる作戦であったのだろうが、早々とバゼットが致命傷を負ってしまったことで冷静さを欠き、ユウネの防壁魔法に頼り切りでバゼットの回復を優先してしまった。
幾らディールが優秀であろうと、新人からいきなりBランクハンターに認定されようとも。
例え“暗闇の狼”達をいとも簡単に切り伏せられようとも。
本物の化け物、それが3匹も。
敵うはずがない!
最悪の事態までも想像して振り向いたウェルターとガザンの目に飛び込んできたのは。
「バカ…な…」
すでに切り刻まれ、絶命する2匹のキマイラ。
そしてたった今、獅子の顔と山羊の顔を両断し、そのまま蛇の尾を切り裂いて、最後のキマイラを始末したディールの姿であった。
「こっちは終わったぞ。あとはその黒何とかって奴だけだな。」
ホムラを輝かせ、平然と伝えるディールが、そこに居た。




