第32話 深淵
「どうしてそう思う?」
バゼットからの突然の問い。
ディールは動揺が悟られないように、冷静に、答える。
だが、バゼットには確信があるように見えた。
「貴方様の兄上、ゴードン殿にそっくりだからな。最初にお会いした時、驚きを隠すのに必死でしたよ。」
兄弟なのだから当然か。
しかも、一時は兄ゴードンの上司でもあっただろうバゼットだ。
「ふぅ」と一息つき、観念するディールだった。
「隠しても無駄のようだな。だが、他の連中には黙っていてほしい。」
「ふむ。訳ありと睨んでいたがどうやらその通りですな。分かりました。」
近くの切り株に腰を下ろし、ディールとバゼットは相対する。
「覚えておいでか分からぬが、貴方様と私めは、以前お会いしたことがあります。」
「覚えているよ。公爵令嬢たちと一緒に村へ、兄さんを連合軍に誘いに来たんだろ?」
ディールの言葉に、目を見開いて驚く。
「やはり覚えてなさったか。先ほど、ソマリお嬢様より私めの昔について話された時 “副団長” と口にされたから、貴方様がゴードン殿の弟だと確信したのですが……。」
「あの時、正直あんたが怖かったけどな。」
司祭を咎めた殺気を放った副団長。
それが、目の前にいる初老の執事バゼットであった。
「ははは。そんなことまで覚えておいでとは。幼い貴方様に怖い思いをさせてしまったことを後悔しなかった日はありません。ゴードン殿にも事あるごとに咎められましたからな。」
だが、今となっては好々爺といった穏やかな雰囲気のバゼットである。
「何か……変わったな、バゼットさん。」
「色々とありましたからな。今こうして、貴方様にお会いでき、あの日の謝罪が出来る幸運を女神様に感謝します。ディール様、あの日、私めらが兄上を連れ去ることとなり、本当に申し訳ありませんでした。」
押し曲がるのではないか、というくらい頭を下げるバゼット。
「頭を上げてくれ。それが兄さんの宿命であり、そして兄さんもその事を受け入れ、十二将にまでなったんだ。オレは感謝すれど謝罪されるような事とは思わない。」
ディールは手を差し伸べ、バゼットに告げる。
「ご寛容……感謝いたします。」
「それに、時折帰ってきた兄さんが嬉しそうに話してくれよ。連合軍でのこと、周りは凄い人ばかりで学ぶ事も多いと。もちろん貴方の事も尊敬していると言っていたよ。」
ディールのその言葉に、涙を浮かべるバゼット。
「……いけませんな。年老いると、涙腺が緩くなる。しかし。ディール様。今のお言葉で幾ばくか救われました。ありがとうございます。」
――――
「グレバディス教国ということは、貴方様の姉上である【水の神子】アデル様にお会いになられるということですかな?」
ディールとユウネの目的地を聞き、そう尋ねるバゼットに、頷くディール。
「詳しいことは言えないが、オレとユウネはグレバディス教国にヤボ用があるんだ。姉に会うのも目的の一つだ。」
「ふむ。ご存知かどうか分かりませんが、アデル様はすでに、他の3人の【神子】と共に教皇猊下を守護する最高位神官とも耳にした。その報が届いた時の、ゴードン殿の驚きと喜びは今も鮮明に覚えています。」
ディールも驚いた。
まさか、姉アデルがそのような地位にたどり着いているとは。
「ただ、教国は中立国であるため、戦争には一切手出しはされない。四大公爵国と帝国、双方に矛を収めるよう進言はされているが戦火は増すばかり。」
ため息をつきながらバゼットが言う。
「そして、貴方様の兄ゴードン殿は十二将第5席となった。さすがは【剣聖】だ。」
「それは、バゼットさんが席を譲ったからだろ?」
「いいや。彼の実力です。ゴードン殿は連合軍内で早々と頭角を現し、私なんぞすぐさま追い越していきました。【剣聖】の加護だけでなく、鍛錬を怠った時がなかった。まさに、女神に愛されし時代の寵児と言ったところでしょう。」
「それに」とバゼットは続ける。
「弟であるディール様も、新人ながらBランクハンター。そして鍛錬を怠らないその姿勢。それだけでも彼のゴードン殿の弟だと頷けるものです。貴方様達スカイハート家はまさに“奇跡” の一家ということでしょう。」
笑顔でそう言うバゼットだが、ディールの表情は暗い。
なぜなら自分は、落ちこぼれの烙印【加護無し】だ。
Bランクハンターというのも、ホムラの力があってのことで、自分の力ではないと思うのだ。
十二将に名を連ねる、兄ゴードン。
グレバディス教国で【神子】として修行し、高い地位を得たと思われる姉アデル。
そして、一緒に旅をするのはそんな姉と同じ【神子】を冠する加護を持つ、ユウネ。
自分だけが、この世界に取り残されている。
そんな薄暗い気持ちが、ディールの心を占めるのだ。
「何があったかは私めには計り知れませんが、貴方様はもっと自分の実力を正確に把握された方がよろしいでしょう。」
「え?」
それはかつて、先生であるオーウェンの教えであった。
「己の力というものは、過大にも過少にも評価を誤るべきものではありません。限りなく正確に、己の実力を知るべきです。己の力量を正確に知ること、得手不得手を理解すること、それは即ち『自分の価値を知ること』となります。この世界で、戦うべき相手がいること、守るべき相手がいること、それならば、自分がどう立ち回り、どのように困難を対処するか。自ずと見えてくるものです。」
その言葉に、ディールはじっとバゼットを見る。
「ふむ。老婆心ながらの忠告ですが、老いぼれの戯言と思ってどこか心の片隅にでも置いていただければと思います。」
「それ、オーウェン先生に教えたのはバゼットさんが?」
思わぬ名前に目を見開くバゼット。
「そうでしたな……あの粗忽者が貴方様の教師でもありましたな。いやはやお恥ずかしい。上司として、教育者として、あのような者を指導しきれないまま、貴方様の村に送り出したことを後悔しなかった日はありません。」
「いや、オーウェン先生から色んなことを教えてもらったよ。オレや姉さんだけでなく、村のみんなの自慢の先生だった。」
その意外な評価に、少し顔を綻ばせるバゼット。
「そうですか……。あのような粗忽者でも少しはお役に立てたようで。ありがとうございます、ディール様。」
そう礼を述べ、立ち上がる。
「そろそろテントへ戻りましょう。この先はまだまだ長い。ウェルター様もおっしゃっていた通り、寝られる時に寝ることも肝要ですよ。」
「ああ。こちらこそありがとう。バゼットさん。」
――――
「ゴードン殿の弟、ディールか。」
テント内。
グォーグォーと、大いびきのベッツに目を向けず呟くバゼット。
ゴードンの弟、という確信が持てたため、こうして二人きりになれるタイミングを見計らって話しかけてみた。
間近で見たディールの感想。
「天才の弟は、天才……か。」
連合軍の団長を務め、ラーグ公爵国の治安軍や騎士団を徹底的に鍛える教官としての今を生きるバゼットの正直な感想。
かつて自分の部下として共にした【剣聖】ゴードン。
会った当初は、剣の実力もそこそこで青臭さもあったが、めきめきと実力を付け、あっと言う間に連合軍の幹部にまで昇進した。
オーウェンが別の軍団長に昇進した際、ゴードンは副団長としてバゼットの下についたが、すでにその時には実力はかけ離れたものとなっていた。
このままでは自分が【剣聖】の足かせになる。
そう考えたバゼットは、早々に身を引くことを決意したのであった。
それでも年長者であったバゼット。
軍の細かな事務仕事や交渉術、駆け引きなど老獪な手腕については教授できることであり、そういった手腕が未熟であったゴードンは喜々として教えを乞いに来たのは僥倖であった。
そして、いよいよ教えることが無くなった。
そのタイミングで連合軍を去ったのであった。
ゴードンが第2軍団の軍団長となった日である。
程なくして、戦争が始まった。
続け様にゴードンは十二将に名を連ねることとなるのであった。
「あの時、ゴードン殿に出会ったあの日。そして私が身を引いたあの日。全て、この時のためだと言うのでしょうか、女神様。」
今、侯爵令嬢の見聞を広げる行脚道中の同行者としている。
その旅の終わりに、懇意にしてくれたメジック家から急遽馬車を用意することとなったと聞き、それならば同乗させてもらおうと願ったところ了承を得られた。
なんでも、メジック家のはねっかえりこと長女カルティネと、実力はあっても性格が歪んでいるため一族の恥晒と陰口を叩かれる末弟カーマセの友人のためとのこと。
しかも、新人ながらBランクハンターに抜擢される、天才。
何か薄ら寒いものを感じたが、侯爵令嬢を主人の館まで連れていくことを考えるとむしろ安全になるのでは。
そう打算的に考え同行したところ、まさかかつて自分の部下であった【剣聖】ゴードンの弟、ディール・スカイハートとの邂逅であった。
兄や姉と同じく、高名な、それこそ伝説級の加護を得られただろう少年。
だが何故、彼が生まれ故郷のスタビア村から遠く離れたガルランド公爵国の端にいるのだ?
疑問や疑念もある。
だが、それを詮索するのは自分の後釜を丸投げしてしまったゴードンに申し訳立たない。
かつての部下オーウェン曰く“神童”
その言葉違わぬほど、底知れぬ実力を感じる。
彼が日課だと言った素振りを見学したが “あの” マリィ・フォン・ソリドールには及ばぬもの、凄まじい気迫と完成された美しさすらあり、一朝一夕ではたどり着かない境地に達していると思えるほどだ。
そして、彼が腰から下げている“赤い魔剣”
かつてゴードンは言った。
『アゼイドが打った至高の一本を弟に渡した。』
フォーミッドで並ぶ者が居ないと称される天才鍛冶師アゼイドが鍛えた『白銀の剣』
それをいくら剣の天才とはいえ、年離れた幼い弟にそんな逸品を手渡すなんて!
ゴードンの正気を疑ったりもしたが、その素振りの姿を見て当時の考えを改めた。
だが、彼が下げているのは、兄から譲り受けた名剣ではない。
見たこともない、奇妙で美しい、赤い魔剣。
ディール自身、底知れぬ実力が垣間見えるが…あの魔剣はそれ以上だ。
「“深淵”、か……?」
世界に数振り存在しているという、その名を冠する伝説の魔剣がある。
500年前に実在した5人の大英雄。
【聖王】 ラグレス・ソリドール
【剣聖】 セナ・バルバトーズ
【魔聖】 アイザック・ガルランド
【武聖】 ウォークス・ラーグ
【聖者】 アナタシス・グレバディス
彼らが手にしたという、七振りの魔剣。それが“深淵” であったと謂われる。
彼ら自身の【聖】の加護と合わせ、その“深淵” の力を持ってうち滅ぼしたのだ。
世界に厄災を齎した絶対的な悪神 【赤き悪魔】 を。
そうして世界に平和を齎した5人の大英雄は、バラバラであった世界の諸国をまとめ上げ、内4人の英雄は【四大公爵国】を興し、【聖者】はグレバディス教国を建国したのだ。
誰もが知る、史実の英雄譚。
その後“深淵” の力が後世に悪影響ないよう、大英雄達は封じたと耳にする。
もしや、その一振りでは?
「なんてな。年甲斐もなく何を夢見するのやら。」
いびきは五月蠅いが、どんな状況でも寝られるのが優秀な兵というもの。
横になり、眠りにつくバゼットであった。
――――
「こんな偶然もあるんだな……。、」
自分のテントに戻り、毛布に包まり呟くディール。
かつて兄を連合軍に誘いにきた、あの麗しき公爵令嬢たちに連れ添ってきた副団長がバゼットだったとは。
あの時とはうって変わって、柔らかな物腰。
まさに“執事” そのものであった。
だがその洞察力、馬車の中で感じた気配。
年老いたと言ってはいたものの、その実力は計り知れない。
「オレなんて、まだまだだな。」
【加護無し】でも、兄や姉の背中に追いつきたい。
ホムラと出会い、一度心折られたその願いは、また火を灯した。
だが、上には上がいる。
【加護無し】で、バゼット含め連合軍の幹部クラスの【加護】には、到底歯が立たないだろう。
今日、バゼットという強者と出会い改めて認識するのであった。
――――
さらに更ける夜。
違うテントにいるにも関わらず、偶然にもディールとバゼットは同じ言葉を吐くのであった。
「敵わないな。」
23時に閑話をアップします。