閑話33 解放後の一幕
ディールとユウネ達がグレバディス教国を帝国軍の支配から解放して、5日が経った。
グレバディス教国とソエリス帝国を結ぶ東西の街道。
その帝国寄りの、岩山と “紫電霊峰” から伸びる山あいを結ぶ、丁度くびれの部分に当たる場所。
そこに配置されるのは、グレバディス教国の教皇軍の半数にあたる5,000人の兵士たち。
簡易的な陣と結界を展開し、帝国を睨む。
その僅か後方。
教国と帝国を結ぶ街道で最も細い地形であるこの場所で、街道整備と新たな砦の建設作業にあたるのは、グレバディス教国内で捕らえられた帝国兵約5,000人である。
教国の実効支配から捕らえられた約3,000人の兵と、支配から解放された事を知らず、新たな援軍として向かった中、かつて帝国兵が行ったような【水の神子】 アデル・スカイハート捕縛作戦のように、教国の街中までおびき寄せられて聖騎士団・教皇軍に包囲されて無抵抗のまま捕らえられた2,000人の兵だ。
捕虜として、戦争奴隷として、両腕を結ぶ “魔力縛鎖” と足鎖の重しを付け黙々と作業をする。
抵抗することも、逃げ出すことも叶わない。
むしろ先に実効支配していた同胞達は、すでに心が折られている。
“神の国である、グレバディス教国に刃を向けた我等に、いつ、神罰が下るか!”
あの日、大聖堂を包囲した自分たちの身に起きた信じられない出来事。
謎の捕縛魔法と、天空から顔を出した巨岩による猛攻。
魔剣を狙うかのように降り注ぎ、その礫が目の前で破裂して意識を飛ばした。
何の抵抗もままならぬまま、牙と戦意を折られてしまった。
さらに、実力の高い者達から何とか目を覚ますことが出来たが……。
天空を優雅に舞う、2柱の “龍神”
伝説の神々の降臨を目撃した。
そして同時に後悔した。
神罰と、神の降臨。
聖地グレバディス教国に刃を向けた自分たちは、大いなる罪を償わねばならぬ、と。
この罪を償わなければ、神罰は祖国ソエリス帝国へ向くのだろう。
それは、安寧と暮らす家族や恋人など、愛する者たちへ向くとも限らない。
震えあがる帝国兵たち。
敬虔なグレバディス教徒でない者も、怯え、毎日懺悔の祈りを欠かすことが無かった。
その後に訪れ、捕らえられた援軍たちも同様。
先に到着して支配していた仲間たちから聞かされる、惨状。
最初は “何を馬鹿なことを” と失笑したが、多くの仲間が同様に怯える姿と事の顛末を見聞きして考えを改めた。
何より、敬愛する大将団 “十傑衆” 8位アクセラートの言葉。
『オレ達は、グレバディス教国へ犯した罪を償わねば帝国に明日は無い。』
そして、その姿勢。
捕らえられた帝国兵たちに混ざり、同じように作業へ従事するアクセラート。
尊敬する将軍の一人が、しかも浮名を馳せ将軍内で最も軽薄な男が、一心不乱に作業する姿は他の帝国兵の心に危機感を植え付けるには十分すぎた。
何より、その監視体制。
前方で帝国からの援軍を迎え撃つかの如く陣を構える教皇軍だけではない。
屈強な聖騎士団100名が、周囲を警戒に当たっている。
逆らおうものなら、逃げようものなら、慈悲深い聖騎士団ですら容赦しないだろう。
加えて、とてつもない人物もその警備に混ざっているのだ。
「はぁ~~。今日もきっつい作業だったわ。お、シオンちゃんも、警備お疲れ様っ!」
今日の作業を終え、汗だくのアクセラートが笑顔で挨拶をする女性。
連合軍十二将第2席【風姫】シオン・マーキュリーだ。
ギロリと睨む、シオン。
「気安く声を掛けるな、下郎。」
「あららー。可愛い顔しているのに、言うことが相変わらず厳しいねぇ。」
頭をガクッと下げるアクセラート。
ますます苛立ちを強めるシオン。
シオンは、グレバディス教国に残った。
先の “会談” で決まった【来月開催の連合軍総統を交えた戦争回避の会談】
本来なら、その顛末を報告しに連合軍本部フォーミッドへ足早に戻るのだが……。
実は、リュゲルとナルがその役目を請け負った。
ナルの加護【翼獅子の剣王】
『翼獅子』という幻獣を召喚することのできる、強力な加護。
ミロクの付き人モアラが召喚した『双頭鷲』に跨り、帝国へ戻るミロクとモアラを見て、ナルが『私のシシマルも同じことが出来ます! それなら、素早くフォーミッドへたどり着けます!』と申し出たからだ。
だが、シシマルこと『翼獅子』に跨り、空の飛べるのはナル含め2人まで。
そうなると、誰がフォーミッドへ戻り、十二将や総統への報告をするのか、一目瞭然だ。
十二将としての立場。
そしてガルランド公爵国次期国王としての責務。
これらを賭けて会談の場に総統マリィを連れてくると伝えたリュゲルである。
思わぬ、リュゲルの想い人ナルとの空のデート。
顔を真っ赤にして了承と懇願をするリュゲルであった。
そしてナル自身も、顔を真っ赤にしてその提案した役目を果たすと豪語した。
こうしてリュゲルはナルの『翼獅子』に跨り、ナルと共にフォーミッドへ向かった。
リュゲルは分かる。
責任と役割を真剣に全うするだろうが、その内心は歓喜に満ちているだろう。
だがナルは分からない。
自分と同じく、ディールが好きなはずだ。
行方不明になった彼を探して、フォーミッドまで単身やってきた幼馴染。
……どうも、最近は違うらしい。
恋敵であるはずのユウネとも、シオンとも仲良く楽しそうに会話をするし、恋心寄せるはずのディールよりも、どちらかというとリュゲルと会話をする時間のほうが、長く、楽しそうだ。
……よく分からない。
同じ女なのに、その女心が、よく分からない。
首を捻る、シオンであった。
ただ、ナルがリュゲルをフォーミッドへ連れていくとなると、自分はどうすればいいのか?
それを“四天王”の筆頭レナに相談したところ、『捕らえた帝国兵が良からぬ事を考えぬよう、抑止力として尽力いただけないか?』 という提案があった。
“働かざる者、食うべからず”
仮にも新人でも、自分は連合軍十二将だ!
しかも、姉は“世界最強”の一角で世界的に有名な、シエラ・マーキュリー。
その妹が、シオンが、何の役にも立たないなど、言われたくない!
二つ返事で了承するシオンだった。
だが、ここに来て後悔している。
働く帝国兵共は、不気味なくらい真面目に働いている。
どうやら、ディールの恋人ユウネが実行した “作戦” と、大空に顕現した“龍神様たち” の影響が大きいのだと、目の前のアクセラートから教えてもらった。
後悔の原因は、この、気安く話しかけてくるアクセラートだ!
正直、うざい。
捕らえられた捕虜のくせに、色目を使って毎日毎日、シオンを見つけては気軽に話しかけてくる。
連合軍の軍団に在籍していた際も、軍団長になった際も、そういう男はいた。
“風姫” という二つ名を付けられた自分。
姉同様、軍の男性陣から求愛行動を多く取られていると、客観的ながら理解していた。
姉はそれを、うまく往なしながら意中の相手にのめり込んでいた。
だが、自分は違う。
恋慕の情など、人を弱くする。
事実、あの姉は逃げた。
だが、ディールを初めて見て、一目惚れした。
目の前にすると、うまく会話ができない。
心臓が飛び跳ね、顔は高揚し、全身から汗が噴き出る。
気が狂いそうなほど、心が躍った。
彼を前にすると、何も手が付けられなくなる。
彼には麗しい恋人のユウネが隣にいても、だ。
おかしい。
こんな自分、おかしい!!
それも、この任務に就いて落ち着きを取り戻した。
やはり、恋慕の情は、人を弱くし狂わす。
しかし、目の前のこの優男……。
ますます苛立ちが募る。
どうせなら、ディールが良かった。
「って顔しているね、シオンさん。」
「は、はぁっ!?」
ズイッと顔を近づけるアクセラートが茶化すように、心の内を暴く。
顔を真っ赤にさせ、大声をあげるシオン。
思わず、背負う魔剣 “鈴姫” に手がかかる。
汗を垂れ流し、後ろへ素早く下がるアクセラート。
「や! ごめんて! 冗談が過ぎました!!」
「くだらない事を言っていないで、早く水浴びと食事へ迎えっ!!」
そそくさと退散するアクセラート。
盛大なため息が、出る。
おかしい。
どんな男性だろうと、その心を乱すことは無かった。
ディールという例外を除いて。
だが、あのアクセラートには、苛立たされる。
心が、むしゃくしゃする。
うざい。
腹立たしい。
そんな感情さえ、恋慕の情を向ける男共にすら無かったのに!
「ア、アクセラート将軍。よくこの状況であの “風姫” に啖呵を切れますね。」
話し掛けてきたのは、帝国兵の部隊長だった男。
同じように頷く、何人かの兵達。
「ああー、あれくらい大丈夫だよ。シオンちゃんは、優しい子だからね。」
呆れかえる、兵達。
流石は帝国軍随一のチャラ男だ、と半ば呆れ、半ば感心するのだった。
「ところで君たち。今夜、少し時間はあるかい?」
急に真面目な表情で言う、アクセラート。
「はい! (……ここから、逃げ出す算段でしょうか?)」
ヒソヒソとアクセラートに耳打ちする部隊長。
ニヤリ、と笑うアクセラート。
(それは、話しを聞いてからのお楽しみさ。)
夜な夜な語られる、アクセラートの談義。
シオンは知っている。
そして、黙認している。
アクセラートが語るのは、帝国の現状。
グレバディス教国を襲撃した、帝国の未来の、末路。
祖国に残した、家族や仲間に起こり得る、惨状。
それらの元凶。
先代皇帝オフェリアを暗殺し、大将軍カイゼルと共に世界の覇権を狙うオズノートという野心家。
彼らを唆す、アーシェという悪女。
そして、そんな元凶にまんまと踊らされ、意気揚々とグレバディス教国を襲撃してしまった自分達の末路。
それを正そうと顕現された、“ユウネ様” という新たな女神と、天空から降臨された2柱の “龍神”
震えあがり、涙し、歓喜する帝国兵たち。
神に祈り、自らの罪を悔い、そして償うことを一心不乱に考える。
シオンは、黙認している。
アクセラートが為そうとしていることを。
「……あのお調子者じゃなければ、良い男なのかもしれないのにね。」
おかしい。
なんで、心が、跳ねるのだろう。
シオンは胸に手を当てて、小さくため息をつくのであった。
――――
「まさか、こんなに早くフォーミッドへ到着するなんて!!」
グレバディス教国から飛び立ち、わずか6時間。
馬車なら2週間の旅路が、空を飛翔する幻獣ならばここまで早く移動が出来るのか、と驚愕する連合軍十二将第4席のリュゲル。
その隣で汗だくで荒い息をする、リュゲルの想い人で友人ディールの幼馴染である、ナル。
「大丈夫ですか、ナルさん!?」
「ぜぇ、はぁ、ぜぇ、はぁ……だい、じょう、ぶ、です。」
魔力の枯渇衝動だ。
顔を青白くさせ、噴き出る汗を拭いながらナルが精一杯の笑顔で答える。
しかし、顔を歪めて咎めるリュゲル。
「全然大丈夫に見えません! だから言ったのです、途中で降りて休みましょうと!」
「はぁ、はぁ、一刻も、早く、総統閣下へ、お伝えしなければ、です、よ。」
それにしても、良くここまで持ったとナルは自分自身に感動している。
ディールを探しフォーミッドまでの旅路では、わずかな時間でしか『翼獅子』を召喚できないほど、魔力が乏しかった。
それが、グレバディス教国を目指す道中。
リュゲルとの鍛錬の日々。
遥か格上であるリュゲルと打ち合い、魔力操作や魔力を引き出す訓練など、連合軍式やガルランド公爵式の鍛錬を繰り返し、日に日にその力量が上がったナルである。
いつの間にかナルだけでなく、成人男性を一人乗せても飛翔できるまで、召喚時間とその力強さが増したのだ。
それでも、無理をしたのは明白だ。
だが、ナルにもプライドがあった。
(私のこと、好きだって、大事にしてくれる、リュゲルさんの、役に立ちたかったのよ!)
もちろん、そんな事は死んでも言えない。
“リュゲルに相応しい女になるまで、甘えや姑息な考えは、封印!” と心に決めた。
好きだという感情のベクトルを全力で向けてくるリュゲルに対し、自分の、この “好意” を気付かれてなるものか! と、私が好きなのは、まだ、ディールなの! と、自分に言い聞かせるように思うナルであった。
それは即ち。
ナルの心は、すでに……。
「仕方ありませんね。」
ため息を吐きだし、リュゲルは意を決する。
「ひゃ、ひゃあっ!!」
ナルが顔を真っ赤にして大声で叫ぶ。
リュゲルは、息を絶え絶えにするナルを、両腕で抱き上げた。
所謂 “お姫様抱っこ” である。
「ちょ、ちょっと! リュゲル、さん!?」
「暴れないでください。このまま、まずはテレジさんのお店へ行きます!!」
ナルを抱えたまま、走りだすリュゲル。
「ひゃ、ひゃああ!!」
「ナルさん! しっかり掴まって!!」
ナルは、リュゲルの首に両腕を回す。
顔は、2人とも真っ赤だ。
さすがは十二将に名を連ねる男、リュゲルである。
ナルを抱えながらも、素早く、そして全力で走り続ける。
その真剣な表情から、目が離せない。
目を潤ませ、顔はゆで上がるかのように真っ赤なナル。
(こんなの……。ダメに決まっているじゃ、ない。)
先程、自分に言い聞かせた言葉は何だったのだろう。
ダメだ。
ダメに、決まっている。
(私、リュゲルさんの、事……。)
飛び跳ねるように高鳴る心臓。
目が離せない真剣な横顔。
認めたくない。
認めざるを得ない。
でも、認めたくない。
認め、たく……なかったのに。
「さぁ、テレジさんのお店に到着です!」
テレジの店の、裏手側。
少しだけ息を荒げ、ナルに笑顔を向けるリュゲル。
ナルは顔を赤らめ、ポーッと、リュゲルを見つめ続ける。
「あ、す、すみません。今、降ろしますね。」
同じように顔を真っ赤にして、ゆっくりとナルを降ろすリュゲル。
この場所は、ナルが、ユウネが、初めて向き合った場所だ。
自分が拳を突き刺した大木が見える。
「ふふっ」
思わず笑みがこぼれるナル。
焦る、リュゲル。
「す、すみません……。」
「なんで、謝るんですか。」
目を潤め、笑顔でリュゲルを見つめるナルは、そのままリュゲルの胸に飛び込んだ。
「ナ、ナル、さんっ!?」
「お疲れ様、です。あと、ありがとうござい、ます……。」
ナルが、拳を突き刺した大木が風で揺れる。
まるで、2人を祝福するように。
ナルはそっと顔をあげ、リュゲルの顔を見つめる。
その顔は、真っ赤だ。
リュゲルは、普段から伝えている言葉を、改めて口にする。
「ナル、さん。……好きです。」
いつもなら「お応え出来ません。」と言って逃げていたのに。
何も言えず、ただ、リュゲルを見つめることしか出来ない。
……ズルい女、だよね?
あの決意を不意にしてしまうと、この人に申し訳ない。
安い女って、思われたくない。
意思の弱い女って、思われたくない。
それなのに。
何て、脆い決意と、意思だったのだろう。
身体が、心が。
全てが、この人を、求めてしまう。
もう、ダメだ。
この人の事しか、考えられない。
「……貴方が、好きです。誰よりも、貴方が、好きです。」
偽れない、本心。
だけど。
今度こそ、軽蔑されたかしら?
呆れられたかしら?
あれだけ、ディールを追った、女なのに。
いっそ、罵って欲しい。
安い女だと、軽蔑して欲しい。
……嘘だ。
嫌われたくない。
この、素敵で逞しい人に、嫌われたくない。
初めて会ったあの日から、ずっと紡いでいてくれたように。
『好きだ』って、言って欲しい。
私は、ようやく、言えた。
貴方の事が、好きと、言えた。
目を逸らし、抱きついたまま顔を埋める。
気持ちを伝え、高鳴る鼓動と、幻滅されるかもしれないという恐怖心からか、身体が震える。
そんなナルに、リュゲルは、噛みしめるように伝える。
「やっと、応えて、くださいましたね。」
顔を上げ、目を見開くナル。
その視線の先には、笑顔のリュゲル。
そして、その目には、大粒の涙。
「貴女のこと、絶対に幸せにします。お約束します。ディールさんとユウネさんの二人に負けないくらい、貴女を幸せにします。……私の、女神様。」
ナルの目から、涙がポロポロと零れ落ちる。
もう十分。
この言葉だけで、十分だよ。
「リュゲルさん、貴方も、一緒に幸せになりましょう。」
「もう十分、幸せですよ。貴女に応えていただけたのですから。」
クスリと笑う、ナル。
「それは、私の台詞です。もう十分、幸せです。」
2人は目を閉じ
優しく、唇を重ねた。
後に、救世の英雄 “剣神ディールと女神ユウネ” と共に語り継がれる『三大純愛物語』の一つ。
“純愛を貫いた王子様と平民の娘の、身分を越えた愛の物語”
その二人が、今、結ばれた。
唇を重ねるリュゲルとナルを、店舗2階の窓から微笑みながら眺める女性が1人。
店のオーナー。
【剣聖】ゴードンの妻である、身重のテレジであった。
「うふふ、やっぱり結ばれたのね、あの2人。さぁて、ここから声を掛けるのは野暮ってもんかな?」
窓の枠に頬杖を突きながら呟くテレジ。
余談だが、この二人の純愛物語の作者とされるのがテレジ・スカイハートである。
もちろん、それは別の話。




