第10話 魔窟
「なんとか…バックの中身も大丈夫だな。」
仄かな緑明かりに照らされながら、ディールは一旦ストレージバックの中身を全て出してチェックする。
愛剣がほぼ使えなくなっている今、命綱はこの荷物だけである。
大河に流されたが何とか命は助かった。
だがしかし、村人たちから受けた無慈悲な現実。
敬愛する兄から譲り受けた愛剣の損壊。
心が折れそうになりながらも、村長の言葉を思い出した。
『グレバディス教国へ向かいなさい。』
ディールはこの言葉を信じ、前を向くこととした。
そして、いつか兄が話してくれた言葉を思い出していた。
『例えどんな困難があっても、前を向いて、諦めない奴がこの世で一番強い。ディールは、そういう奴だ。』
そうだ。自分は決して諦めない。
前を向いて、歩こう。
そう決意したディール。
落ち着きを取り戻し、まずは現状確認とした。
「村長の言ったとおり、10日分の食料と水、それに薬や着替え、お金は…金貨3枚と、銀貨20枚、あと銅貨が100枚か。結構奮発してくれたな、村長。」
取り出したものをバックにしまう。
いや、一つだけ、薬であるポーションを残した。
蓋をこじ開け、中身の緑色の液体を飲み込む。
すると、身体中の切り傷、擦り傷が瞬く間に治っていく。
「…ポーションがあってよかった。これで緑…下級ポーションは残り5本。黄色の中級が2本。赤色の上級が1本。大切に使わないとな…。」
薄暗い洞窟の中。
魔物に襲われ怪我をしたときに傷を治す生命線と言えるのがポーションである。
下級ポーションは、軽い切り傷や擦り傷を治す程度の効能である。
中級は、それよりも重い傷に対して効果がある。
上級ともなれば、四肢欠損でない限り、骨折や内臓損傷まで治癒する非常に高価で希少なポーションである。
こんな高価なものまで用意しているとは。
さすが一村の村長。
いや、最近のスタビア村の好景気を見れば納得いくものであった。
「まずは、外に出なければ…。いや、その前に、武器探しだな。」
ここは未踏の魔窟。
しかし、自分は運よく大河にそのまま流されず、岩場に引っかかり助かった。
同じように流されながらも助かった者がいるかもしれない。
…不謹慎だが、そういった者がこの洞窟で力尽き、その手に握られていた武器が手に入るかもしれない、と考えるのであった。
いつ魔物に出会うか分からない状況だ、四の五の言っていられない。
岩場の隙間から見えるヒカリゴケの緑明かりを頼りに、大河の下流側に向けて歩みを向ける。
上流側は…スタビア村だ。
今、こうしている間にも追ってが来るかもしれない。
普段、一対一なら負けないが、先ほどのような多勢に無勢ではさすがのディールでも防ぐだけで精一杯であった。
それに愛剣も折れている。
まずは村から離れつつ、この洞窟から脱出することを念頭に動く。
その道中、出来れば剣を手にしたい。
「…先はだいぶ長そうだな。」
歩き続け、体感では3時間といったところか。
しばらく進むと、大河はより洞窟の奥深くへと流れて行った。
行き止まりか、と思ったが、大河との分かれに通り抜けられる穴があり、そこを這いつくばって何とか通ったところ、相当広い…高さ10m、横幅は30mあろうかの空間に出た。
壁一面は、ヒカリゴケがびっしりと生い茂り、それなりに明かりがある。
「魔物に出くわす前に…」
そう、武器がほしい。
道中、何体かの白骨死体を見かけた。
大河に流されてたどり着いた者がいたのだろうか?
しかし、出口が一向に見えない薄暗い魔窟の内。
食料もなく、ただ彷徨って餓死したのか。
それとも魔物に襲われたのか…。
ああはなりたくない、と心を奮い立たせ、前へ、前へと進むディール。
死体を見かける都度付近を捜してみたが、武器らしい武器は無かった。
ところどころにある柱のような岩場に身を隠しながら進む。
ここはかなり広い。魔物に見つかっても逃げられるかどうか…。
その時!
『グルルルゥゥゥウ…』
何かのうめき声。
ディールはすぐ脇の岩場に身を隠した。
『ドスッドスッドスッ…』
うめき声の主の足音か。
だんだんとディールに近づいてくる。
早くなる鼓動。
押さえつけようとしても押さえつけられない動悸。
額、手のひら、背中。
全身から汗が噴き出る。
村に居たころ何度か魔物を退治した経験はある。
だが、近づいてくる『ヤツ』は、恐らく格が違う。
全身が警鐘を鳴らす。
『逃げろ』と本能が叫ぶ。
このまま見つからずやり過ごすのが一番だが、果たして。
だが、その願い空しく、文字通り打ち砕かれるのであった。
『グルワアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァ!!!!!!』
けたたましい獣の叫びと共に、ディールが隠れる岩場が破壊された!!
危険を察知したのか、咄嗟に身をかがめ、転がるように逃げようとしたディールの、すぐ、そこに居た場所に、薄黒く銀色に光る何かが岩を両断し地面にめり込んでいた。
「マジ…かよ…」
思わず呟く。
岩を両断したのは、巨大な斧。
村長の息子のナバールが手にしていたものとは二回り以上大きい。
それを軽々と持ち上げた『ヤツ』は、眼を赤く光らせ、ディールを見据える。
「ミノタウロス…!!!」
ヒカリゴケに照らされた、黒々と輝く筋肉の鎧。
太い血管が浮き出ている大木のような腕。
牛を彷彿とさせる顔に、成人男性の腕の太さはあろうかの両角。
およそ3mはあろうかという巨体を持つ凶悪な魔物…ミノタウロスがそこに居た。
「こんなに…でかいのかよ…」
ディールは震える身体に克を入れ、折れた愛剣を鞘から抜く。
話に聞いていたミノタウロスは、せいぜい成人男性より多少大きいくらい。
それでも危険な魔物とされるが、目の前のこいつは、はるかに巨大だ。
『グルアアアアア!!!』
思わず耳を塞ぎたくなるような咆哮をあげ、ミノタウロスは巨大な斧を振り回す。
あちこちに生えている岩ごと切り裂き、ディールを襲う。
「くそお!!!」
その斧の旋風を紙一重で躱し、ミノタウロスの足元へ滑りこむ。
通常よりも巨大な身体が仇となったか、ミノタウロスはすぐに反応できない。
その足に、折れた愛剣で切り付ける。
『ガキン!』
しかし、まるで鉄と鉄を打ち付けた硬化な大音が響くだけで、ミノタウロスには傷一つ付いていない。
「うそ、だろ!?」
傷さえ付けられれば…何度か切り付ければ、逃げられたかもしれない。
そんな期待があったが、まさかの無傷。
ディールのその驚愕が、一瞬の隙となった。
『ガアアアアアア!』
足元のディール目がけて、再度巨大な斧を振り下ろす。
「クッ!!」
無理矢理、身体を捻らせ避けるディール。
だが、一瞬の隙が大きかった。
手にもつ愛剣に斧が掠る。
『バキャッ!』
鈍い音。
走る右手の衝撃。
何とか剣を手放さなかったが…、愛剣は、さらに砕け、もはや柄と鍔くらいしか残っていなかった。
「くそお!!!」
ディールは走る。
ミノタウロスが斧をまだ持ち上げていないその隙を狙い、真っすぐ走る。
さっき見た白骨死体は、空腹でもなく、こいつにやられたんだ――そんな気さえする。
このままでは、自分もあの死体の仲間入りだ。
武器を持つ凶悪な魔物から逃げ切れるとは到底思えない。
だが、一縷の望みを賭け、ひたすら走る。
『グルアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!』
憤怒の叫び。
”なぜ貴様は逃げる”
”最後まで戦え”
”足掻け”
そう言わんばかりに、ミノタウロスは隆々の血管をさらに浮かびあがらせ、ディールを追う。
その速度は段違い。
ディールも足は速いが、ミノタウロスはその倍も違う。
「ハアハアハアハア!ころ、される…いやだ…死にたくない…」
そう、今日は生まれて初めて、色んな”殺意”に触れた。
加護無しと判明した瞬間の、司祭。
父のように優しくしてくれた、ナバール。
さっきまで笑顔で挨拶を交わしていた、村人たち。
そして、物凄い勢いで自分を殺さんとばかりに迫る、魔物。
「助けて…助けて…助けて…」
目の前が滲む。
汗と涙で、全身がグショグショだ。
迫りくる死の恐怖に、ディールは全力で逃げた。が、
「うわぁ!!!」
多少明るくなったとはいえ、薄暗い洞窟の中。
足元はゴツゴツとした石と砂。
一心不乱に走っていたせいか、石に躓き、転び、倒れてしまった。
その瞬間だった。
『ブオォォォン』
何かがディールの頭上を過ぎ去っていった。
『ガゴン!!!』
それは、数メートル先の大きな岩場に突き刺さる。
ディールは顔を上げてギョッとする。
それは、ミノタウロスの斧だった。
そう、ミノタウロスはディール目がけて斧を投げたのだ。
もし、この場で倒れていなかったら…ディールは胴を真っ二つにされていたのだろう。
まさに一瞬。
その一瞬が、ディールの命を辛うじて繋いだのだった。
慌てて後ろを振り向く。
まだ距離はあるが、ミノタウロスの全身から噴き出る殺気を感じる。
「あ、あ、あ…」
いずれにせよ、得物は手を離れた。
この場を一刻も早く抜けなければ…
ディールは震ええる身体に鞭を打ち、立ち上がろうとした…。
が、ふと、左側に横穴があることに気が付いた。
「あああああ…」
這いつくばるように、ディールはその横穴に転がり込んだ。
1m四方くらいの穴だ。
奥行はそれなりにある。
あんな巨大なミノタウロスは入ってこれるはずがない。
しかし。
『グモアアアアアアア!!!!』
ミノタウロスの叫び声。
そして、横穴の壁を殴り、破壊しようとする轟音。
「うわぁああああああ!!」
ディールは必死に、穴を這いづるように進んだ。
ミノタウロスの叫びと、破壊音が鳴り響く。
「はぁ…はぁ…はぁ…」
穴に入り、20mくらい進んだのだろう。
かなり長い穴であった。
もしかすると、ワーム状の魔物の巣かもしれないが…火急の危険は避けられた。
しばらくミノタウロスは叫びながら壁を破壊しようとしていたが、無理だと悟ったのか、その足を遠くへ運んだ。
「助かった…のか…?」
どうしよう。
戻ると、またミノタウロスに襲撃される可能性が高い。
そしてこの不自然までの横穴。
魔物の巣であれば、このまま突き進むとかち合ってしまう。
戻っても、進んでも、死の気配が纏わりつく。
右手に握る『モノ』を見る。
すでに、柄と鍔だけになった、愛剣。
白く輝く刀身は、無い。
「兄…さん……。姉…さん…。」
愛する家族のことを思い、ディールはその場で伏せた。
すでに心は折れかかっている。
【剣聖】【神子】という英雄になった、兄と姉。
自分もそれに連なる加護を授かると、疑いもしなかった。
だが、現実は、加護無し。
落ちこぼれの烙印。
仮に、命が助かっても。
仮に、兄や姉に会えても。
自分は、この世界に居場所は無いのではないか?
だったら、今、この命を終わりにしたほうが、楽になるのではないか?
苦しい。
助けて。
死にたくない。
死にたくない。死にたくない!!
ディールの慟哭が響く。
「ああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」
本日は2話掲載です。