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クリスマスタブロー(其8)   作者: 城☆陽人
1/1

即売会

青緑色に濁った川の水は流れているとも思えないが、もう淀川の支流の最下流である土佐堀川の川辺に下りて、海鳥が、カモメだろうか?ビル街の中を飛び、水面に舞い降りていった姿が見えるベンチに座り、葵に差し出されたランチBOXを靖男は開けた。

「おっ、卵サンドとツナサンドだ」

「この間、城くんが言っていたじゃないか、『サンドイッチはごちゃごちゃ混ぜたのは分からない』って」

「そうでしたっけ?」

「ほら、この間一緒に歩いていた時にサンドイッチを売っているワゴンがあって、食べるつもりはなかったけど見ていた時に」

「あぁ、そういえば」

「『なんか、ああいったのって豪華にみえるけど、食べてみたらなんだか味がごちゃまぜになって美味しいのかどうなのか』なんて言ってたじゃない」

「そういや、そんな事を言った気も・・・でも、そうなんです。見た目も豪華だし、高いからきっと美味しいと思って期待していても、なんか結局ベーコンとレタスと卵とチーズを混ぜたサラダを食べただけの気がして」

「と言うか、それらを混ぜたのがクラブハウスサンドじゃないか」

「確かに。でも、それがサラダだったら別にどうって事ないものなんだけど、サンドイッチで綺麗に断面を見せられたら、分かってはいるんだけど美味しそうに、見た目には思えるんですよねぇ」靖男が苦笑する。

「でもな、女の子には、見た目も味なんだぞ。作っていて、少しがっかりした。女の子はな、見た目の綺麗な料理を作るのも楽しみなんだぞ。その卵サンドにも、レタスを入れたいな、とか、ハムのピンクを添えれば綺麗だな、なんて思いながら、城くんの好みを考えてシンプルにするのは、楽とはいえ、少し物足りなかった」

「ううむ?」早速、卵サンドを頬張っていた靖男は、口をモグモグしながら言葉にならない返事をする。

「まぁいい。その代りサラダは頑張った。シーザーサラダだ。ドレッシングから手作りだぞ」葵はもう一つ、タッパーを取り出し、ドレッシングを入れた小瓶を振り始めた。


「しっかし、どーしてマヨネーズって最強なんでしょうね。卵によし、ツナによし、ハムにも合う。完璧な調味料です。あ、シーザーサラダのドレッシングもあっさりしたマヨネーズみたいだし」

「シーザーサラダドレッシングにもマヨネーズを入れている。本格的に作るのも、お酢とサラダ油と卵黄を入れるから、マヨネーズと一緒と言えるが」

「ふぅ~ん」

「後、パルミジャーノチーズが隠し味だ」

「チーズのコク、ですか」

「分かるか?」

「粉チーズとどう違うか・・・までは」

「そこは、もう少し言いようがあるとおもうのだが・・・」思わず、葵は苦笑した。


「そう言えば、大学でオー・ヘンリーを講義で取っていると言ってましたね。好きなんですか?」

「好きじゃなかったら、別の講義にしていた。1回の講義で1作品を原文から読み込んでいく。一週間で英文を読み起こすのは大変だが、翻訳本もあるからな。で、それを読み返してみると、こんな風に訳していたのか、って驚く事が多々あってだな・・・」

「へぇ~」最後の卵サンドを食べながら、靖男がそっと相槌を打つ。

「私では思いがけない、辞書には載っていないが、文章として読むと見事にパズルのピースが嵌ったような言葉が、そこに何気なく書かれている。そんなのが、それらをみんなで、あ、英語の小説を読むってのは難しいと敬遠されているのか小人数なんだ、そこでみんなでディスカッションしていると、あっと言う間に講義が終わってしまう。それでも、講師の部屋に連れ立っていて、お茶を出してくれて話が盛り上がる。それが面白いんだ」

「大学の授業ってそういう風なんですか。楽しそうでいいなぁ」

「面白くも無い、単位を取るだけの講義もあるがな」

「そうそう、話が逸れましたが、オー・ヘンリーが好きで、もし、ナサニエル・ホーソーンの『ウェイクフィールド/ウェイクフィールドの妻』が気に入ってもらえたのならば、SF、と言うか、ファンタジー、と言うのか、ジャック・フィニィと言う作家がいまして、その、『ゲイルズバーグの春を愛す』って言う短編集がありまして、それなんかもお勧めです」

「ふむ」今度は葵がシーザーサラダを口にしていて、手で口を隠しながら小声で返事をした。

「それはどんな話だ?」

「例えばそうですね・・・ある死刑囚が、川に掛かっている橋で絞首刑になった時に、突然ロープが切れて、川に落ちる。川の流れは速く、死刑執行人は追いかけられない。そして、故郷に向かって歩みを進めていると・・・」

「いると?」

「それは、お楽しみ。もっとオー・ヘンリーみたいな、ほっこりする話もあったんですが、ちょっと今、思い出せなくて」

「ジャック・フィニィの『ゲイルズバーグの春を愛す』か。今度、読んでみるか。どこから出版している?」

「ハヤカワだったと思います」

「そうか、覚えておく。ところで、もう行かないか?」

「ふぉうれふね(ゴクン)。行きましょう」ランチBOXに残っていたツナサンド(どうやら城くんは大好物だから、最後に残していたらしい)を飲み込み、靖男も後片付けを手伝って、いざ、漫画サークルのブースが集まっているエリアに向かおうと2人は立ち上がった。


・・・あ。

葵は思った。


手を・・・繋いでくれた?


うん・・・さり気なく、ごく自然に出来た筈。

靖男は、少し安堵していた。


土佐堀川の堤防を、それ程急な坂ではないが、そこを登るのを機会に、葵の手を握ったのだ。

堤防の上にあがり、歩道に辿り着いた時、靖男はチラッと葵を見た。

「邪魔じゃなかったかな?・・・もし嫌だったら・・・」

葵は言葉を遮るように、靖男の手をギュッと握り返し、ニコリと微笑んで答えにした。


靖男にとってはそれで十分だった。

葵さんの手は、身長と同じく小さかったけど、温かかった。


2人はそうして、手を繋いだまま漫画サークルの集まっているエリアにゆっくりと歩いて行った。


「どうかな?やっぱり人気のサークルは早々に売り切れてしまっているのだろうか?」

「どうでしょうね。コミケみたいな大きな会場ならばそういう事もあるでしょうが、こんなこじんまりとした会場ですしね。案外メジャーなサークルが出ていても、逆に穴場になっているかもしれないですし」

「そうだな・・・そうであったらいいな」

「え?葵さん、どこか気になっているサークルがあるんですか?」

「え、いや、あの・・・あ、淡河雲さんのサークルが今回特別に東京から来ているらしいのだ。・・・もちろん、本人は来ていないと思うのだが・・・」

葵は、淡河雲という、少しミーハーな、というか流行りで、業界で今、もてはやされている作家が気になっている事を、城くんがどう思うか気になりながら、思い切って口にした。

「え?淡河雲?それはメジャーどころが来ていたんですね!自分、チェックし忘れていました」

「だから・・・もし運がよければ手に入れられれば・・・なんて思っているのだが・・・」

城くんが気にかける事無く答えてくれたので、葵は安心して言葉を繋げられた。

「結構、大阪の、こんな小さな会場ですから、誰もチェックしてなかったりするかもしれませんよ。自分みたいにね」

「そうか・・・そうだな!そうだといいな!」


カタログに掲載されていた淡河雲のサークルブースがある筈の場所には、人がいないどころか、テントも机もたたんで置かれていて、まるでサークルが元から参加していない雰囲気が漂っていた。

2人は暫し呆然とその前で立ち止まり、場所が間違っていないか、カタログとにらめっこして確認していた。


「おい、そこのカップル」

と、暇そうに煙草をふかしている隣のブースの男が声をかけてきた。

「あんたらも淡河雲の本を求めて来たのか?」

「え・・・ま、まぁ・・・」靖男が少し驚きながら答えた。

男は、またか・・・ってな感じで煙草を灰皿に押し付け、

「素人さんが、そうやってこんな時間によく来て、キョロキョロしてんだよ。またか、って感じだわ」

と、再び煙草に火を点けた。男のブースでは、売れ残りの同人誌が高く積みあがっている。

「あのなぁ、ああいうサークルならコミケで買えなかった連中が山ほどいるんだ。そういう奴らは地方で出店されると分かるや否や、交通費も惜しまず何処にでも押しかけてくる。もう徹夜で開場を待っていて、開場するや速攻で突入してきて、ものの10分もしない内に完売よ。まぁ、100部程度しか持って来ていなかったみたいだったけどな」

ただ、呆然と男の言葉を聞いている靖男と葵をチラリと見た男は言葉を続けた。

「あいつら、多分、大阪観光に来る次い、って思ってたんじゃないか。5人で来ていたから20部づつなら手荷物で持って来られるだろうし。今頃は、どっかで昼間っから打ち上げの宴会でもしてんじゃねぇの」

「・・・そうなんですか・・・」なんとか靖男が答えた。

「そう。あんたらも『おたく』の根性をなめたらあかんぞ」


「ふうっ」

結局、数サークルを覗きながら淀屋橋まで歩き、京阪電車の特急に乗り込んだ。淀屋橋が始発駅だから、10分足らずホームで待っていると苦労せず座る事が出来た。休日の午後4時前、もちろんサラリーマンはいないし、レジャーや行楽に行っている人達はまだ帰路に着く時間じゃないので車内は空いている。おかげで気兼ねなく話をする事が出来た。

「結構歩きましたね。疲れませんでした?」

「うむ。体力的には大丈夫だが、心理的に色々疲れた。なにしろ、ああいった即売会に参加したのが初めてだからな。情報が一気に流れ込んできて、頭が少しパニックになっている」

「そうですね・・・自分もそうです。思っていたのと実際の即売会が随分違っていましたし・・・そして」ここでお互いの気があったのか、自然とお互いの視線が合い、指をさし合って、

「『あんたらも『おたく』の根性をなめたらあかんぞ』!」

2人の声が合い、思わず声を出して笑い合った。

「あれは面白かったな」葵は、さすがに電車の中なので、笑い声を抑えながら言葉を続けた。

「城くんがロリコン系雑誌に小説を載せている、おたく的には1枚も2枚も上の人とは思ってなかったんだろう」

「まぁ、それはそうなんですが・・・なんというか、『おたく』に意地みたいなプライドを持っているようで、それがウザイほど押しつけがましくて・・・それが『おたく』らしいというのか、自分が思っている『おたく』らしいなぁ、って」

「そうそう、私が城くんに会うまでに思っていたおたく像、って感じの発言だった。まぁ、見た目は、そうおたくおたくしてなかった気がするが。・・・そう言えば、よく言われている典型的な『おたく』した人って殆どいなかったな」

「そうですね。あれは雑誌が作り出した過剰な典型例なのかも知れませんね」

「だな」

(数年後、2人はコミケで、雑誌にあった、ぼさぼさ髪の黒ぶちメガネ、アニメキャラのTシャツにアラレちゃんみたいなオーバーオールって姿が実在し、それも少数ではなく会場を占拠していた光景を見る事になるのだが、それは後のお話)

車窓の右側にひらかたパークが通り過ぎていった。まだ閉園までの時間を惜しんで遊んでいる家族がいるかのように、ジェットコースターが駆け抜けていった。

「でも、残念でしたね。淡河雲」靖男は独り言のようにも、やっぱり疲れていたのか、うとうとしかけているようにも見える葵さんに伝えるようにも聞こえる声で言った。

「あ、あぁ・・・あれも『おたく』の凄さを感じさせてくれた」葵が小さな寝言のように答える。

「100部がものの10分で完売なんて。それが有名同人サークルなんだな」

「凄いですよね」

「なんというか・・・少年ジャンプやマーガレットとかと違った、そういうメジャーな雑誌ではない、同人という世界が本当にあったんだって思えた」

「それを作っているのがおたくな人達・・・」

「なんだか、少し誇らしいな」

「自分ももっと頑張らなくっちゃな、って思います」

「・・・頑張れ・・・」葵が小さく呟く。

「・・・葵さん、眠りかけた時に声をかけて申し訳ありませんでした。淀の競馬場が見えてきたら起こしてあげますから、ゆっくりして下さい」

「・・・わかった・・・」

車窓の左手に淀川の堤防が見える中、靖男は葵さんを起こさないように気を付けながら、

・・・あのレベルの即売会でも驚かされた自分は、まだまだ世間知らずの青二才なのかもしれない。でも、ただちょっとマイナーな作品に興味を持っていたり、アニメの原画マンが誰だとか、誰々の漫画のアシスタントが誰だとか、確かにそういった情報を持っている、確かにその情報収集力も凄いが、そういう受け身な『おたく』ではいたくない。自分にとって『おたく』ってのは、メジャーな媒体では表現できない事を、敢えてそのジャンル、いや、まだジャンルにもなっていない未開の地を開拓していく探求者、それが『おたく』なんだと思う。外見や、何となく世間的に思われている『おたく』の意味じゃない、未開のジャンル、表現、描写、それを切り開いていく、それは世間一般からはすぐには認知されず、時には奇異に思われたりするものだ。例えば絵画の印象派もシュールレアリスムなんかも、ピカソのキュビズムも世に問うた当初には胡散臭げに思われたものだ。それを苦にせず、その道をただ愚直に追及していく、それが『おたく』なのであり、そんな『おたく』として自分の考えを貫き、作品を作り出していきたい。

そして、世間が思っている『おたく』像を打ち破って行きたい・・・

そう考えていると、八幡を過ぎ、宇治川、桂川、木津川が合流する赤塗りの橋梁を、電車は通り過ぎていった。

やや傾き、沈もうとしている陽は紅く、川面に湧き上がるさざ波を朱色に、陰を暗色に、複雑な色彩で染め上げていた。

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