愛されたあの人の独白
その人は、二つ年下の彼でした。
少し論理的で、悪くいえば理屈屋で、それでもたまに見せる愛嬌が飛び切り愛しいと思える人でした。あの人は私のことを言えば、愛しいと伺える微笑みを浮かべます。私もそれに同調して、何気ない笑みを浮かべるのです。少しの間、そうやって笑いが連鎖して、ただ二人だけの世界になる様な心地がして、これが私の一番の幸せな時間でした。
あの人は落ち込むととても面倒で、きっと私以外の人では対応に困ってしまうでしょう。あの人のこと自身をきちんと肯定して、頭を撫でてあげないと、一ヶ月は同じ事で落ち込みっ放しです。
そんな所も愛おしくて、愛らしくて、私はいつしか、彼を薬として扱う様になっていたのです。
彼が私に言い寄ってきたのは、彼がまだ十八の頃、私が二十の頃です。偶然、少人数で夕食を頂くことになりまして、そこから私を意識し始めた、と彼は話してくれました。
ただ、私はその時、別に想い人が居ましたので、それからもただ楽しく会話をするだけで、男女の好意云々は見て見ぬ振りをしていました。会話は三、四ヶ月と続き、彼の私に対する好意は、私にも勘付くことが出来るほど、露骨になっていました。
それからというもの、彼は私を見つけるや否や近寄ってきて、尻尾を振る犬の様でした。
何分、私も悪い心持ちでは無かったものですから、その会話に付き合わさせて頂き、彼の人柄というものを、彼の笑い話から、彼の過去などを知りました。人に言えない程酷いものもありました。なぜ誇らないのかと思う程に良い物もありました。彼は私のことを「面白い、面白い」と言って沢山話してくれました。私自身のことも聞かれました。聞かれたものだけ応えたつもりでしたが、何やら何まで話してしまった様な気がしています。彼はそういった魅力があるのです。
彼が私に駆けて来てから凡そ四ヶ月経った時、ある事件ーーと言う程ではないかも知れませんが、どちらにせよ、私と彼の距離感を良い意味でも悪い意味でも変えた出来事があったのです。
彼が私について相談をしていた方が居たのですが、その人こそ私の親友であり、互いによく飲みに行く仲でした。彼女は、その日の酒の席で「あなたのことは応援しているけれど、彼のことも応援しているのよ」と言いました。それに続けて「彼はあんなにあなたを想っているのに!」と。私はその時、どんな顔をすればいいのか分かりませんでした。確かに彼の距離感は、私に好意のそれを感じさせるものでしたが、未だ一度もそういった言葉を聞いたことがありませんでしたので、確証と言えるには未だ不安定でしたのです。ですが、彼女の一言でそれが確証となり、少なくとも私の心は、石を投げこまれた溜池のように、荒みが生じたのです。
その日の夜、酔った体を風に当てながら、彼と電話をしました。その時初めて、彼は私に対して愛の言葉を囁きました。ときめきに似た何かを確かに感じたのを覚えていますが、彼は続けてこう言いました。
「あと少し待ってほしい。まだこの関係を終わらせたくはない」
私はそれに了解し、彼の用意が出来るまで待つことにしました。そうして、彼の確かな好意を知りながら、別の想い人がいる私と、私に想い人が居ることを知りながら、私のことを想う彼との、他の介入を許さない、独占的な関係が生まれたのです。
親友である彼女の事は、やはり大切に思っていますが、後後に説教をさせて頂きました。
私のそれからは、殆ど定められたもの。およそ八ヶ月間、私は彼からの好意を受け続けました。まるで恋人の様な時間を過ごした事もあります。私は、私の心は果たして、彼に揺さぶられたでしょうか。私自身にも分からないのです。彼は少しだけ肩の力が抜けたように、私に気軽に接してくれた事もあります。どちらかといえば、そちらの方が、私も有難かったりするものなんです。
八ヶ月後、ちょうど、そうですねーー確か、年が明けた頃。彼の目付きが少しだけ、ほんの少しだけ鋭くなった気がします。雪など降らない土地だったのに、遠くの山脈から運ばれてきた厚い雲が、旬を過ぎたイルミネーションを包んでいる、そんな夜でした。
彼は私を呼び出して、腕を取り、人気のなくなった場所へと連れて行きました。分かっていたことでしたが、やはり緊張はするもので、それは彼も同じな様でした。
何の変哲もないーーただの告白でした。
彼らしいな、と思うと同時に、何故だか、涙が溢れて仕方がありませんでした。何の感情だか、訳が分からないまま、声も出ず、ただ顔は見られたくなくて、手で覆っていました。何分経ったでしょうか、もしかしたら数秒だったのかもしれません。彼は私の手首に、今度は暖かく、包み込むように触れて、何も言いませんでした。重い空気、だけれども決して、居心地は悪くありませんでした。
私がどう答えたのか、それはここでは詳しくお伝えする事は出来ません。ですが、彼とは、笑って話せる間柄を続けられた、とだけ綴っておきましょう。全てが全て、幸せではありません。ですが、私はそれでも、少しの間でも、彼と過ごすことが出来たのは、儚い人生の一瞬で、彼と出会えた事は、これ以上ない、言い表すことの出来ない幸せだったのでしょう。胸を張って、ここで締めとします。