第一話 邂逅しずかに
小さく古い木造アパートは二階建てで、一つの階に四部屋ずつ計八つの部屋からなっている。
建物の東側には小さな庭があり、その周りはブロック塀に覆われている。
建物も庭もブロック塀も古い割に綺麗なのは、管理ロボットにしっかり手入れがされているからに他ならない。
このアパートの二階に地上生活の調査としてタイチが住み始めて三ヶ月ほど経った。が、大きな事件というものはなく、タイチは退屈をしていた。
なにせアパートの他の住人はほとんどバーチャルの世界から戻ってこない。
というより地上の人はほとんどバーチャル世界に入りびたり街中ですらほとんど出会うことすらない。
さすがしっかり人工知能に管理されている社会だ、とタイチは感心する。
タイチの脳内にもゼンという名のチップは入っているが、地下都市独自の物でヴァーチャル世界はおろか、地上のネットへ繋ぐことすらできず、ゼンには様々なデータを記憶したり、脳に刺激を与え神経活動を活性化させることによって、一時的に身体能力を上げることができるくらいにしか使えない。
もちろんヴァーチャル世界に行って戻ってこられる保証がないことを考えると、行きたいと思わなかったのだが、ここまで退屈だとちょっと入ってみたいと思い始めている。
せっかく調査という名目で外に出ることができたのに、最近よくそんなことを考えいている。
そしていいつの間にか畳の上で寝てしまっていた。
どのくらい寝ていただろうか、とどこかから歌声が聞こえる。今まで聞いたことのない曲だが、透き通るような声で心地いい。歌詞はない。
夢の中から引きずられるように起き上がると歌声がするほうを眺める。窓から顔を出し、アパートの入り口のほうを向くと、そこには少女が立っていた。
ブロック塀の上で仁王立ちをして、長い黒髪とスカートは風にたなびかせ歌っているのは確かに少女だ。いや、美少女だ。
小学生くらいだろか、たなびく黒髪とは対照的に肌は白い。目を瞑りながら顔はこちらのアパートに向けられている。歌い終わると彼女は瞳を開けた。こちらを見る瞳は大きく、その奥にはどこか力強さを感じる。
パチパチパチパチパチ、
タイチは拍手をすると
「うまいね、どこから来たの?」
思わずそう声をかける。
17歳にもなって小学生声をかけるのはどうなのかと思ったが、良いものは良いのだから仕方がない。
「ありがとう、あっちからきたの」
と、北のほうを指差すと、ふわりとブロック塀から飛び降りてアパートの中に入って行った。
一体誰の知り合いだろうかとアパートの住人を思い出そうとしてみたが、まずもってアパートの住人の顔さえ今一つ浮かばない。
一応言っておくが、来たときに調査の一環として挨拶回りはしたのだが、軒並み皆ヴァーチャルの世界に入ったまま出てこなかったのだ。
別に調査をサボっていたわけではない。最近はサボっていたが……。
彼女の歌を頭の中で反芻しながら身体を横にしようとすると、今度は車が止まった音がした。外を見ると軽トラがアパート前にあり、その後ろにはマイクロバスが止まっていた。
軽トラとマイクロバスだなんて、久々の事件だ。
久々にみた見た車に少しテンションが上げながら見ていると、軽トラの助手席から再び女の子が出てきた。
今度は中学生くらいだろうか、制服を着ている。線は細くモデルのような体型に小さな顔が乗っている。髪の毛は黒くボブにカットされているが、さっきの女の子と少し似ている様な気もする。
運転席からは大柄な男の人が出てきた。鍛えられた身体を見せびらかすような黒いタンクトップに、迷彩柄の長ズボンをはいている。身長は190センチくらいあるだろか、肌は浅黒く良く焼けている。
何とも分かりやすいいかつさだ。
男はすぐにアパートにへ入るが女の子のほうは、辺りを見回していて、ふと目が合った。何か言おうかしら、と思ったらそのまま目をそらされた。何だかちょっと残念だ。彼女はマイクロバスにむかうと中から今度は二人の男の人だ出てきた。
一人は中肉中背で背はあまり高くなく、もう一人は痩せてひょろりと背が高い。二人と顔までは見えない。こんなに来客があるなんて何事だろうと考え見ると、なんだか少しずつ嫌な予感が湧いてくる。
胸騒ぎがし始めてくると、先ほどのいかつい男が人間を肩に担いでアパートから出てきた。
ああ、やっぱりね。
ここまできてようやく事態を飲み込む。
人攫いだ。
助け出すか?いや、たいした武器は無さそうだが、人数が向こうの方が多い上に、いかつい奴もいる。ほとんど無気力な人間を運ぶだけとはいえ、ここまで堂々とやったら警備ロボットだってやってくる。そんなことくらいは想定済みだろう。いくら平和とはいえ犯罪がないわけでなく、警備ロボットに見つかったら迅速に麻酔銃を撃たれ、連行されてしまる。
そう考えるとやはりある程度の戦力があるのだろう。
もしかしてら車の中に武器があるのかもしれない。見えないだけで。
やはり逃げるしかない。
触らぬ神に祟りなしだ。
そういえば、最初に見た少女はどうしただろういか。あんな子供も一味なのだろうか。
とりあえず財布だけはズボンのポケットに入れる。財布に入っている個人カードがないと配給がもらえない。逆にこのカードさえあればくいっぱれることはない。まあ、偽者なんだけどね。
「ねえねえ、にげるの?」
「ああ、ちょっと大変なことになってね」
あれ?いま誰と会話したんだ?
「じゃあ、わたしも」
振り返ると例の美少女がいた。いつの間に部屋に入ったんだ?
そう思いながら玄関を見ると、玄関の扉が開いている。
鍵を閉め忘れただろうか、あまりの犯罪のなさにやはり油断していたのかもしれない。
美少女との逃避行も悪くないかもしれない。
奴らの一味かと思ったが、だったら彼女が逃げる必要もない。
きっと知り合いを訪ねたが、起きなかったのか既にあのいかついやつにとらわれたかで、助けを求めてきたのかもしれない。
だったら急がなくてはならない。一人なら何とでもなりそうだが、少女込みなら難易度が相当上がる。
「よし、じゃあ急ぐぞ! とりあえずブロック塀を越えて裏の家のほうへむかうぞ、行けるか?」
「わかった」
少女はそう言ってすぐ外に出るとブロック塀に飛び乗り、そのまま素早く裏の家の庭に飛び降りた。
あら、身軽なことで。
タイチは驚きながらも後を追う。