焦がすなら 紙より 人より 心だろ
帰りのホームルームが終わり、伸びをしたり、友人と連れ立ってどこかに行く輩だったり、めいめい様々な行動を起こすクラスメイトの中、ウトシとエコは机を挟んで向かい合ってペンとプリントを取り出す。
何をするのか、宿題である。
時に偶然の一致により様々な科目から示し合わせたかのようにプリントが出てきて積みあがる時がある。
紙々の試練を突破するには一人では心細い、なので二人で立ち向かうのだ。
これは二人が中学生の時に編み出した冴えた方法。
それぞれが得意の科目の別の宿題を同時にやり、それを見せ合う事で宿題の速度は夜に悩めるデスクの子達の何倍も上げられる。
効率的、実に効率的、人数を増やせばさらなる向上を図れるが、生憎わざわざ残って宿題をやろうという人間はいない。
部活やら、今日発売の新作やら、友達との遊びの約束やらを言いワケとして逃げていく。
というワケでいつも通り二人での作業となった。
「とっとと終わらせるっすよ、全く性懲りもなくこんなに積み上げて」
「積みあがったのは偶然だけどな」
「偶然の出会い、ラブストーリーは突然っすね」
「こんな恋があってたまるかよ」
人々が悩ましさに頭を回す恋愛物語、確かに字面だけ見れば魅力的だ。しかし確実に人気は出ない実態がそこにはある。
ペンを走らせる二人は今、そんな懊悩を味わっていた。
「あ~、ここの計算ががが、やったっすねこりゃ」
「うん? ここ教科書に載ってねえ文章じゃねえか、借りてこなきゃできねえか……」
「あれ? ここ明らかに習ってない条件が出てるんすけど? 教科書~……見てもわからねえっす……」
「いや調べた上で書き取り五十回ずつはきつすぎだろ!」
教科書の、スマホの、己の頭脳の、力を絞り出してまっさらな白紙やノートを課題で埋めていく。
時計の針が回り、二回転目も終盤というところでエコが万歳の姿勢をとった。
「お、わったっっっっす!!!」
見よ、試練を乗り越えし者を、聞け、勝どきを、そして長い間の固定姿勢から解放された関節達の鳴らす祝福を。
ペンを置き、ブレザーの内ポケットを探りながらウトシの方を見ればあと少しで終わるという所。
集中をしているのかエコの喜びの声は届かなかった様子でノートに向き合っている。
邪魔にならないようにスマホでSNSでも眺めようか、と思った時、指に触れたのは目的のモノの感触ではなかった。
「あっ」
しかし、エコにはそれが何の感触なのか一瞬でわかった、というか思い出した。
取り出せばそれは自分宛の白い封筒、その中には一枚の二つ折りの便せんが入っている。
朝、学校に来た時に下駄箱に入っていたそれはベターにもラブレター、恋愛漫画にしか存在しないと思っていたそれを、まさか自分が受け取るとは思ってなかったそれを、ポケットにしまったままほったらかしにして今まで忘れていたのだ。
危うく肥やしになりかけたそれが掘り出されたのは差出人にとっては幸運な事だろう。
時間も余っているのでエコはその中身に目を通そうかと思い立った。
普通なら人前で読まず、一人でこっそり嗜むようなものだが、ウトシしかいないこの教室でなら特に気にする事もないだろうという考えだ。
「終わった……エコ? 何読んでんだそれ」
「ラブレターっす」
「ほ~? え? マジ?」
「大マジっすよ」
遅れて試練達成をかみしめて静かにペンを机に転がしたウトシがエコを見る。
ラブレター、浮ついた話を全くしないのでウトシにとって新鮮な驚きだった。
エコの容姿はかなり整っている方で、しかも話しやすいので、男子から告白を受けていそうな感じの女子で、実際中学時代、ウトシとつるむ前はそんな事もあったが断って来たという話を本人が言っていた。
二人でいる事が当たり前になってからは浮いた話はぱったりなくなったので、この恋文は久しぶりの浮き上がりだ。
「どんな感じだ?」
「字は綺麗っすけどまあ内容は年相応ってとこっすかね、性格は悪そうっす」
「ほお、誰だ?」
「2-Dの毛里っす、ほら、あの~サッカー部のイケメンっす」
「ん? ああ! あのミッドフィルダーか」
毛里 マクトシ、サッカー部きってのさわやかイケメンにしてスタメンの司令塔である。
性格は常に冷静で隙がない、周りには優しい、ストイックで練習を欠かさない。サッカー以外のスポーツもそつなくこなす運動神経抜群な男。
そんな人気者、名前を聞けば一発でわかるような校内有名人である。
「すげえヤツじゃん、でも性格悪い?」
「そうっす、この文章はちょっといただけないっすね、わかりやすく言うとウトシsageっすよ、そんでもって自分の方がふさわしいだとかなんだとか」
「はあん、すげえ自信だなそりゃ」
「そっすよ、わたしは話した事もないんすよこの野郎と」
スポーツ選手にはメンタルが必要というが、それにしても自信満々といった感じのモノ言い、それは読んで不快になるモノではない。しかしいつも一緒にいる相棒と言っても差し支えないウトシをけなすような文句は、エコの神経を少し逆さから撫でた。
そんな文章をじっくりと読み込んだエコは思いの篭もった紙を握り潰しながらやにわに立ち上がり、棒状にしたそれに向かって、ポケットから取り出したライターを向けた。
「おい! 落ち着け! 報知器報知器!!」
「知らしめてやるんすよ、わたしの返事を、もちろんノー」
ウトシも立ち上がりエコの顔を見て息をのんだ、普段へらへらしている顔が、何も感情を映していない。
安っぽいパステルカラーのライターのスイッチを押し込むと、かちっと火のつく音がして、揺れるオレンジ色の熱。それがじりじりと気持ちの篭もったゴミを炙る。
怒りだ、エコは怒りに突き動かされている。
しかし、ここは学校の教室。そこで火災報知器が鳴ったとすれば、あっという間に学校中に警報は伝播し、職員達は対応に追われ、それが嘘の警報だとわかれば犯人捜しが行われる。
そしてエコがその犯人だと突き止められた場合、おそらくは停学処分。
脳裏にそこまでの未来が予想され、ウトシは迷わず立ち上がる。
素早く伸ばされた手が、向かった先の焦げ始めた紙と炙るライターを握りこんだ。
「ぐっ」
「ちょっ! ウトシ!?」
熱はウトシに痛みを与えたが、驚いたエコがすぐにライターのスイッチから指を離した事で止まった。
「大丈夫っすか!? 水! 水道に行かなきゃ!」
「落ち着け、こんくらいは平気だ、ほい返す」
炙ったゴミを放って手を取るエコに、握った拳を開いて振りながらウトシは平気な顔で答えた。
その指に先程握りこんだライターを挟み込んでいたのでエコに渡しながら見せる。
確かにその手にやけどした様子は見られない。
「怒ってくれるのは嬉しいけどよぉ、ま、冷静にな、エコらしくもっとクレバーな方法でやってくれや」
ウトシは口の片端を上げておどけた表情をする。
諭されて、少しの間目を見開いて固まったエコは、いつものようなへらっとした笑みを取り戻し、今まで頭を沸騰させていた熱を一息で吐き出した。
「……ちょっと熱くなりすぎたっす、ごめん」
「いいよ、全然、オレだってそんな事言う奴いたら殴るし」
「そっすか……そっすね……」
暖かくもくすぐったい沈黙が少しの間二人きりの教室に流れる。
エコはライターを受けとり胸ポケットにしまう。それを見てウトシは手を引っこめ、机の上にひろげっぱなしの試練の後を片付けることにした。
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試練は終わった、そして色々な感情が二人の間に流れた。そしてすべて終わったならノーサイド、とっととおさらばするに限る。
時刻としてはもう夕方だが、まだ空はギリギリオレンジ色ではなく、教室の中は明るい。
大量の課題を教科別に分けてファイルに入れ、ノートはノートでまとめる。
机一杯に広がった偶然が産んだ試練達は突破され、後に残った達成感でウトシは満たされていた。
一方先に片づけたエコは何も言わず、自分のカバンを持ち、胸ポケットから取り出したスマホしいじくる待ちの姿勢にでいる。
しかし、チラチラとウトシを見て、目を瞑り、深呼吸。
「んんっ! あのっすね、ウトシ」
「あんだ? 帰りにどっか寄るか? 意外と早めに終わったし」
「いや……そうじゃなくて……」
少しの気恥ずかしさからエコを見ずに片づけをしながら返事をしたウトシ、妙な歯切れの悪さを先程までの怒りの暴走に対する気まずさから来るモノと判断し、課題達を自分のカバンの中に詰め込んだ後に立ち上がる。
「うし、帰ろ……ってどした?」
エコを見たウトシはそこでようやく気付いた、先程の怒りの表情とは違うが、またエコの様子がいつもとは違う事に。
真剣な、まじめな、何かを思い詰めた、そう取れる表情でウトシの目を見たエコは、もう一度深呼吸をした。
「付き合ってみないっすか?」
「……ん? 付き合うってのは……」
様子をうかがってみるウトシ、付き合うっていうのは買い物に付き合ってって事だよ、という詐欺師じみた言葉遊びの可能性もある。しかし、エコの顔は真剣そのもの、スマホを持つ手が少し白くなるくらい握られている。
冗談という線はどうやらないようである。
スナック菓子のような軽さで投げられたのに砲丸のように重い言葉、受け取り方に気をつけなければ双方が怪我をする。
実際、エコの瞳は内心に隠した不安からかいつもより潤んでいる。
唐突すぎて頭の中がこんがらがるウトシだったが、エコからの告白というのなら答えは一つだ。
「付き合おう、エコ、好きだ」
答えて、ウトシは手を差し出す。
机を挟み、エコは願った答えを受け、目を輝かせてその手を取った。
こうして二人はつるむや絡むから付き合うへと道を変えたのだった。突然に。