暇と孤独は人を蝕む毒であり、また、甘美な果実である。
眩しい日差しの降り注ぐ校舎、四時間目の授業の化学、担当の教師、雌紫リンダが気怠そうに教卓に突っ伏していびきをかいている。
今日の化学は自習だった。
と言っても名ばかりの自習で、勉強する生徒はわずかで近いの席の生徒と集まって遊んでたりおしゃべりに興じていたりする生徒がほとんどだった。
エアコンの効いた室内は外の殺人的な暑さを遮断し、とても過ごしやすい。
ウトシとエコもその恩恵を受け、つかの間の頭の休息をしていた。
「あ~、なんかひまっすね、なんかやる事ないっすか?」
「やる事なあ、特にねえよなあ」
暇そうに机にほおづえをつくエコにウトシは本を読みながら素っ気なく答え、ページをめくる。
二人の席は隣同士、窓際の列の真ん中にある、席替えがあった時に運よく隣になれたのだ。
一番窓際の席のエコは差し込む日光を避けるように椅子だけ移動してウトシの机に肘をついている。
これはいつもの事なのでウトシは特に気にする事は無い。
「ちなみにその本は何の本っすか?」
「あん? ああこれは恋愛小説だよ、司書さんが読めって薦めてきたから一応読んでみてんだけどこれがなかなかいい、全く恋愛小説とは思えない殺伐と世紀末の話でな」
「へえ、あれっすか? あの有名なあたたたぁ! の漫画のヤツみたいって事っすか?」
「んな感じ、ヒロインが北斗神拳みたいなやつ使うってぶっ飛んでる設定」
たわいもない会話を交わしながら過ぎ行く穏やかな時間、しかしエコはそんな時間がとても暇だった。
勉強する気はあまり起きないし、いくら自習と言っても教室から出るわけにもいかない、かといってあまりうるさくするとリンダが目覚めてしまう。
寝ているリンダを起こした人間はその後何らかの災難に見舞われるという都市伝説ならぬ学園伝説があり、これはエコも避けたいところだ。
ウトシは読書で時間は潰しているがエコは活字を見ると眠くなるのでその方法は無理。
必然、女子高生の必須道具のスマホに手が伸びそうなモノだが生憎ただいま充電中。
何もやることが出来ない、出来る事はウトシとのおしゃべり位だった。
「なんかないっすか? いっその事人呼んでトランプしないっすか?」
「お前今日の朝トランプ類牢屋の野郎にパクられてたじゃねえか」
「そうだったっす! あんのエロゲ―のサブヒロインみたいなロリめ! この自習を見越してたんすね、完全にはめられたっす、ああ! もう!」
牢屋マサノ、サディストロリ、今もひいこら校庭を走る生徒を見下ろして、クーラーの効いた室内で紅茶を飲んでいるであろう彼女はまさかそんな事を考えているわけではない。
ただウトシとエコを呼び出してこき使う口実を作っただけである。
「俺じゃなくてその辺の女子としゃべりゃいいじゃあねえか」
「悲しい事を言うっすね、周りをご覧ください」
「周り? ……ああ、なるほど」
エコにうながされ、ウトシは教室内を見回す。
その辺の女子、と形容される教室内のクラスメイトの女子は、一部は真面目に勉強をし、エコの前に座る先日の体育で運んだ敵刺のように寝ている生徒、後はエコと明らかに合わなさそうな高校にふさわしくない化粧バリバリのザ・ギャルとその取り巻き達が馬鹿でかい声で喋っている。
雌紫が殺気の篭もった視線を投げるがお構いなしの彼女達はおそらく今の黄色い声とは違う声を今後上げることになるであろう。
「つまりウトシしか喋る人いないんすよ」
「いつも通りって事か」
ウトシもエコも別にお互い以外に友達がいないわけではない、ただ今はタイミングが悪かっただけだ。
と言ってもその友達といる時間より二人でいる時間の方が圧倒的に長いが。
「つまりはひまなんすよウトシ、ひまは人を殺すっす、アアトモヨ、ワタシヲミゴロシニシナイデクレ~」
「棒読みやめろ、わかったから」
エコの魂の訴えでウトシは読んでいた本を閉じて机にしまった。
しおりを挟み忘れている事に気付いて心の中で舌打ちを一つ。
「いや~悪いっすね、面白い本を中断させちゃって」
「別に構わねえよ、本よりエコの方が大事だしな」
「おっ! そのセリフはちょっとドキッとするっすね、恋愛小説の成果っすか?」
「ひまを潰すより先にお前の脳みそがつぶれたか」
「だとしたらわたしの頭は今頃せんべいっすよ、ちょうどお茶もあるし茶菓子にするっす」
「人を食べる趣味はねえよ、ティータイムは一人でやれ」
「女の子の誘いは断るモノじゃないっすよ、つれないっすね」
静かに軽口をたたきながらも二人は暇つぶしの方法を模索する。
「……ねえ、そこのとてもとても哀れな愚者共、我が言葉に答えてくれないかしら」
「「は?」」
と、その模索に介入する声がエコの後ろの席から聞こえた。
か細く、しかし、しっかりと二人には届く少し威圧感を込めた声に振り向くとそこには髪の長い女子が顔を右手で覆って指の隙間から二人を見ている。
「振り向いた、という事は我が言葉に答えた、という事になるわね」
口をかけた月のようにゆがめて笑い、その女子はやけにのけぞりながら左手で二人に指を突きつける。
見るからにやばい奴だ、と二人は直感した。
これは明らかに中学二年生のあれを引きずっているに違いないと判断できる。
端正な顔立ちで黙っていれば人形のように可愛いであろうにその容姿のプラスを仕草のマイナスで相殺している。
花田 カネコ、二人は彼女の名は知っていたが、教室内で喋った事はなく、また彼女自身も優れた容姿を持ちながら誰とも関わりを持たず、休み時間は一人で窓の外を眺めているようなクラスメイトだったためその人となりを全く知らなかった。
そんな彼女が何故今二人に話しかけたのか、エコにもウトシにも心当たりがなかった。
「というか今さらっとわたし達の事をバカにしたっすよね、愚者って」
「……よく考えりゃそうだな」
いきなりの事に虚を突かれたが二人は少し苛立つ、突然話しかけられて哀れだの愚かだの言われれば誰だっていらつくであろう。
「おい、お前、いつもそんな風に人に声をかけてんのか?」
自然と語気が荒くなるウトシ、その目は細められ、ただでさえある威圧感が増す。
エコは普通に話しているが、他の人間からするとウトシは目つきが鋭くそして背が高く、そこらの不良が震えあがる見た目をしている。
そんなウトシにガンを飛ばされて冷静でいられる人間はごくわずかだ。
「そ、そうだ、わっ我に声をかけられたことを、光栄に思うがい――」
「質問に答えろよ、意味わかんねえこと言ってねえでよお」
「ごめんなさい、そうですいつもこんな感じです」
花田はそのごくわずかではなかった、さっきまでの不遜な態度からオセロの駒がひっくり返したように声が小さくなり、顔も青ざめてウトシから目をそらす。よく見ると目に涙が溜まっている。
泣いてちびる女子もいるのでそれと比べるとまだ強い方である、ちびっているかどうかはわからないが。
「俺達だからよかったけどよお、もしもあのギャル共にやってみろ、いじめられること間違いなしだ、やめておいた方がいいぞ、それに社会に出てからも苦労する」
「は、はい、すいません、すいません」
ウトシは多少いらつきながらもまともなアドバイスを花田にするがいかんせん威圧感のせいで花田は全く聞いておらず、すいませんボットと化している。
「ウトシ、あまり責めない方がいいっすよ、泣いちゃうっす」
「そうだな、怖がらせてすまん」
「い、いえいえこちらこそいきなり話しかけてすいませんでした!」
最初の態度はどこへやら、花田は机に頭をたたきつけんばかりに謝った。根はいい子だ。
今の謝罪の声で雌紫が顔を上げそうになっているがそれに気づく者はいなかった。
「それで? 何の用だよ花田」
「あ、あの、その、ですね、その前に喋り方を戻してもよろしいでしょうか?」
「別にいいっすよ、特に気にしてないっすし」
「俺もいいがこっちに伝わるように話せよ」
「ありがとうございます、で、では」
涙に濡れていたのに口調を戻そうとする辺り、花田はなかなかタフだった。
二人の承諾を貰い、一度うつむき、スイッチを入れるためか、一度指を鳴らし、話しかけてきた時と同じポーズに戻り、それと共に不遜な態度と自信に満ちた表情が戻ってくる。
「我が言葉を聞いてくれて感謝するわ、なあに、用と言っても簡単な事よ、我は今ここに遊戯の道具を持っている、見よ! この五十四の我が僕共よ! ここに今召喚されよ!」
大仰な素振りと徐々に高まっていくテンションで花田は机の中から何かを取り出し、机に置く。
それは紛れもなく五十四枚からなるトランプ(ジョーカーは予備も合わせて二枚)だった。
これには二人も驚いて目を見開いた。
「そうだ、それでだな、その……一緒にトランプしませんか?」
花田は絞り出すような声で二人にそう言う、その言葉で二人は彼女の人となりをなんとなく察した。
彼女は不遜な態度を演じていないと他人とうまく話せない引っ込み思案で、それでも友達が欲しくて、偶然にもウトシとエコの会話を聞き、勇気を出して話しかけてきたワケだ。
そんな勇気ある彼女の申し出に二人は笑う。
「ちょうどひまだったところっす、ナイスタイミングっすよ」
「断る理由がねえな、ありがとよ!」
「そう、か、そうか! フフフ、我が力の前にひれ伏すがいいわ!」
花田も不敵に笑う、しかし、不敵な中にも嬉しいとはしゃぐ気持ちが漏れ出してきている笑顔だ。
そして三人は授業が終わるまでババ抜き、ポーカー、神経衰弱と遊び、中を深め、互いに下の名前を呼びあう友達になったのだった。
熱中しすぎて昼休みをぶち抜き、昼食を取り忘れたが。




