甲高き牢獄からの脱獄王
朝っぱらマイクから響く教頭の妙に甲高いひょろひょろとした声に、体育館に並んだ生徒の群れは、眠気も相まって死んだような目をしながら、ただ立ち尽くすのみだった、話の半分も頭の中には入っていないだろう。
この高校は月初めに朝礼の時間がある。
生徒会長だったり、校長だったりが舞台の上からマイクで喋る、普通の朝会。
ただし今日は校長は休みらしく、代わりに教頭が話をしていた。
どちらでも長くて、生徒にとっては全く面白くないのは変わらないが。
当然その中にはウトシとエコもいた。
クラスごとに男女に分かれて二列になるが、偶然にも二人は横一列である
「つまらないっすねぇ、舞台袖にスナイパーかなんかが潜んでて教頭のかつらを吹き飛ばしたりとかしてくれないっすかねぇ、それか、貧血で一年の生徒あたりがバッタバッタと倒れるか」
エコが物騒な事をつぶやきながら、ブレザーのポケットの中をいじくる。
確かに言葉通りの事が起これば朝会中止だが下手をすると、倒れた生徒の親が訴え起こしたりして教師の首が何本か飛んだり、教頭のハゲがばれたりと大変な事になる事間違いなしだ。(ハゲは公然の秘密だが)
「あと何分でこのくそったれ長ったらしい耳障りな笛の音が終わるか賭けないっすか?」
十分を越えた教頭のありがたい話を聞き流しながら、エコは隣に立つウトシに賭博の提案をする、が、ウトシからの返事はさっぱりなかった。
エコが顔を横に向けると、ウトシは足を肩幅に開き、少し腰を落として目をつぶり、規則正しい呼吸をしている。
つまり完全に立ったまま寝ていた。
「お~い、ウトシ、起きるっす、エイッと」
話し相手が眠っていては暇で仕方ない、それに立ったまま寝るなんて芸当が出来ないエコは周りにばれない位の声でウトシを呼びながら、最小限の動きの中の最大の威力でウトシのすねの辺りをかかとで蹴りつける。
弁慶の泣き所とも呼ばれる特に痛みが強く感じるそこを蹴られ、ウトシの目はゆっくり開く。
「ん? ああ、エコか、なんだよ人がぐっすり寝てるってのに」
エコの蹴りは常人なら飛び起きてのたうち回りながら泣き叫ぶ威力で放たれているが、ウトシは身体を鍛えるのであくびの一つをしながら文句を言った。
「そもそも朝会は寝る時間じゃないっすよ?」
「聞いても聞かなくてもどっちでも同じようなもんだろ? 他の奴らも大体が耳から耳への一方通行であほ面下げてやがるしよぉ、だったら寝てた方がましじゃねえか」
「そこについては同感っすがウトシが寝たらわたしがひまになるんすよ、だからその両目開きっぱなしで会話のキャッチボールプリーズ」
「オレはお前のお話ロボットじゃあねえんだけど……まあいいか、寝ようが喋ろうが同じだ」
教頭の話は続く、後さらに十分はかかるだろう。
「これいっそトイレ行くっつって抜け出した方がいいんじゃねえか?」
「教頭の話が長くなければそれでいいっすけどこれだけ長いと後でサボりとばれるんで得策じゃあないっすね~」
「そうか、どんだけ糞長いんだてめえってばれた方も指摘した方も思うってか?」
「おっ! それうまいっすね、座布団一枚」
「この状況じゃあ座れねえがなぁ」
「……いや、座れるっす!」
「は?」
冗談まじりの会話の中、エコの頭に光の如くアイデアが舞い込んだ。
「仮病で座っちまえばいいんすよ」
突如舞い降りたアイデア、貧血で何人か倒れちまえばいいと言っていたのはエコだが、その逆を突き、自分が貧血をおこしたと言って座ってしまえば座ることが出来る、さらには抜け出して保健室に行く事さえも許される可能性もある、あの薬臭い事を除けば天国や楽園に引けを取らない保健室に行けるのだ。
「この大勢の中で座るとなるとかなり目立つがその辺は考えてんのか?」
「はは、このくそ長い教頭の話を抜けるためなら目立つのなんてどうでもいいっす」
何のために朝会に来ているのかと問われれば、先生に言われて仕方なく、と言った生徒がほとんどで、校長の話を聞きに来たとか、校歌を歌いに来たとかそんな生徒は少数も少数だろう。
それにここで多少目立ったところで、朝会で座った生徒がいたな、程度の事ですぐに忘れられるだろう。
ならば座るしかない、とエコは判断した。
「思いついたらやってみよう、きれいなお姉さんとの約束っす」
「きれいなお姉さんなんてどこにもいねぇけどな」
「じゃあわたし今から貧血でぶっ倒れるんで、そしたら後ろの人が支えてくれるだろうからそのまま貧血の流れに持っていくっす」
「そうかい、じゃあ俺はまた寝るか」
「おやすみ、また後で」
「ああ、おやすみ」
座らなくても眠れるウトシは、エコの策がうまくいく事を願いながら前を向いてまたまぶたをおろす。
朝の、しかも高校の朝会で聞く事は極稀であろう挨拶を交わされた体育館、教頭の話はまだまだ続きそうであった。
ならば今こそ倒れるしかないと言った様子なのでエコは少し待ってから作戦を実行した。
フラリと後ろによろけ、そして倒れる。
はたから見たら完全に貧血でぶっ倒れたであろうと思わせる演技。
これにはエコ自身も、内心うまくいったと思い、にやけるのを止める為に口角を引き締めた。
倒れるというのは実質後ろに頭を落とすという事で、危険な行為でもある。
実際に気を失って倒れた時に硬い床に頭を打ち付けてそのまま死んでしまう人間もいる程度に。
この時、エコは確認しておくべきだった、後ろの女子もエコと同じように他の生徒と喋っている事に。
しかし、早く座りたいという欲求を抑え切れなかった。
ゆえに彼女のポニーテールと頭蓋骨を受け止めたのは女子高生の柔らかい体ではなく体育館の硬めの床であり、その一撃でエコの意識は飛んで行ってしまった。
座れるどころか保健室に行けるようになったワケだ。
・
ぬかりにぬかったエコが目を覚ましたのは、独特の香りがする保健室だった。
「ここはどこ? わたしは……霧田エコっすね」
「ん? 目が覚めたか! 大丈夫か!? 俺が分かるか!?」
「んあぁ~、うっさいっすね、わかるっすよ、ウトシ、忘れるわけないっすよ」
目覚めて自分の名を口に出し、記憶の存在が確認されたエコが天井の次に見たのはウトシだった。
しかし、記憶があると言っても自分がなぜベットで横になっているのかはすぐには思い出せない。
「あれ? わたしは何でふかふかベットで横に? というか薬臭いっすね、保健室?」
「ああ、お前、朝会で貧血のフリして座ろうとしてぶっ倒れて気絶したんだぞ、覚えてねえだろうがよ」
「そんなバカな、そんなことが……言われて思い出したっす、あ~油断したっす、まさか受け止めてもらえないとは」
「俺もビビッて眠気覚めたぞ、でかい音を立てるもんだから目立ちまくりだったしな、まあ、なんにせよ死ななくてよかったな」
いきなり倒れればもちろんそれだけの音は出る、教頭のノイズ以外は静かだった体育館に響き渡るエコの体を張ったパーカッションはもちろん目を引く。
しかも白目をむいて気絶をしたものだから受け止めなかった後ろの女子が悲鳴を上げて、それが伝播してもはや朝礼どころじゃなくなる事態になってしまった。
そこで教頭の長い話にうんざりしていたと思わしき生徒会長が教頭を言いくるめて朝会が終わった。
その間にエコは薬品の匂いの楽園の保健室に運ばれたワケだ。
「はは、賢いアイデアだと確信してたのにバカみたいっす、というかバカっすね」
「どや顔でやってやりますって感じだったのにな」
「ま、笑っていいっすよ、笑い飛ばさなきゃやってられないっす」
「そうだな、また同じ事やんなきゃいいしな」
判断を間違えても、それを後悔せずに、引きずらずに、次につないでゆこうと胸に誓うエコだった。
「それはそうと、エコ、お前に色んな奴からプレゼントだ」
「へ? はあ」
失敗を笑い飛ばした後、ウトシはベットの脇にひっかけておいたレジ袋からジュースから菓子から、様々なモノを取り出した。
「よかったな、エコ」
「ありがとう、って言いたいんすけどこれ何のプレゼントっすか? わたしの記念日ってありましたっけ?
それとも中身に今日の授業出られなかった分の課題が入ってるとか?」
嬉しいという気持ちよりも疑わしいがエコの心に浮かぶ。
それはそうだ、エコにはこんなに褒美をもらう任務をこなした覚えがないのだから。
ちなみに今は完全に放課後、実は気絶した後に一度気を取り戻して、しかし眠気でもう一度寝ているのだがエコはさっぱり覚えていない。
意図せず朝会どころか授業もサボれてしまって、これが意図的なら完全に策士だが、今のエコの状態通り、そんなワケないのは明白だ。
「い~や、純粋なプレゼント・フォー・ユーだ、純粋な気持ち百パーの感謝溢れるモンだよ―—」
しかし、ウトシはこの贈り物が何かのお礼で届けられたものだという、なら、何のお礼なのか。
「朝会を終わらせてくれてありがとう、だってさ」
それは、あの時、朝会が終わり、解放された人々からのお礼の言葉。
教頭の話に偶然だがキャンセルコマンドをぶち込んだ功績が評価されたのだ。
怪我の功名というべきかなんというべきか、自分の策が失敗した結果、エコは英雄となったワケだ。
これにはおそらく孔明も官兵衛も驚き、後世に語り継ぐだろう。
それを聞いて、エコは喜ぶでもなく、何とも言えない表情になった。
それはそうだ、何であろうと自分の失敗は消えないのだから。
「な~んか、微妙な気持ちっすね」
「それと課題ももちろんある」
「マジ!? プラマイ3マイナス寄りじゃないっすかあl!」
保健室の中、エコの悲痛な叫びが木霊する。
なんにせよ、急がば回れ、策士策に溺れる、という事だ。
それと保健室で叫んだので保険教諭に怒られた。