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札幌すすきの裏小路

作者: 沖野信

札幌で一番の繁華街は国道36号線を南に向かうすすきのであるすすきのを南北に突き抜ける札幌駅前通から横に入ったところに「麻保」はあった。旧い二階建ての建物の二階の大衆居酒屋である。一階は、夜の仕事の人々が利用する寂れた薬局だった。吉葉はその大衆居酒屋でコロッケを揚げていた。もう四十一歳であるが、嫁は離別しており、社会の下働きが気に入っていた。

「麻保」の主人は五十一、二歳のその名の通り麻保という女だった。店の常連衆からは「麻保姐さん」と呼ばれていた。吉葉は先の大戦末期に生まれたので、この姐さんは昭和十年前後の生まれである。札幌は米軍の空襲からの被害はなかったが、戦争末期にはまだ国民学校の児童で恐らくは逃げ惑うただろう。

「うちは結婚やしとない。」

麻保姐さんはよくこう言うのだった。ところが男好きで、いまは大型観光バスの運転手の妾である。その男は観光ツアーが終わると同僚を連れてよく店に来る。吉葉の学んで来た価値観では、大型観光バスの運転手はそう高い賃金を貰っているとは思われず、そういう男の妾になっていると言うところが、吉葉の関心を引くのだった。だから「姐さんは金より、まぐわいがしたくてこの男の色になっているんだな。」と思うていた。男はいかにも精力のありそうな顔をしていた。勿論、吉葉はいつも料理場の鍋の前に立っているので、この男とは口を利いたことがない。

吉葉は大阪府堺の百貨店の大食堂「富士屋」にいる時、コロッケの揚げ方を教えられた。

料理馬の男たちは不親切の人が多く、ほとんど後輩に料理の仕方を教えてくれないが、従って横から盗み見して習う以外に方途はないが、堺の店の親方は稀に見る親切な人で、よそ者の吉葉に手取り足取り細かく教えてくれたのだった。いまでも驚きと感謝の念が消えない。いや、この人はコロッケの揚げ方だけでなく、魚の捌き方、焼き鳥の臓物の刺し方、魚・蝦・蟹・野菜の煮物の作り方、その他、何でも自分の方から積極的に教えてくれた。自分の若い時の苦労を忘れていないのだ。教えるために「お前、あしたの朝、二時間早う出て来い。」と言うてくれて、自分も早く出て来てくれるのだった。「富士屋」は有馬に本店がある料理旅館で「天皇陛下が大阪にお見えになる時は、必ず富士屋に泊まることを所望されるんや。」と店の若い衆たちは言うていた。店の若い衆の善意は、昭和天皇にも届いているのだった。

「麻保」は大衆居酒屋なので、午後二時には鍵を開け下拵えを吉葉が始める。麻保姐さんは開店三十分前に来るのが慣わしだった。

一度、麻保姐さんのすすきのの外れ、東本願寺の近くのマンションで「お客をするんや。」ということで吉葉は早出をし、午に合わせて料理をその住まいに届けたことがある。すると向かいにもマンションがあって、その真向かいの部屋には極道が住んでいて、麻保姐さんが「ま、見とれ。昼飯喰うたら、はじめるさかい。」と言うので、こちらのベランダに坐っていると、向かいの部屋では飯を喰い終わると、極道と女が窓・カーテンを開けたまま、まぐわいをはじめた。麻保姐さんの話では、毎日のことなのだそうだ。

「こっちから見とうの、あの二人は承知のことや。見られとうさかい、情熱が沸くんよ。」

麻保姐さんはそう言うのだった。このまぐわいを見せるために、麻保姐さんはお客をしたらしい。

吉葉が卒業した田舎の中学校のそばに長屋があって、その長屋に住んでいる女のところへ時々、男が訪ねて来、来ると昼間から長屋の前に茣蓙を敷いて、烈しくまぐわいをするのをたびたび見たことがあるが。

店の姐さんがそう言う人だから、これまでに下働きで雇われた人たちも半分は一日も早く、自分も独立をして自分の屋号を持ち、結婚をし、妾を囲いたいと言う希望を口にしていたらしい。ただ独立しても、自分で店を出すと失敗した、と言う話はよく聞かされた。板場には経営者になる才覚がない人が多いのである。隣のビルの焼き鳥屋の下働きの若い男は、仕事熱心だが、この男は、どうも板場は自分の店を持つことは無理らしいと言うことがわかったらしく、将来を悲観して塞ぎ込んでいた。

「店の経営の勉強は、どないしたら出来るんやろ。」

と、会う度に吉葉に愚痴を言うた。

「そら、金に汚のうになることよ」

吉葉が一度こう返答すると、

「わしはそれは厭やな。」

と、この越田はますます悲観したような目をした。それが、吉葉にはいつまでも忘れられなかった。

吉葉と越田はすすきのの南の果て、中島公園のマンションでお互い近所だった。越田は経営の勉強のやり方がわからず、いつもエロ写真ばかり見ているらしかったが、あるしんしんと粉雪の降る冬の晩、吉葉が店から帰るタイミングと同じく越田も仕事を上がり共に自宅へ向かうといきなり、

「吉葉さん、わし妾の子ォなんや。そやから中学でたら、札幌へ修行に来たんです。お袋に聞いても、親父はどこの誰や分からへん言うし。」

と言うた。吉葉はびっくりした。だから黙っていた。越田は麻保の隣の焼き鳥じゃんぼで焼き鳥を焼いていた男である。いつも焦っていた。

「そやからわしあした、じゃんぼを辞めることにしたんです。あしたの朝、辞める言うんです。いろいろお世話になりました。あさってから、函館でもっと高級料理をやってる店に勤めることになったんです。ある人の世話で。」

「そら、よかったな。」

「吉葉さん、わしあなたみたいな人にはじめて逢うた。わしみたいに焦りがない。人から聞いた話やけど、あなた大学でなんやとな。それも東京のええ大学出とるて聞いたで。」

「えっ、ま、そうなんですけど。」

「わし分からんな。ええ大学出とったら、ええ会社に勤めて、もっとようけ給料もらえるのに。」

「……私は社会の、下の方で生きて行きたいんです。」

「さッ、さッ、それが分からんのです。分からんのは、わしがパン助の子ゥやからやろうか。」

「いや、そんなことはないと思いますよ。私は金を欲しいと思たことないんです。必要最小限の金以外は。」

「あッ、そうですか……。わしこれから吉葉さんに二度と逢うことない思いますけど、一生忘れへん思います。あなたには焦りがない。みな焦って生きよんのに。」

越田は複雑な笑みを浮かべた。吉葉はその日忙しく疲れているので、

「お先に。」

と言うて越田と別れた。が、いつまでも眠りに就けなかった。

翌日、焼き鳥じゃんぼを覗いたが、もう越田はいなかった。

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