表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/31

北方宗一の警察語り #2 日本警察、狙撃の歴史

今回は日本の警察の狙撃部隊の変遷を簡単に紹介します。

SATやSITに隠れがちな地味~な特殊部隊を紹介します。

現状日本警察には狙撃を重視した特殊部隊が複数存在します。

何故乱立したのか。その背景を見ていきましょう。

狙撃手が日本警察で初めて必要とされたのは1968年に静岡県で発生した金嬉老事件です。在日朝鮮人二世の金嬉老が殺人の後ダイナマイトと豊和工業製のM300ホーワカービンで武装して寸又峡温泉の旅館に立て籠もった事件です。

この事件では日本の警察の装備品のリボルバーでは、いかに短射程とされる.30カービン弾に対しても射程が短すぎ、突入するにも危険すぎました。その為、記者に変装し普通の記者とともに潜入した捜査官によって金嬉老が逮捕され、事件が解決するまで88時間もかかりました。

この後、警察には比較的長射程の武器を持った犯罪者を長射程の狙撃銃で狙撃することで事件を解決に導く特殊銃隊が組織されました。これが日本史上初の狙撃専任部隊です。とはいってもその組織はアメリカのパートタイムSWATと同じで、訓練を受けた機動隊員が必要となった場合に召集され編成される舞台でした。

この部隊が話題となったのは、日本犯罪史上特筆すべき事件の一つである1970年の瀬戸内シージャック事件です。この事件は少年三人組のグループが車を盗み、道交法違反で彼らを捕まえた警官を以前に盗んだ猟銃で脅しナイフで刺したことから始まります。この時少年の一人は捕まりますが、残りの二人は警察の追跡を振り切り宇部を経由して広島に潜伏。警察は少年一人を逮捕したものの残った少年はさらに広島市内の銃砲店で銃と弾薬を奪取。瀬戸内海の定期船を乗っ取り、付近でモーターボートに乗って遊んでいた人を撃ったり、報道のセスナを撃墜しようとした後、甲板上で人質を脅すアピールをしていたところを大阪府警の特殊銃隊の一人の隊員が狙撃し射殺。事件を解決しました。

この事件はその後の日本の狙撃に大きな影響を与えます。

この事件の後、人権派弁護士が殺人罪で大阪府警の広島県警察本部長と狙撃手を告発。さらに特別公務員暴行凌虐罪(つまりは権力を笠に不当な暴力を振るった罪)について付審判請求を行いましたが、両方とも不起訴、棄却されました。

この事件の後、狙撃手は顔と名前を見せないようになり、さらに射殺命令時は複数の狙撃手による同時攻撃を行うことが決定しました。そして、日本の警察が犯人を銃撃するのをためらうようになったのもこの事件からだとされます。日本においては戦後の武装解除令と銃刀法制定以降は銃器犯罪は非常に少なく、事件が起こるたびに厳しくなる銃規制下では狙撃は不要という意識すらありました。

実際、瀬戸内シージャック以降に発生したあさま山荘事件では猟銃を持ったテロリストに対し、機動隊突入による事件解決に成功したこともあって、狙撃手の必要性は相対的に低くなりました。これにはテロリストと化した学生を生け捕りにし、裁判にかけ、司法によって裁く事を主眼とした作戦を行うように当時の警察庁長官の指示が為されたといいます。司法によってその悪事全てを明らかにすれば、世間に対しての求心力を失わせることができると踏んだからです。この指示はその後の日本警察の大きな指針となります。

しかし、同時に国内では暴力団事件が増え始めます。1950年から断続的に発生してきた土岡組と山村組の抗争に端を発する広島抗争が山口組の中国地方進出で激化。1963年には遂に山口組が本格的な介入をはじめ広島市を中心に大規模な爆弾と拳銃による抗争へと発展しました。1967年の手打ちまで市街地での戦闘は続き、仁義なき戦いとして映画化もされました。

このような中、日本の警察には新しい狙撃部隊が設立されます。警視庁第六機動隊特科中隊SAPと大阪府警第二機動隊零中隊です。これらは前回書いた通り、対テロを主眼として作られた部隊であり、パートタイムではなくフルタイム編成で、準軍事組織としての性格を持った日本警察随一の攻性部隊です。

また、特殊部隊設立の少し前に警視庁第七機動隊第1中隊レンジャー小隊などの警察レンジャーや、捜査一課特殊捜査班が設立されました。

その後、これらの組織は合同で作戦を行うようになります。第一に特殊銃隊が展開し、その後レンジャー部隊や特殊部隊が展開するという手順になりました。

その後、長らくこの体制が続きましたが、1996年に大きく自体は変わります。SAPと零中隊が公表されSATと改称、日本全国に設立され、また警視庁第七機動隊第1中隊レンジャー小隊は銃器対策レンジャー部隊に改組。SITはSATに所属している隊員を招き入れ戦闘能力の強化を図りました。同時に特殊銃隊は銃器対策部隊になりフルタイム編成になり、装備も拳銃と狙撃銃だったのが、MP5シリーズによる急襲作戦対応編成へ発展しました。

ここまで来るとこれらの特殊部隊は全てMP5による近接狙撃戦を前提とした編成となり、所属と作戦目的が違うだけになってきました。しかし、それでも銃器対策部隊はSITとともに各警察本部に存在する「身近な特殊部隊」の一つとして大都市から地方の山のなかまで即応できる重要な部隊として認識されています。

特殊銃隊設立当初に狙撃銃として納入されたのは豊和工業製の民間向け狩猟用ライフルであるゴールデンベアでした。瀬戸内シージャックの際の狙撃銃もこのゴールデンベアでした。その後更新したのは豊和のM1500です。

両方ともボルトアクション式ですが、これは即応性よりも射撃精度を重視するためです。警察の狙撃は多くの場合500メートル圏内で行われるので、より精密な狙撃で犯人の腕や脚を破壊して無力化し、それが通用しない可能性がある場合は確実致死域である心臓や脳を破壊するという戦術を取るためです。さらに、日本の銃犯罪では拳銃弾より強力な弾薬を冷静な状態でしっかり狙って撃つことは少なく、500メートル程度で一方的な攻撃ができるという側面があります。これは世界中の多くの警察で共通することです。例外はアメリカやロシアなどの銃規制が緩かったり、テロの懸念が強い国です。

また、急襲戦の際はMP5を使います。このMP5は最新のMP5F型の日本向けカスタマイズモデルで、一部でMP5Jと呼ばれ、強化型ボルトやフラッシュハイダーを搭載したモデルです。これは単射での射撃精度が高いため、立て籠もった部屋に突入した際、単射で犯人の手足を破壊する戦術を取ります。SATが前面に出る際は犯人射殺による制圧が生け捕りに並行するオプションであるのに対し、銃器対策部隊は生け捕り前提であり、射殺は人質に命の危険が迫った際などの緊急事態の最終オプションとなっています。なお、ハイジャックの際はSATが前面に出なくてはなりません。銃器対策部隊はあくまでも犯人が銃器を持った一般的なレベルの立て籠もりを想定しているのに対し、SATはテロ事件であるハイジャックを鎮圧することも視野に入れており、航空機内立て籠もり対策装備として.50口径の狙撃銃を保有しているとされています。なおSITは狙撃装備が存在しません。SITは立て籠もりや誘拐など、捜査一課の対応する一般事件の中でも特殊な技術の必要な事件や、医療過誤や企業の重大事故などの専門知識の必要な事件事故に出動します。実はSITの対応する事件は非常に広いのです。

任務が被っている節がありますが、任務の特性上SATよりも維持が簡単である、SATは重要施設のない多くの県警で過剰装備になりかねない、SITと並行して運用すれば大半の凶悪犯や大事件を逮捕できるなどの観点で見れば日本警察らしい、すばらしい組織かもしれません。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ