序章 こぼれるもの
おさかなをみにいこうよ。
ほんのすこしだけ前のこと。女の子は笑ってそう言った。
胸ほどまで伸びた雑草を掻き分けて、小さな二人は勢いよく土手を駆け下りた。
けれど今、目の前の川岸には、女の子がずぶ濡れで横たわっている。
緑の草の上に、血の気の失せた青い顔で。
止まった世界を、夕日が赤く染めていく。
「だれか」
声が震えた。
もう女の子は助からない。
幼い声は知っていた。
「だれか、たすけて」
わかっていた。
もう手遅れだ。
それでも呼んだ。
助けてくれる誰かを。
悲しくて、苦しくて、辛くて、それでも涙をこらえ、怒りながら、挫けそうになりながら、もう物言わぬ女の子のために、咽喉が破れそうになるほど大きな声を張り上げた。
「だれか、さきちゃんをたすけて!」
……そのとき。
ゆっくりと後ろから伸びる大きな黒い影が、そこで動かない一人と、そこから動けない一人を覆った。
「――私が助けてやろうか」
響く声音の不吉さよりも、希望にすがって振り向いた。
「ただし、それにはひとつ条件がある」
いつの間にか、夕日は沈んでいた。
まだ青さを残した空に、点のような白い星が一つ瞬く。
女の子の瞼が静かに開いた。
赤みを取り戻したその頬に、雫がひとつ落ちて流れる。
それが川の水の滴なのか、それともこぼれた涙なのか、もうわからなかった。