花色のフューシャ4
蒼い夜明けの闇を裂いて、朝陽が大地に最初の一閃を投げ掛ける。
草の上に光の粒子が踊り、砕けて、雨音にも似た音色を幾重にも響かせる。
ヒトの耳ではけして聴き取る事の出来ない《夜明けの歌》
(―――草原が目を醒ます)
フューシャは一日のうちでこの瞬間が一番好きだった。
夜の静寂が一瞬にして彼方へ去り、生命の音が世界に満ちる感覚は、とても心地よい。
《ハヤミミ》と呼ばれたフューシャの一族は、視覚、聴覚等の五感が特に優れて発達した種族で、かつては世界中のあちこちに里を築いて暮らしていたらしい。
現在となっては残り火のようなものに過ぎず、現存する同族はフューシャの知る限りごく僅かでしかない。
ひとしきり物思いに耽っていると、丘の小道の先にすっかりお馴染みの気配を感じて、知らず口許が緩むのを感じた。
「今朝はちゃんと路を通って来たようだな」
目を凝らすと小道の曲がり角に麦穂色のくせ毛がぴょこぴょこ跳ねるのが見えた。
ご近所周りの配達や三日に一度の見張り塔へのお使いは、ちょっと前からリトの役目なっていて、本人もむしろそれは大歓迎だった。
家の中の手伝いに比べればうんと楽しかったし、リトは近所の大人(お年寄り)から可愛がられていて、時々お駄賃を貰えるたりもするからだ。
この日、焼きたてのパンをぎっしり詰めた籠を手に見張り塔を目指していると、あとほんの少しの距離まで来て例の灰色狼に出くわした。
「……ポチっ」
おもいきり固まる子供をよそに、子牛程もあろうかという巨大な狼は、小道のど真ん中で行儀良く『お座り』の体勢で鎮座していた。
こころなしか尾がパタパタと揺れて機嫌良さそうにも見える。見える、が。なにぶん先日の恐怖体験が尾を引いていて、足が固まり一歩も動けない。
「…あ…あのさ。今朝はちゃんと『路』を歩いて来たし!その……噛んだりしない…よね?」
おそるおそる呟くと、ポチはくぅと鳴いて首を傾げた。
意外にも可愛い仕草だけどダマされちゃ駄目だ!
こいつは地獄の番犬みたいにおっかない奴なんだ!
心中でツッコミを入れつつ、ジリジリと後退りし始めた時
「無闇矢鱈と噛み付くようには躾ていないぞ」
聞きなれた声がしてリトは盛大に息を吐いた。
「フューシャ~」
半泣きのリトから、ご苦労さん、とパンの籠を受け取ったフューシャは、中身を一つ取り出してポチに与える。
「こいつもメネのパンが好物だからな」
そう言って無造作にポチの鬣をワシャワシャと撫でてから、何を思ったか突然、リトにとって予想外の事を言い出した。
「塔の中、見て見るか?」
あんまり突然の事で一瞬呆けたものの、数拍後には
「行く!」
としごく元気な返事が返る。
ここを見逃す手はない、という意気込みが顔にありありと見て取れた。
黒鉄の意匠が施された古い扉が、ギィ、と軋んで開いた。
「あいた……」
「そりゃ開くだろ」
リトが塔の中に足を踏み入れるのはこれが初めてだった。
しょっちゅうお使いには来ていても、大抵フューシャは庭先で待ち構えていたからだ。
日頃あれだけ探検だなんだと騒いでいた割に怖々と中を見渡す様子が妙に可笑しくて、フューシャはこっそり笑いを堪えた。
外の明るさに反しての屋内の暗さに目が慣れるまで、幾分時間がかかりそうだ。
「昔の造りは明かり取りの窓が小さいんだ。もとは兵士の詰所だからな。――おい、そこらの棚に触るなよ、全部薬だ」
「…なにここ」
ようやく薄暗さに慣れた目で見ると、一階の床はところ狭しとばかりに物で溢れ返っていた。
至るところに棚が並び、乾燥させた野草や鉱石の塊、壷や瓶がいったい幾つあるのかというぐらい置かれている。
興味本意で手を伸ばすと
「毒もある」
と注釈が続いて慌てて手を引っ込めた。
「魔法の道具なの?これ」
少しだけ期待して尋ねると、ただの日用品、との答えが反った。
とはいえ、リトには見た事の無い道具もあり物珍しいには違いなかった。
いちいちあれこれとフューシャを質問責めにしながら塔を上り、いつの間にか屋上部分まで来て辿り着いてしまった。
「えー、ここでおしまい?」
これぞ『魔法使いのショーコ!』的な物が見つかるのを期待していただけに、拍子抜けだった。
「リト、下を見てみろ」
声のまま視線を向けた先の有り得ない風景に、リトは思わず絶句するしかなかった。
「うそだぁ…!」
ここまで上がるのに4、5階分の階段しか登った覚えがない。
なのに実際の視線の高さときたら、半端じゃなかった。
町の建物が芥子粒のように見える。
そしてサザナミに暮らす者が決して見る事のない丘の向こう側も。
「フューシャ…」
「いいかリト、サザナミの外側もヒトの暮らす世界だ。いつかお前も大人になって自分の意志で出ていく事があるかもしれない。ただ…容易く往き来出来ん事は憶えておけ」
「……そうなの?」
「そのうち解る。が、理解する前に集団で迷子になられては困る」
捜すのが面倒だ、という事らしい。
どうやら探検ごっこに釘を刺されたようだった。
「フューシャは…」
「ん?」
「魔法使いなんだよね?」
面と向かって訊いたのはこれが初めてだったかもしれない。
対する答えは『さあな』だった。
文章力が無くて四苦八苦してます。