第一章 小さな小屋に春が来る
第一章 小さな小屋に春が来る
春の訪れは、いつも風が教えてくれる。
凍てついた大地を覆っていた雪が消え、柔らかな陽射しが森の梢を照らし始める頃。
まだ冷たさの残る朝の空気に、ほんの少しだけ、土と若草の香りが混じるようになる。
リュシエンヌは、その瞬間が何より好きだった。
「……春ね」
小さな窓を押し開けると、朝の光が銀色の髪を優しく照らした。
腰まで届く長い髪は、陽の光を受けて淡く輝き、深いエメラルド色の瞳には、朝露に濡れた庭の緑が映り込んでいる。
この国では珍しい銀の髪と緑の瞳。
亡き母から受け継いだその容姿を、リュシエンヌは密かに気に入っていた。
母はよく、その髪を梳きながら言ってくれたものだ。
『リュシーの髪は、お月様からいただいた贈り物ね』
そして瞳を覗き込み、微笑むのだ。
『こちらは春の森からの贈り物。なんて素敵なのかしら』
その言葉を思い出すたび、リュシエンヌの胸には、今も小さな灯りがともる。
「おはよう、みんな」
窓辺に肘をつき、庭に向かって声をかける。
すると、どこからともなく、小さな光の粒がふわふわと集まってきた。
『リュシー! おはよう!』
『今日はいいお天気よ!』
『ねえ、ねえ、早く外に出て!』
鈴を転がしたような声が、いくつも重なる。
小さな羽を背中に持つ妖精たちだ。
人間の目にはほとんど映らない彼らは、ずっと昔から森や花々の間で暮らしている。
リュシエンヌには、物心ついた頃から彼らが見えていた。
それが特別なことだとは、幼い頃は思いもしなかった。
ただ、母が亡くなったあとも、彼らだけはずっと傍にいてくれた。
「ふふ。そんなに急がなくても、お花は逃げないわ」
『逃げないけど、咲くの!』
『昨日の蕾が開いたのよ!』
「まあ、本当?」
リュシエンヌは急いで古びた靴を履いた。
そして、軋む木の扉を開ける。
小屋の脇には、小さな花壇があった。
花壇といっても、立派なものではない。
石ころを取り除き、森で拾った枝で囲っただけの、小さな土の一角だ。
けれど、そこにはリュシエンヌが大切に育てた草花が、季節ごとに色とりどりの花を咲かせる。
今朝は、薄紫色のスミレが一輪、顔を出していた。
「……なんて可愛いの」
思わずしゃがみ込み、花を覗き込む。
春の光を浴びた小さな花弁は、まるで恥ずかしそうに俯いているようだった。
『わたしたちが応援したの!』
桃色の羽を持つ妖精が、得意げに胸を張る。
「そうなの? ありがとう。でも、まだ寒い日もあるから、無理をさせてはいけないわよ」
『はぁい!』
小さな返事が重なり、リュシエンヌはくすくすと笑った。
その笑い声につられるように、木陰から一羽の野うさぎが姿を現した。
「あら、あなた。もう歩けるようになったの?」
昨日、前脚を傷つけて小屋の前に倒れていたうさぎだった。
リュシエンヌが抱き上げて傷に触れると、不思議なことに、傷口は少しずつ塞がっていった。
今朝はもう、すっかり元気になったらしい。
うさぎはぴょんぴょんと跳ねて、彼女の膝に鼻先を擦りつけた。
「もう痛くないのね。よかったわ」
その小さな頭を撫でながら、リュシエンヌは嬉しそうに微笑んだ。
彼女の指先から、淡い金色の光がこぼれる。
その光に気づいた妖精たちは、一瞬だけ顔を見合わせた。
けれど、何も言わなかった。
リュシエンヌが、自分の持つ力を特別なものだと思っていないことを、彼らはよく知っていたからだ。
彼女にとっては、傷ついた命を助けたいと願うことも、枯れかけた花に元気になってほしいと思うことも、ごく当たり前のことなのだった。




