第4節 A子とB子の見分け方
イブが振り返って課長を見ると電話対応中だし、周りの職員も手の空いている者はいない。
隣りの島の保険係に救いの目を向けると、受話器を下ろしたばかりの係長が軽くうなずき、席を立ってくれた。
「はい、お待たせしました。勝男さん、今日はどんなご用ですか?」
係長の声は落ち着いている。
深井町には加山、亀本、原の姓を持つ者が極端に多く、かつては人口の大半を占めていて、小中学校の卒業名簿はこの3つの姓でほぼ埋め尽くされていた。
だから、苗字ではなく名前で呼ぶのが習慣になっている。
3家には暗黙の了解があり、漁師が多い加山一族は海と魚にちなんだ名をつけ、農家中心の亀本一族は土と草木にゆかりのある名を、そして家業がまちまちの原一族はそれ以外の名を与えていた。
そして、同じ町内に生まれた子には、必ず違う名前をつける。
居住地域を言うときも今の何丁目ではなく、昔ながらの字名なので、それを組み合わせて本人や家族を特定する。例えば、番場のハジメくん、荒崎の愛子さん、となる。
高齢者の男女がお互いを名前で呼び合うのは、西洋風でちょっとオシャレな感じがする。
勝男と呼ばれた男の姓は、言うまでもなく加山だ。
イブは背後霊のように係長の左斜め後ろに隠れて、2人のやりとりを聞いた。
かすかに魚の臭いがする。
「だからさあ、納税証明が要るって、さっき言ったじゃん。
『ちょっと待ってください』とか言ってさ、そのまま放っておかれてるんだよ、俺は!」
新年度が始まり、住民もいろいろ役場でとる書類が多い時だが、職場に人事異動があったことで事務効率は落ちている。
それに加えて、今日は年度始めの4月1日に重ねて月曜日で、正にブラック・マンデー。
前回4月1日が月曜日だったのは平成30年なので、6年振りの大賑わいということになる。
出生届などの手間のかかる戸籍の届出があれば、それだけでベテラン職員1人が掛かり切りになってしまう。
また、3月から戸籍データがオンライン化され、全国どこの市町村窓口でも自分の戸籍謄本などが取れるようになったこと自体は良いことだったけれど、そのため、それまで本人が本籍地に郵送で行っていた請求分が役場窓口でのリアルタイム処理に振り替わり、昼間の窓口業務繁忙化に拍車をかけていた。
あるだけの椅子に座れている者はまだ良いけれど、立ったまま待っている者の目つきがだんだん険しくなるのは仕方がない。
係長は、カウンター上の箱に置かれた新規来庁者用の順番カードではなく、カウンター下の処理済として回収したカード入れの中から1枚取り出して、それを勝男に渡した。
勝雄は、「順番カードをお取りください」との表示が目に入らず、カードを取らないままで待っていたのだ。それでは呼ばれるわけがない。
「この番号が呼ばれたら貴方様ということで、ご容赦ください。
もう、ちょっと、お待ちくださいね」
「ちょっと」の部分に力を入れて、作り笑顔をする。
「この後、仕事に行かなきゃいけねぇんだからさぁ。早くしてくれよな!」
とりあえず鉾を納めて引っ込んでくれたので、2人して頭を下げた。
自席に戻る途中で、係長がささやく。
「あの人、お酒臭かったわよね」
朝食前にひと仕事済ませ、ご飯を食べながらビールでも飲んだに違いない。
「いろいろな人が来るわけですね」
隣りの係長に頭を下げて自席に戻り、通勤届に自宅から役場までの地図を描く。
今風ではないけれど、「通勤経路上も公務災害補償が適用されるから、正確に描いてね」というのが、課の庶務担当、加山さよりの説明だった。
午前11時半、8時から並んでいた来庁者の処理がいったん終わり、電話が落ち着いた頃を見計らって、ようやく海老夫課長からの職員紹介となった。
「朝からお疲れ様でした。
では、手短に、異動で来られた方と新規採用者の紹介をします。
3人は前に出てください」
異動で来た2人の先輩を上座にし、イブは一番左に並ぶ。
健康福祉課健康係から課税係に来た原久子、教育総務課社会係から保険係に異動した亀本春菜と続き、3人目が新採のイブ。
半歩前に出て、一礼してから自己紹介をした。
「佐藤イブと申します。少し老けていますが、新採です。
わからないことばかりですが、頑張りますので、よろしくお願いします」
税務町民課フロアの一番奥にある徴収係で、男性職員2人が何事か耳打ちしている。
それを見たイブが追加で言った。
「身長は169.5センチ。戸棚に頭をぶつけないよう、慎重に動きます」
クスッと笑いが起きる。
「血液型はAB型。誕生日は、12月24日です」
「おおっ」という驚きの声。
「プレゼント、大歓迎です」
笑い声と大きな拍手が起きたところで電話が鳴った。
「では、このくらいで。皆さん、ご指導、よろしくお願いします」
課長が締めると、蜘蛛の子を散らすように皆席に戻る。
この様子を玄関ロビーで立って見ていた数人の来庁者が、急ぎ足でカウンターに寄って来た。
花子係長が、加山英子とイブを呼ぶ。
「ああ、やっと紹介できる。イブちゃん、あなたの教育担当は、この英子主任。窓口業務に関しては、英子さんのやってることを見ながら学ぶ。OJT、オン・ザ・ジョブ・トレーニングです。いいですね?」
主任というからには40歳は過ぎていると思われるのに、見た目が若い。やや小柄で、血色がいいせいか、明朗闊達な印象がある。
「よろしくお願いします」
イブが深々と頭を下げる。
「加山英子です、よろしくね。二つ先の課税係の島にいるビーコは、双子の妹です。わっかるかな?」
と、茶目っ気いっぱいの笑顔をみせる。
見ると、向こうの島で、同じ顔をして同じ事務服を着た女性がいて、Vサインを出していた。髪形も同じ。妹の顔にホクロがあるわけでもない。
「あたしたちのカラオケの十八番は『愛のバカンス』。いつか聴かせてあげるわね」
係長が追加で説明した。
「向こうのビーコ主任は、亀本美子さんていうんだけど、名前の漢字の美をとってB子さんって、みんな呼んでんの。
A子さんとB子さん。どっちがどっちだかは、誰にもわかりません。
時々、2人が入れ替わって座っているという噂が立ちますが、真実は分かりません。
2人ともベテランで、スイッチして人事異動したことがあるから、両方同じように仕事ができちゃうのね」
係長の追加説明に、A子がエヘッと舌を出す。
「学生時代に、アルバイトでマジックショーの瞬間移動やってた。
イージー・ペアって名前で、アングラデビューしたこともあるのよ」
イブの口がぽかんと開いたままだ。
「奥歯にも虫歯はないのね?」
あわてて口を閉じる。
その後、しばらく共用品の文房具置き場を漁っていたイブが戻り、自席のちょうど対面、花子係長の左前の席に座っているA子主任に近づくと、さり気なく声をかけた。
「あ、主任、肩に糸くずが、、、」
糸くずを取るふりをして、直径5ミリの黒丸シールを濃紺の事務服の左肩の峰のすぐ後ろ側に貼った。
正面からは見えずらいが、イブの方が15センチほど背が高いので、見下ろせば確認できる位置になる。
「A子主任、バッチリです。カラオケですが、わたしは井上風水の『感謝知らずの男』とキャンシーズの『年上の女の子』が得意です」
2人してにっこり。




