第23節 町長選挙をやろうじゃないか
さて、翌週の金曜日、9月13日の夜。
仕事を終えた未来塾のメンバーが、続々と夜空の星に集まってきた。その数16人と、いつもより多い。
万汰が来る前から満席状態だ。
牛目夫妻も困惑気味で、ドアの外に異例の「本日貸切」の札を下げた。
原因は、青年会議所のメンバーにあった。
先週町議会であった合併問題特別委員会の報告記事を新聞で読み、納得いかないというのだ。
不動産業を営む栄衛が、その急先鋒だ。
仲間と共に定刻より早く到着し、早々に酒盛りを始め、牛目夫妻を相手に気炎を上げていた。
栄衛が、テーブル席からカウンターの内側にいる牛目に向かって語りかける。
「会長、聞いて下さいよ。
横須賀市議会が賛成しないなんてことは、ないですね。県議会だって通る。与党民自党が賛成しますよ。
だって、山と坂ばかりが多くて『トンネルの数が日本一』なんて情けないことを言ってる横須賀と違って、ここ深井には三浦半島で貴重な平地が残されているんですよ。
湘南の逗子葉山から見れば更に南の南湘南で、真冬でも海水温が13度を下回らない。葉山から帰ってくるときは、長者ヶ崎を回ったとたんに風が温かいじゃん。
だから、そう、佐島の沖には、珊瑚があるんですよ」
「ええっ?」と、のけぞる牛目。
「ウソじゃないです。
以前、立石の浜を散歩してたら、10センチ位の珊瑚の白い欠片が落ちてるんですよ。
拾ってびっくり。
世紀の大発見だと思って、鑑定のために横須賀市の博物館に超特急で持ち込んだら、涼しい顔で学芸員が言うんですよ。
『佐島の沖には樹状珊瑚が自生していて、めずらしくないんですよ。
嵐のせいで折れたんですね。今日は、あなたで2人目ですよ』って」
牛目が愛子の顔を見ると、小さな声で言った。
「タカラガイもたくさん採れるの」
グラスビールで喉を湿した栄衛が続ける。
「それに、深井は海浜リゾートのオーシャンビューに加えて、マウンテンビューでしょ。おまけに、花火ビューに星空ビューですよ。
高速を使えば都内からでも一時間ちょっとで、ビューっと来れる」
隣りに座った仲間が、笑いをこらえながら栄衛のグラスにビールを注ぐ。
「昔、プロ野球のジャイアンズの長崎茂雄の別荘もあった。
福浦公園の裏には、塀の中にいた懲りない小説家のイベ・ジョージの別荘もあって、でっかい熊の縫いぐるみを助手席に乗せてよく来てたじゃないですか。『熊出没注意!』ってシール貼って」
「ほほう、彼がね?」
目を丸くする牛目。
「内原台から眺める相模湾と富士山は、誰もが認める絶景そのものですよ。
立山大幹がここで富士山を描いて、深井小に寄贈した話はみんな知ってますよ。でも、その絵も横須賀に取られちゃった」
深井町が戦後独立した時に取り返すことができず、横須賀市の所蔵品のまま残り、長く市長室に掛けられていたのだ。
幅50センチほどの日本画だが、いかにも大幹が描いたという富士山だ。
「ナウマン象の骨格標本もそうですよ。横須賀市の博物館に取られたままだ」
皆がうなずく。
「でも、一緒になれば、それも許せる。
横須賀市が財政赤字だと言うけど、コロナも終って人が集まれるようになった。積極的な集客施策を打ち出せば交流人口は確実に増やせるし、場合によっちゃあ定住人口だって増やせる。
『コレイユの丘』なんか、毎週大賑わいじゃないですか」
2005年、内原台の西端に農業体験型公園として開園した「コレイユの丘」は、町からの受託経営主体が何度か代わった後、最近はその経営努力が実を結び、大変な来場者数になっていた。
土日はもとより、平日も大型観光バスが何台も来て、大いに賑わっている。
何しろ、入園料無料が大きい。1,000円の駐車場代さえ払えば、園内で1日遊べる。
坂を下りた先の海岸の長浜と一体的に利用する家族もいて、砂浜や磯で遊んだ後「コレイユの丘」の露天風呂で汗と塩を流すというパターンがウケていた。
子供や家族をターゲットにしたマーケティング戦略が明確で、公園の多くの敷地がデイキャンプ場として解放され、泊まりのオートキャンプ場も整備されている。
深井にあるのは広い海と大きな空であり、いつもゆるりとした西風が吹いている。
青年会議所の仲間からグラスに白ワインを注がれ、2口飲んだ栄衛が続けた。
「町議会がやる気がないのは、わかった。ケツの穴の小さい奴らだ。
ならば、どうするか?
やる気のない議員たちに任せられないなら、自分たちでやるしかないでしょ」
「そうだー」の声。
「ありがとう」
栄衛が手を振って歓声に応える。
「図書館建設と消防署誘致のために横須賀市と合併するという住民ニーズを実現できるは、結局、俺たち住民でしかない。
役場の連中も当てにならない。どんなにいいことを言ってても、しょせん3年から5年すれば別の職場に異動してしまう。
後任の奴に『前任者が約束した』と言っても『そうした引き継ぎは受けていません』って、いけしゃあしゃあと言うんだぜ。そんな奴らを、信用なんかできない」
再び「そうだー」の声。
顔を見交わす牛目夫妻。
栄衛は、2杯目のワインを注がれると、ぐびっと飲む。
「じゃあ、具体的にどうするか?
町の議員が腰くだけ、役場も当てにできないというなら、町長を取るしかない。
原さんの考えは、よくわかってる。頑固で、考えを曲げるような人じゃない。でも、ちょうど来年1月に任期が切れる、、、。
だったら、そう、町長選挙を、やろうじゃないか!」
そう言って、空のワイングラスを皆に向けて掲げた。
「そうだ、そうだー!」
部屋中が大騒ぎになった。
「縄文時代以来ですね!」
歩夢が歓声をあげる。
栄衛が右手を広げて皆を制し、続けた。
「俺たちに足りないのは、原さんに立ち向かえるほどの強力な、個性を持った候補者だ。
ここにいるメンバーは、みんなそれなりの立場にいるけど、原さんと並ぶと、ちょっと役不足だな、、、」
年齢、経験、哲学、人望、どれも原に及ぶべくもない。
1人2人と、徐々に視線が牛目に集まってくる。愛子の視線まで夫に向いた。
半歩下がる牛目。
「おいおい、みんな。ちょっと、待ってくれよぉ、、、」
声がかすれている。
栄衛が立ち上がって言った。
「俺の思いも、みんなと同じです。この場にいない多くの合併派の人の気持ちも、同じでしょう。
酔って言っているのでは、ありません。
みんな、真剣です。会長、ここは、ぜひ、お願いします!」
感極まった栄衛が、床に膝を突き、土下座をした。
青年会議所のメンバー3人が、並んで土下座をする。
「おいおい、それはやめてくれよ。まあ、座り直して。
困ったなあ、、、」
椅子に座り直した全員を前に、立ったまま腕組みする牛目。
「みんなの気持ちはわかった。
深井の未来を自分たちの手で作ろうという、その気持ちを、多分自治というのだろう。
自分の人生を他人任せにしない。ぼくも、全く同感だ。
となると、出るしかないのか。
樹くんのようなことが、二度と起こらないためにも、、、」
「あなた!」
愛子がすがりついた。
部屋中に大歓声。
栄衛が立ち上がった。
「会長、ありがとうございます!
よーし、今夜は、新しい町長の誕生祝賀パーティだ!」
両手を腰にあてたまま、苦笑いする牛目。
早速、皆で改めて乾杯をし、選挙準備に向けた段取りを確認した。
選挙対策本部長は栄衛がなり、選挙要員は経済界から出すことにする。
選挙ブレーンは、現役の民自党議員から来てもらうよう栄衛が頼む手筈とした。
婦人会やPTAからも有志の手伝いは出ると見込まれ、各団体が推薦に向けた手続きを進めることになった。




