第2節 見た目がちょっとラフすぎる
中に入ると、今日1日の流れの説明があり、隣室で行われる辞令交付式の予行演習をした。
立ち位置、辞令の受け取り方、元の位置への戻り方などを教わる3人。
9時、隣りの「2の3会議室」で辞令交付式が始まった。
副町長以下、教育長に9人の課長と、町の全幹部職員が着席する中、新採3人が担当者に導かれて入室する。
全員揃ったとこころで、バリッとしたスーツを着た小柄な原一町長が秘書を伴って入ってきた。
ひと呼吸おいてから、進行役の総務係長が開式を宣言。
採用者の名前が読み上げられると、呼ばれた者は3人立ち並んだ列から離れ、正面真ん中に立つ町長の前に進み出た。
大股で歩く1人目の男は見るからにスポーツマンという雰囲気で、体の動きもしなやかに見える。
介添え役の財政係長が辞令を町長に手渡すと、町長が氏名を読み上げ、配属先と俸給を告げた。
「加山鯛双。主事補に任ずる。
教育委員会に出向する。
俸給表第2級第4号を給する」
町長からうやうやしく辞令を受け取ると、ロボットのように歩いて元の列の最後尾に並ぶ。
教育委員会は町長部局から独立した機関なので、加山は、この後教育委員会で行われる辞令交付式に再度臨み、そこで教育長から配属先が明示された辞令を受け取ることになる。
町役場の大卒の基本給は、月額19万2,600円。
2人目の亀本歩夢は、どちらかというと文弱な学生の殻を抜け出ていない様子で、いまひとつシャキッとしない。
彼は健康福祉課福祉係配属となり、俸給は同額。
3人目がイブだ。
「佐藤イブ」
進行役の呼び声に「ハイッ」と大きく応え、胸を張って町長の前に進み出る。
身長172センチのイブが、ヒール6センチのパンプスを履き三つ揃いのパンツスーツに身を包んで歩くと、さながらファッションショーのランウェイを歩くモデルのようだ。
会議室全員の視線が集まる。
「ほほぅ、、、」
身長160センチに届かない町長が、ぐっと背筋を伸ばした。
見上げる町長、見下ろすイブ。
目が合って、のけぞる2人。
「おおっ?」
町長が鼻眼鏡をずり上げる。
「ああっ、さっきの」
「おじさん」と言いかけて、イブが右手で口をふさぐ。
心臓が高鳴り、脇の下から汗が噴き出た。
イブは目が悪く、コンタクトをしているものの、離れていると人の顔がよくわからない。
「失礼しましたっ!」
周りに聞こえないように小声で謝ると、原もここは軽く会釈するにとどめた。
脇の財政係長が首を左に曲げながら辞令書を渡す。
改めて居ずまいを正す2人。
「佐藤イブ。主事補に任ずる。
税務町民課窓口係に配属する。
俸給表第2級第6号を給する」
読み上げた町長自身が隣りの財政係長に向き直って「いいの?」と目できくと、係長は黙ってうなずく。
イブは大学院の博士課程修了なので、学部卒よりも基本給が2つ上となる。
修士課程修了ならば5号給で7,000円高くなるが、博士課程修了者は2段高い6号給で、本給月額20万6,600円。
職員給与条例施行規則に規定されているけれど、募集要項には大学院修了者の俸給に関してまでは細かく記載がなかった。
着任後は職場内研修を主とし、わたわたして大した仕事もしないうち、2週間後の4月15日に初任給20万をもらう。
公務員の給料は、民間と違って前払いなので、採用された月の給料日に初任給が出る。
ただ、基本給が20万といっても、所得税を引かれ、厚生年金保険料と市町村職員共済組合の健康保険料、厚生会費などを引かれれば、銀行口座に振り込まれるのは16万。
初任の年は前年所得がないことから住民税はかからないけれど、2年目からは住民税もここから毎月天引きされることになる。
振り込まれた銀行口座からアパートの家賃5万円を振り替え、大学院時代の借入の返済金4万円を支払うと、残りは7万円。
スマホ代のほか値上がり著しい光熱水費を引くと、昼のお弁当は手作りするにしても、貯金できるお金が残るわけではない。
隣りの横須賀市逸見の実家から通う手もあるけれど、なんとかなる間は独立希望だった。
「町長講話」
うやうやしく進行係が言うと、直立した3人に向かって町長が話し始めた。
「昨年の5月、コロナウィルス感染症が5類に下がり、社会がようやく元のように回り始めたかに見える。
確かに、飲食店、旅行業界、医療機関に働く人をはじめ、多くの町民が、コロナの3年間、塗炭の苦しみを味わってきた。
皆さんも、楽しい学生生活を送れるはずのところ、部活もなく、オンライン授業ばかりで味気ない思いをした。早く元に戻りたい、そう願った」
うなずく3人。
「しかし、ここで、元に戻せばそれで良い、ということでは、ないのではないか。
つまり、誤解を恐れずに言えば、コロナの3年間を変革の好機ととらえ、それまでできなかったこと、考えられなかったことを、やってみるチャンスではないのか。
皆さんには、ぜひ、前例にとらわれず、古き因習を打破し、新しい施策にチャレンジしていただきたい。
攻めの行政です。チャレンジ、チェインジ、クリエイト。
ドラッグストアじゃ、ありませんよ」
後ろの課長席から小さな笑いが漏れた。
「自治と民主主義で有名な国に、永世中立国のスイスがある。
スイスは、面積4万平方キロ、人口700万人ほどだが、日本の九州より少し広いくらいの土地に、九州全人口の約半分の人が住んでいる。
国土全体が2,900のゲマインデ、日本でいえば地域社会だが、それに分かれていて、平均するとひとつひとつのゲマインデの人口は2,400人に過ぎない。
しかし、その小さな地域社会の中で、直接民主主義が豊かに機能している。
わたしには、深井町にも深井町に合った自治の姿、民主主義の姿があると思えてならない。
それを探求する役割は、ここにいる100人の行政職員と8千人の地域住民自身が担っている。国や県ではない。
住民自治はもとより、深井町の団体自治は、皆さんの双肩にかかっているんだ。
これら住民自治と団体自治の統合された姿を地方自治ということは、皆さんがこれまで学校で習ってきたとおりだ。町役場というのは、その実践の場なんだよ。
基礎的自治体としての市町村が、地域住民の命と暮らしを守る最後の砦なんだ。
このことを肝に銘じ、誇りに思い、職員としての自覚を持っていただきたい。
皆さんの持っている能力が遺憾なく発揮されることを心から願い、辞令交付式にあたっての、町長からの講話とします」
「一同起立。
礼!」
小柄な町長が、長身の副町長と幹部職員を従え堂々と退室していく。
廊下に出ると若い町会議員が町長を待ち受けていた。
渋いダークスーツを着ているものの、髪の毛が妙に長くワイシャツの襟からはみ出ていて、フォーマルな感じを損ねていた。
「なんだ、万汰。何か用か?」
町長は昔子供会の会長をしていたので、若い議員に対して子供の頃の呼び方のまま言ってしまうことがある。
「町長、施設統廃合計画の件で、伺いたいことがあります」
「わかった。町長室に資料がある。今日は忙しいが、10分だけ話を聞こう」
「ありがとうございます」
彼が頭を下げ、その場を離れる時にイブと目が合った。
イブは目礼したものの頭を下げなかった。
2人が去った後、鼻を鳴らすイブ。
「ずいぶんと熱心な議員ね。誰?」
鯛双が解説した。
「去年、25歳の最年少で初当選した加山万汰さん。
地元少年サッカーチーム『深井フリューゲル』のOBで、俺の3年先輩」
続けて歩夢が補足説明。
「確か、父子家庭で、大学卒業後にJICA、国際協力機構の青年海外協力隊に入って、中南米のジャマイカに2年間行っていた国際派」
「ジャイカでジャマイカ?」
「うん。昔、JICAの国際水産研修センターが深井漁港の隣りに建っていて、世界中から日本の最先端の漁業を学びにやってきてたんだって。
ちょうどぼくたちが生まれた後の2002年に横浜に移転しちゃったんだけど、先輩たちに聞くと、研修生たちが地域の祭りに参加したり、小学校で一緒に給食を食べたりと、ずいぶん交流したらしい。
研修生といっても本国ではずいぶん地位の高い人が多くて、おじさんが多かったらしいけどね。国に帰った後は、水産大臣や漁業局長とかになったらしい」
再び鼻を鳴らすイブ。
「ふーん。国際派ねぇ、、、。
見た目ちょっとラフすぎるけど、じゃあ、まァ、いィか」
歩夢が続けた。
「まあ、議員対応は基本的に管理職の仕事で、ぼくたちペィペィは関わらない」
うなずくイブ。
「特に注意を払う必要はないと、、、」
今度は鯛双がうれしそうに言った。
「深井が国際的なのは、戦後しばらく元海軍大将の井手之上さんが子供たちに英語を教えてくれていたのもあるし、米軍住宅があったのもある。
だって、当時の子供はアメリカの子供と英語で喧嘩してたんだぜ」
続けて、新採3人で同期会を作ろうと言いだし、歩夢が同意すると、あっけなく過半数で可決だ。
「ね、いいでしょ? 今夜、さくっと、1時間だけ。
俺が地元の料理屋を予約しておきます。とっても、美味しいんですよ」
白く歯並びのいい笑顔で求められると、ノーと言えない。
「それは楽しみね!」
イブは、子供の頃から食い意地だけは誰にも負けなかった。




