第18節 合併運動を阻止せよ
地域を守り発展させられるのはその地域の住民自身のほか誰もいないことは明らかなのに、新住民にはその自覚が足りないという指摘も間違っていない。
原は、町長として、この点を気にしていた。
(敗戦後、なぜ、深井の先人たちは、横須賀市からの分離独立を求めたのか。そして、したのか。
『寄らば大樹の陰』ではなく、自らの足で立ち、自ら汗をかき、互いに手を取り合って生きるためではなかったのか。
お金を払って行政に丸投げし、あとは文句を言うだけ。それを自治といえるのか。それを民主主義といえるのか。
やはり、戦後の新憲法のもとで先輩たちが志向したように、自分たちの未来を自分たちがつくる、そうした地域社会を目指すべきではないのか。
お金があるない、ではない。たとえ、その資金があったとしても、地域社会は、かくあるべきではないのか。
財政が豊かでないからこそ、本来の自治の姿を探求できる、そうした条件が、深井にあるのではないか)
原は、事ここに至り、自治研究所の設置を決断した。
表向きの理由は深井町ならではの自治の姿と施策を研究することにして、実質的な狙いは合併問題特別委員会への対応であり、合併推進運動の沈静化にあった。
条例設置だと議会の議決が必要なので、事務分掌規則を町長決裁で改正し、自治研究所を未来政策課内に設置することにした。これに伴って、6月17日の月曜日、突如異動の内示が出た。
研究所の所長は未来政策課長を併任として充て、担当係長として企画係長を、担当者として税務町民課のイブを、これも併任で充てるというものだった。
内示を見てイブが海老夫課長に文句を言った。
「わたし、困ります。だって窓口係と併任なんでしょう?
お給料そのままで2人分働けってことなんですか?」
額の汗を拭きながら課長が答える。
「いや、そうは聞いてない。週5日のうち、後半の木と金、2日間だけでいいらしい」
「もう、蝶々ったらぁ、、、」
イブの頬は膨れたままだ。
予算は全て未来政策課の現行予算からの流用なので、研究所設置のための補正予算は組まない。
議会に一切諮ることなく、町長の独断で進めるためだ。
その日、未来政策課のカウンターの上に、「深井町自治研究所」という町長自らが黒マジックで書いた卓上三角プレートが置かれた。
あとは、イブ用に机が追加され、電話機がひとつ置かれただけ。
イブは、木金の2日、ここの机で仕事をすることになった。
午前10時、未来政策課長、係長、イブの3人が町長室に呼ばれ、併任を命ずる旨の辞令書を与えられると、そのまま町長からの示達だ。
3人は一度も座ったことのない町長室のソファに座らされ、向かい合った原からこんこんと説諭された。
「わたしの考えはシンプルで、深井の独立と自治を守る、これだ。
深井は、戦前、逗子町や浦賀町、大楠町、武山町などと一緒に、半ば強制的に横須賀市に合併させられた。
それ以後は全てが横須賀中心に決まり、西のはずれにある深井には何の恩恵もなかった。むしろ、敗戦後、米軍住宅ができ、地元住民とのトラブルが絶えなかった。
われわれの先輩たちは、この深井を、自分たちのまちとして、自分たちの手で守り運営していくこと、それを選んだんだ。
大変な闘いになったが、逗子町との共闘作戦が功を奏し、両町ともなんとか横須賀市から分離独立することができた。浦賀町や大楠町、武山町は、独立できなかったんだ。
今、われわれがこうして住んでいる深井という町は、その時の先輩たちの非常な努力の結果として存在している。
そのことを、どうか肝に銘じてもらいたい」
生唾をごくりと飲むイブ。
「貧しい町でもいい。そこに住む者の間に、相互信頼と絆、誇りがあれば、地域の維持と発展はできる。
自分たちのまちを好きになること。自分たちのまちを好きな人を1人でも多くすること、それがまちづくりだと思う。
自分の住むまちが好きな人というのは、何も言われなくても自らすすんでまちを良くしていくものだよ。
大事なことは、お金を使うことでもないし、ハコモノを造ることでもない。
3人のミッションは明快です。横須賀市との合併を阻止すること、深井に真の地域自治を確立する方策を研究すること。
よろしいかな?」
深くうなずく3人。
町長室を出ると、課長席に集まり、3人で戦術の検討をした。
戦略目標はわかった。では、具体的にどう行動していくのか。
「またしても難問ですよ。何問目でしょ?」
イブのボヤキに他の2人も苦笑いだ。
とりあえず議員との窓口は課長がなることにして、係長とイブは、まず合併に向けた地方自治法上の手順の確認をすることにした。
どこかにボトルネックがあるはずで、そこをしっかり握れば、話が先に進みにくくなる。
とはいえ2人とも併任なので、通常業務をやりながらのことであり、なかなかテンポ良くすすむとはならなかった。




