第17節 あれもない、これもない。なぜないの?
6月10日、月曜日、午前10時。
万汰は、町役場3階の町議会議場で代表質問に立っていた。
施設統廃合計画をとなえ町の公共施設の整理縮小を目指している原町長の姿勢を、厳しく問いただしていた。
「わたしが初めて言っていることでは、ありません。地域の方々、先輩方が、昔から言ってきたこと、お願いしてきたことです。PTAからも要望書が出ていました。
どうして、深井には図書館がないのでしょうか?
どうして、青少年の家がないのでしょうか?
子育て環境の整備、少子化対策には、いずれも必要なものです。
隣りの横須賀市にも三浦市にも、あるんです。そして」
ここで、万汰の言葉が詰まった。
下を向いて聞いていた議員の視線が集まる。
「どうして、深井には、消防署がないのでしょうか?」
万汰の声が震えた理由を、その場にいた全員が知っていた。
金曜日のテトラでの事故のことは、土日の間に全町内に伝わっていたのだ。町長の原も、十分に知っていた。
「公共施設は、ただのコンクリートの塊ではありません。
そこには地域にかかわる職員がいて、ひとりひとりの住民の命と暮らしを守ってくれているんです。今でも施設が足りない。
消防団員はいます。頑張ってくれています。それは、みんな知っている。
しかし、ボランティアの消防団員には、できないことがあるんです。消防署の隊員だからこそ、できることがある。
何かあったとき、すぐに助けに駆けつけてくれる消防署が深井にも必要だとは、町長、思いませんか!」
腕を組み両目を閉じて万汰の質問を聞いていた原が、黙ったままうなずく。
すかさず、万汰が大きく一歩踏み込んだ質問をした。
「町長、やはりここは、隣りの横須賀市との合併を検討すべき時期に来たと、思いませんか?
小さな町のままだから、いけないんです。
今日こそは、町長の真意を伺いたい!」
腕組みを解いた原の両目がカッと大きく開き、右手がまっすぐ挙がった。
「町長」
議長が指名すると、ゆっくり席を立つ。
「議員ご指摘のとおり、この深井に必要なものはたくさんあります。
わたし自身も、町長になる前は図書館の必要性を当時の町長に訴えてきた。青少年の家、消防署、いずれも、そのとおりです。ほかにもある。
しかし、しかし、です。
ここにおられるすべての議員の皆さまがご承知のとおり、高度経済成長時代に造られた全国の公共施設が半世紀経ち、経年劣化のため大規模な改修や建て替え工事を迫られているわけです。
1981年に建築基準法の大改正があり、耐震基準でいえば、現状、多くの施設が既存不適格と、事実上の違法状態にある。危険であり、そのままにしておくわけにはいかない。
地上で見えている施設はまだわかりやすいが、地面の下の下水管や水道管は敷設から50年を過ぎ、とっくに敷設替えの時期に来ている。壊れるときは、何の予告もなく突然壊れて大問題になる。
これは、深井だけのことではありません。全国的な大問題です。
しかし、深井の財政を考えると、学校も含めた多くの公共施設をそのまま改修や更新するための予算は、開き直ったと怒られるかもしれませんが、ないのです」
原が胸を張って両腕を広げる。
「いいですか、学校の子供用トイレを1か所改修するだけで、500万円もかかるんです。小学校中学校、18か所で9千万。和式を洋式にし、暗く陰気な雰囲気を明るくする、そのためにです。
子供たちが、にっこり笑って学校でウンコできるようにする、そのためにです」
議場の一部から失笑が漏れたが、原は真剣だ。
「図書館、消防署に至っては、億、10億の単位で、経費がかかるんです。
どうか、現状の財政をご理解いただきたい」
原は頭を下げたが、議場が紛糾した。場内の左右からヤジが飛ぶ。
「金は使い方の問題だ。多い少ないじゃない」
「無駄な残業ばかりするからだ」
「職員の給料を下げるか、数を減らせ」
「ご静粛に!」
議長がいくら木槌を叩いても、静かにならない。
結局、この日は質疑を中断し、万汰が提案した横須賀市との合併問題を継続審議するための特別委員会が設置されることになってしまった。
想定外の展開に、原が頭を抱えた。
合併派の住民が考えていることは、深井の財政が厳しいというのなら、より財政規模が大きな横須賀市と合併し、その財政力をもって深井に足りない施設の整備を進めていけばいいということだ。
横須賀市には米海軍基地と防衛隊施設が数多くあることから、国からの補助金や交付金が潤沢にあると考えられていた。
数年前にも、国からの補助金を受けて中学校の給食用調理センターを新設していたことは、新聞を読んで皆知っている。
人口40万、政令市に次ぐ中核市で、一般会計だけでも深井の15倍以上の財政規模だ。
しかし、町長の原からすれば、横須賀市との合併問題という新たな課題を抱えることになり、困惑を隠さなかった。
自分の町長としての首が飛ぶことを恐れていたのではない。
原は、戦後、深井が横須賀市から分離独立した経緯を良く知っていたからだ。
横須賀市との合併を志向する住民の中心的勢力は、若い世代と他地域からの転入世帯だ。
オーシャンビューにマウンテンビュー、相模湾の向こうにそびえる富士山を眺められる風光明媚な深井の土地柄に魅了され、移住してくる若い世代、子育て世帯があること自体は大歓迎なことだ。
ただでさえ人口減少、高齢化、住宅の空き家化が進んでいるのだから、それらを押し戻すために、転入世帯は貴重な存在だ。
ところが、多少とも都市的な地域に住んだことのある者からすると、深井の公共施設はないないづくしとなる。
「あれもない、これもない。なぜないの?」
深井にあるのは、豊かな自然だけだ。
「転入前からわかっていたじゃないか」という旧住民からの反論は、何の意味もなさない。
かつては加山、亀本、原の姓を名乗る者がほとんどだった旧住民も今や半数を割り込み、聞きなれない氏をもつ新住民が増えていたのだ。
そうなってくるにつれて、昔ながらの考え方や常識、伝統が、当然のこととはならなくなった。町内会加入率も、徐々に下がってきていた。
地域の神社を中心にした祭りに際しても、町内会から経費を支出することに公然と異議を唱える者が出てきたのだ。
以前は町内会と神社氏子会は事実上一体化していたけれど、町内会には加入しても氏子会には入らないという、ある意味で宗教的にまじめな住民が増えてきたのだ。
確かに、クリスチャンや仏教徒からすれば、なぜ神道にかかわる組織や行事に全住民から集めたお金を支出するのか、疑問に思うのは当然だ。
「両者の組織とお金は、厳然と分けなければならない」
なるほど、新住民の指摘には、耳を傾ける必要も道理も中にはある。
とはいえ、新しい住民ほど、ある意味自分勝手で、地域のために手を貸すことをしたがらないのも事実だった。




