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快傑イブが解決よ!~問題だらけの役場と地域~  作者: 古梨未来
第3章 万汰を呼んでくれ
13/13

第13節 何も食べてないんじゃないの?

 6月5日水曜日、イブは窓口係のカウンターに立っていた。

 カウンター内側の床にはコンビニのレジの前にあるのと同じ足跡シールが貼ってあり、そのシールの上に両足を置いて立つ決まりになっていた。

 イブも採用2か月が過ぎ、住民票や諸証明の交付はもとより、印鑑登録申請や住所異動届の難しくないもの、たとえばマイナンバーカードを持っていない単身者の町内転居などについては、A子主任の支援がなくてもできるようになっていた。

 とはいえ、「窓口職員養成ギブス」に即していえば、上った階段はまだ10段程にすぎない。

「お客さんから声をかけられる前に、自分から声をかけなさいね。

 先にかけられたら負けよ」

 そう主任から厳しく指導されていたので、右斜め前の正面玄関から入ってくる町民1人1人を見て、窓口係の方に近づいてくる人に対しては、2メートル手前で先に声をかけることにしていた。

 午前9時、ひとりの中年女性が玄関から入ってきて、窓口係の方に2、3歩進んだかと思うと急に立ち止まった。

 数秒後、今度は大股でイブのいるカウンターに向かってまっすぐ歩いてくる。

 イブの正前で立ち止まると、右手の人差し指を突き出していきなり言った。

「あなた、イブちゃんでしょ!」

 反射的に上半身を引き、詰まりながら答える。

「は、はい。そう、ですが?」

 すると、その女性が胸を張った。

牛目(うしめ)」と言いかけて訂正。

「原よ! 逸見青少年の家の、指導員の!」

 イブも、「逸見」と言われた瞬間、目の前の顔と頭の中の記憶が結びついた。一気に視界がぼやける。

「ああっ、原さん!」

 後が言葉にならない。

 急いでカウンターを出ると抱きついた。

 愛子は最初の結婚を解消した後旧姓の原に戻り、牛目誠と再婚して深井に戻るまでの間、逸見青少年の家で働いていたのだ。

 お互い、15年振りの再会となる。

「あなたのこと、忘れたことはなかったのよ」

「わたしも、逸見の指導員さんたちのことを、忘れたことはありません!」

 小学生の頃、イブは休みの日になると家から出されていた。子供ひとりの留守番は危ないというのもあったけれど、佐藤家の場合は単純に電気代の節約のために、近所の逸見青少年の家で1日過ごすように言われていたのだった。

 ところが、当時の青少年の家は公共施設として館内での一切の飲食が禁じられていたため、中で昼食をとることができなかった。イブは、仕方なく玄関脇の冷水機の水をお腹いっぱい飲み、図書室に籠もって本棚の本を左上から右下に向かって読み続けることにしていた。

「そういえば、イブちゃん、何も食べてないんじゃない?」

 ある日事務室で子供の様子を話していた指導員たちがそのことに気づき、子供たちがお弁当を持ってきて館内で食べていいように、また、指導員も含めて持ち寄ったお菓子を皆で分け合って食べてもいいように、館長と相談して内規を改めたのだった。

 こうして、指導員が持参したバームクーヘンやオートミールクッキーに加えて他の子供が持ち寄ったお菓子を皆で分け合うことで、イブのような子供もお腹を満たすことができるようになった。

 イブが栄養失調にならなかったのも、大の本好きになったのも、逸見青少年の家の指導員たちの知恵と献身のおかげだ。

 逸見青少年の家での体験が、学ぶ喜びや地域社会での相互扶助の大切さを知ることにつながり、ひいては地域研究というイブの大学院での研究テーマに育っていったのだった。

 愛子が地域で子供たちを育てた大人の1人ならば、イブは地域の大人たちによって育てられた多くの子供の1人だった。

 愛子も逸見青少年の家での経験があったからこそ、再婚して深井に再転入した後、周囲の大人たちと共に「こども食堂」としての「わかし食堂」を立ち上げることができたのだ。

「後にも先にも、図書室の本を全部読んだのは、あなただけよ。

 こんなに大きくなって、、、」

 次の言葉がしばらく出てこない。

「そう、去年から、荒崎でこども食堂をやってるの。良かったら、イブちゃんも来ない?」

「行きます、必ずお手伝いに行きます!」

 笑顔で両手を握り合う2人。

 愛子は、夫の印鑑証明を1枚発行してもらうと元気に帰っていった。


 翌6日は町役場の夏季一時金の支給日だった。

 新規採用者たちはめでたい初賞与をもらったわけで、仕事が終わると、さっそく第2回目の三様会となった。

 会場は前回と同じ大漁亭。3人とも元気はつらつ、ビールが美味い。

「ええっ、そうなの?」

 イブが素っ頓狂な声をあげた。

「4年ごと、オリンピックのある年に、原家、加山家、亀本家の順で、その町内会長が連合町内会長を兼任することになってる」

 生ビールの中ジョッキを口に運びながら、歩夢が説明した。

「そんなんでいいのかしらね?」

 イブが「(あじ)のさんが焼き」を一切れつまむ。

「鰺のさんが焼き」は、ここ深井周辺では名の通った地場料理のひとつで、鰺をミンチにして紫蘇の葉で包んで焼いたミニハンバーグ風のものだ。ショウガの味が効いていて、箸がすすむ。

「いいの。昔からそうなの。縄文時代からそうなの」

「えええっ、縄文時代から?」

 イブの口からビールの泡が飛び散る。

「そう、ナウマン象の時代から。

 隣りの横須賀市自然人文博物館の玄関ホールに展示されているナウマン象の骨格標本、あれ、ここ深井で発掘されたものなの。

 ナウマン象に誰が最初に槍を投げるか、3家でジャンケンして決めた時から、そうなの」

 イブの開いた口がふさがらない。青紫蘇の欠片(かけら)が見える。

「連町会長が持ち回りって、今はどなたなんですか?」

 歩夢が即答する。

「牛目さん」

「牛目さん?」

 今度は、食べることに専念していた鯛双が、箸を振りながら説明に参加した。

「そう、荒崎町内会会長兼深井町連合町内会会長兼『スナック夜空の星』のマスター。それと、貧しい子供たちのための無料の学習塾『無量塾』の塾長。

 人呼んで『(ほとけ)の牛目』。怒った顔を誰も見たことがない」

 イブは、彼がどんな人物なのか全くわからない。

「ずっと3家の順番で、文句は出ないの?」

 イカのぽっぽ焼きを一切れ摘んで口に運ぶと、丸いまんま、まるっと口に入れる。

 歩夢がジョッキをぐびっとあおった。

「イブさん、考えてもみてください。

 連合町内会長が選挙というわけにはいかないんですよ。選挙になれば、15町内が分断されるわけですよ。

 かといって15町内の持ち回りにするには、荷が重すぎる。15町内っていったって、世帯の数は同じじゃありませんからね。

 大木根(おおきね)井尻(いじり)のように大きな町内会もあれば、新宿や番場のような小さな町内会もある。

 単位町内会のうち、会長職を数年続ける慣例の町内会もあれば会長が毎年交代する規定のところもあるわけで、そうした毎年会長が代わる町内会に、いきなり15町内をまとめる連町会長をさせるわけにはいかないですよ」

 鰺のさんが焼きをかじりながら、うなずく鯛双。

「組長も、組長から選出される町内会長も両方順番、そういうところもあるわけですから。

 引っ越して来たら、たまたま組長の当番年で、組長会議に出たら『今年は、あなたの組が会長さんのお当番よ』などと言われ、その上さらに連町会長が順番で回ってきたら、ひっくり返っちゃうでしょ?

 15人の会長全員平等が良いとは限らないんです。

 大きな町内会の間で順番に回すことで長い目でみればある程度のところに落ち着く、そういう経験則なんですよね。

 たまたまその大きな町内会の会長というのが、これまた、御三家という話」

 御三家の御曹司が自分で言っているのだから、リアリティがある。いずれ自分に御鉢が回ってくるわけだ。

 すべて平等が良いとは限らないという地域の知恵は、なんとなく理解できる。

 トコブシの煮付けを1匹丸々かじりながら、歩夢が言う。

「町内会長は無償のボランティアで、町会議員というのはプロの政治家だけど、本当に町会議員が地域住民の意思や声を反映しているのか、疑問に思ったことはありませんか?

 実際にある話ですよ、市町村議員の組織内候補。クリーニング業界代表、自動車メーカーの労組役員。ここで言えば、元農協役員、前漁協理事。

 そんなしがらみを抱えた議員が、町民全体の声を代表している、代表することができると思いますか?」

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