第12節 イブさん、めっけもんかもよ
「イブさん、どうしたの?」
青木が、喉の奥のコーヒーをやっと飲み込む。
「主幹、中華料理店のレジに貼ってあったカレンダー、あれ、三浦の南急油壷マリーナのカレンダーですよ!」
右手が店の手ぬぐいを握りしめている。
「なんでわかるの?」
青木が椅子に座り直した。
「どうも、どこかで見た風景だなと思ったんです。
写真を拡大してみたら、映っていたヨットの1隻が、知り合いのフネだったんですよ。『サブ・マリン号』といいます。見てください」
イブが、写真の中のマリーナ事務所前に係留されている数隻のヨットから1隻を選び、2本の指で器用に拡大すると、その船腹に書かれた船名を見せた。
「こんな『Sub-Marine』という変てこりんな船名は、普通、ありません。
これは、知り合いの海上防衛隊潜水艦の元艦長、鈴木三郎さんのフネです。
フネの名前は、ご自分の名前の三郎の『サブ』と、亡くなられた奥様の名前の『真凜』を合わせて、『サブ』ハイフン『マリン』としたんです。
フネの形も独特です。普通はデッキの上にキャビンの天井が箱型に出っ張っているものですが、このフネは全長38フィートの『アイランダー』という種類のフネで、全面チーク貼りのデッキの上にキャビンの出っ張りがなくてフラットなんです。マストのすぐ後ろにコックピット〔操舵席〕がある、独特の船型です。
このフネで、この名前。間違いありません。この写真の場所は、三浦の南急油壷マリーナです。
鈴木艦長は、サブ・マリン号を置いている油壷湾の美崎マリンに洒落たレストランがないからって、時々、北隣りの小網代湾にあるスーベニアマリーナのレストランに行ったり、南隣りの諸磯湾にある南急油壷マリーナのカフェまでフネを出して、お昼を食べたりするんです。
わたしも鈴木艦長に誘われて、ここで一緒にお昼を食べたことがあります」
目を見張る青木。
「イブさん、よく思い出したなあ」
イブの顔が近づく。
「実は、この鈴木艦長も、葉山少年少女帆走倶楽部のメンバーとは仲良しで、よく一緒にディンギー・レースに出ているんですよ。
倶楽部のコーチと一緒にフネに呼ばれて、時々食事をしたりしてました。
小柄で頑固、白髪頭のチョイワルおやじですが、とてもいい方です。
小春ちゃんと会ったことで、頭の中の記憶が結びつきました」
青木の目が光った。
「イブさん。これは、めっけもんかもよ。南急油壷マリーナに、何かあるのかもしれない。今度、財産調査に行ってみよう」
この日はこれで話が終わったが、後日、青木からイブに報告があった。
現地調査に行ったところ、例の中華料理屋の店主のリンが代表者になっている新生日本リゾート開発名義のモーターボートがあったというのだ。
青木は、このボートを動産として差し押え、併せてマリーナに預託している年間艇置料1年分の保証金150万円の返還請求権の差押も行った。
課長の話によれば、リンが元町で営業している店そのものは、大正時代から4代続く地元では老舗のまじめな中華料理店で、特に問題はない。
しかし、そのリンが代表者になっている会社というのは、もともとはリンと無関係だったけれど、彼が若い頃に世話になった先代の社長から亡くなる前に頼まれて、義理と人情で仕方なく引き継ぐことになったものだという。
そして、その会社が、バブル時代も含め、いろいろと危ないことをやっていたのだ。
「日本刀も一緒に引き継いだらしいから、主幹、直接会うときは気を付けてくださいよ」
課長からそう言われても、気の付けようがない。
問題のモーターボートは42フィートのグランドバンクスという高級な船で、先代の社長が長い間接待用に使っていたものとのことだった。
それを青木が突然差し押えたものだから、リンが鬼のような形相で文句を言ってきた。
「差し押さえる前に、一言ぐらいあったっていいだろう!」
しかし、そうは言っても、納税しなければ保証金は取り立てされ船は売却されてしまうので、仕方なく分割納付に応じ、月々5万円の納付約束をしたというのだ。
リンは差し押えたままでの使用を許可されたものの、キャビン内の舵輪の上の天井に、差押物件であることを示す縦4センチ横13センチの赤い「封印票」を貼られてしまった。みっともないことこの上ない。
バッテリーが上がらないように時々エンジンを回しやってくるリンがボヤいた。
「こんな赤紙貼りやがって。青木のやつ、覚えてろよ!」
目ざわりで仕方がないけれど、これを勝手にはがすと刑法第96条により3年以下の拘禁刑若しくは250万円以下の罰金になる。




