第10節 どひゃあ、また難問ですね!
「ざっくりですが、年間徴収額を式で表すと次のように書けます。
T=AX+BY+CZ
Aは分割納付の1回あたりの平均納付額で、Xはその年間件数。
Bは預金差押の1回あたりの平均取立額で、Yはその年間件数。
Cは給与差押の毎月の1件あたりの平均取立額で、Zはその年間件数。
それらを合計したTが、年間徴収額です。他の細かい要素、例外的なことは、一切捨てています。
このTを最大化することが、徴収係の戦略目標です。いいですよね?」
主幹以下全員がそろって頭を上下する。
「ここで問題なのは、この3つの主要な徴収戦術である、分割納付、預金差押、給与差押の、それぞれの処理に要する時間が異なるということです。
仮に3つともかかる時間が同じならば、1番単価の高い戦術に注力すれば良いわけですが、そうはいかない。
さきほど、この3つの処理に要する時間を伺いました。
それぞれの1件ごとの納付額と取立額は、わたしがサンプル調査で確認しましたので、それらを付け合わせてまとめるとこのとおりです。
分割納付は、1件あたりの納付約束に要する時間が1時間で、約束された1回あたりの金額が平均3万6千円です。でも、この金額をそのままこの式に代入することはできません。
なぜなら、分納約束の履行率は75%ですから、納税交渉1件1時間で3万6千円の約束をしても、実際に入ってくるお金はその4分の3の2万7千円に目減りしているからです」
主幹が一瞬「えっ?」という顔をしてから、「あっ」と言った。
「よろしいですか?」
主幹以外の者も遅れてうなずく。
「では、次です。
預金差押は、1件あたり4時間で取立額は10万円。給与差押は、1件1月あたり3時間で取立額が5万円。
ということで、まとめると、これら3つの徴収事務における1時間あたりの徴収額は、分割納付が2万7千円、預金差押が2万5千円、給与差押が1万7千円となります」
座が静まりかえる。
「つまり、最もタイムパフォーマンスが良いのは、分割納付ということになるんですね。
徴収係の職員数も勤務時間も限られていますから、年間徴収額を最大化する、つまり徴収率を高めるためには、人的・時間的資源を分割納付に傾けると効果的だということです」
尾藤の顔がパッと明るくなった。
いっぽう、武藤の顔は真っ赤だ。
「イブくん、何言ってんだよ。差押にリキ入れなきゃ徴収が上がらないのは、常識じゃないか!」
ひときわ大きな武藤の声に引きつけられたのか、海老夫課長が自席を立って一団の人混みに加わってきた。
武藤の鼻息が収まらない。
「だって、仙山市みたいに『まず差押、それから納税相談』というやり方の市もある。
そもそも、『督促状を発付して10日経過したら差押しなければならない』という国税徴収法第47条の規定があるじゃないか!」
尾藤が割って入った。
「先輩、もちろんそうですが、平成16年の福岡地裁判決が言うように、この条文は徴収職員に差押の義務を課しているというものではありません。滞納者の事情を考慮して対処すべきとされています」
イブも補足する。
「経営組織論的な観点から言えば、そもそも、仙山市のような人口100万の政令指定都市が行う徴収業務と、人口わずか8千人の深井町が行う徴収業務について、やり方を同じにしようというのは土台無理な話です。
大手自動車メーカーの大規模生産ラインと町工場ほどの違いがあります」
武藤の握った拳が腰まで上がってくる。
「イブくん、それはおかしい。同じ地方税法と国税徴収法の下でやっている、同じ徴収業務だぞ。
逆に、やり方に違いがあったりしたら、それこそおかしいじゃないか。
納税者や差押される滞納者からみれば、法の下の平等に反することになる。
実際に滞納者とヤリ合ったことのないきみに、あーだこーだ言われたくないよね」
下を向くイブ。
尾藤が口を出した。
「まず、納税相談が先じゃないんですか?
滞納するにはそれなりの理由があるはずで、その理由や生活上の困難に耳を傾け、生活再建と一体的に滞納という課題を解決するべきです。
滞納者は犯罪者ではありませんし、滞納者といえども住民、主権者ですから。
われわれ行政は主権者からの付託によって行政事務を行っていますが、滞納者もその主権者のひとりです。敬意を欠いてはいけません。
中には、たまたま先祖代々の地主の家に生まれたため、お父さんが亡くなった途端莫大な税金がかかり困っている学校の先生もいます。事故を起こして突然働けなくなったトラック運転手もいます。
滞納は、望んでいなくても、誰にでも起きる可能性がある。
国や県のように、機械的、事務的に、徴収業務を進めるわけにはいかないです。本当に生活が困難なら、そのまま生活保護担当の福祉係まで案内しますよね?」
ここでは、基礎的自治体としての徴収業務のあり方が議論されているのだ。
青木が手を挙げて割って入った。
「武藤くんもみんなも、冷静に考えてみよう。イブさんは、ただデータを分析したに過ぎない。
その結果、1番タイパのいいのが自主納付、つまり分割納付だとわかったということだ。これは、データに基づく1つの事実だ。
確かに、分納約束を誠実に履行してくれれば、口座振替と同じように毎月黙ってても入金されてくるわけだから、取り立ての手間と時間がかからないといえば、そうかもしれない。配当計算表の作成も延滞金計算日の修正入力も必要ない。
この事実を知って、徴収業務全体をどうマネジメントするか、今後どう動くかだ。少し頭を冷やして、考えてみよう」
イブがヘコリと頭を下げる。
ここで、課長が一歩前に出た。
「イブさん、今日のデータ分析は、あくまでサンプリングだよね?
どうにかして、滞納繰越分の全数調査ができないかな?
その結果なら、誰も文句のつけようがない」
イブの両目がおおきくなった。
「どひゃあ、また難問ですね! 悉皆調査ですかぁ?」
涼しい顔で課長が言う。
「そう、それそれ、しっかり調査。それで例外なく調べるんだ。
じゃあ、新採派遣研修を3日間にしよう。
明日は横浜に臨場督励だから、明後日、またもどってデータ分析してください。その結果を1週間後までにまとめて、主幹に報告。主幹は、5月末までに修正を加えて、ぼくに見せてください。
決算説明資料のバックデータにして、7月からの新年度予算編成と職員1名増員要求のネタの1つにしよう。どこかのタイミングで、蝶々の耳にも入れておくよ」
イブの顔が明るくなった。
「課長、よくわかりました。
ひとつお願いなんですが、せっかく大々的にやるんですから、このデータをわたしが入っている地方自治研究学会で、発表させていただいてもいいですか? 個人情報は出しません。抽象化したデータだけを使わせてください」
課長がうなずいた。
「EPM、エビデンスベイスド・ポリシー・メイキング、だね?」
「これだけ苦労するんですから、タダで終わらせるわけにはいきません。
学会発表をすると、研究実績の得点を0.5ポイント、ゲットできるんです」
イブが舌をペロリと出す。
「やっぱ最後は、エビでんす、と」
海老夫課長が自分で茶化すと、一気に座が和んだ。
「よーし、みんな、いいか。とりあえず、手元の業務は今までどおり進めてくれ。イブさんの正式な分析結果が出たら、改めてみんなで議論しよう」
主幹が締めると、皆納得した表情で自席に戻る。
最後まで残った尾藤からひとこと。
「イブさん、ありがとう。ほっとしたよ。差押中心主義には、昔からどうも違和感があったんだ。今日の説明で、すごくすっきりした」
両方の目尻が下がっている。
「予感が当って、良かったですね?」
そう言って魔法瓶のお茶を一口すすっていると、一度自席に戻った尾藤がイブにゴディバのチョコレートを2つ持ってきた。
ここで、ちょうど終業の鐘が鳴る。




