受験生になった日野温
受験生宣言をした温は、中高一貫校に進学した小学校のクラスメイトと再会します。受験って大変なのね。一貫校に入学したからといって安泰ではないのだ。
温の受験勉強は英語に基軸を置いた。国語は現状でも十分に余裕なので、古典の基礎文法や基礎語彙を足して行く。地歴公民は、今のところ世界史を選択するつもりだが、趣味の読書で意識する程度にする。まだ1年半もあるので今から暗記するのは馬鹿馬鹿しい。もともと歴史は好きなのだ。歴史の本を読むのは楽しい。楽しみながら受験も意識する。今はそれで良い。郁さん――ふふ、心の中でも名前で呼べるって素敵――も世界史受験だって言ってたな。国語・英語・世界史、全部同じってすごい。いや、すごくないか。
英語は、本来なら読み書きだけではなくしっかりと話したり聴き取ったりもできるようになるべきだが、どうしてもそちらに関心は向かなかった。女子なのに、英語がペラペラになることへの憧れが一度も沸かなかった。そうしたこともあって、文法と読解の勉強も迷路に迷い込みがちだった。でも、郁さんもあまり英語が得意じゃなかったって言ってたから、これで良いのだ...いや、良くないよ。英語を制する者が私大文系を制すと言われるもんな。英語に苦手意識を持ったら負ける。当日のプレッシャーで負ける。どうしよう?そうだ、美咲さんに相談してみよう。あの人、美人だからきっと英語も得意なはず。え?何で?何でそう思ってしまうの?不思議だわ。
そんなことを思って多摩センター駅付近を歩いていたら、「日野さん?」と声をかけられた。振り向くと、小学校のクラスメイトだった桜木百合華がいた。
「相変わらず元気そうね、日野さんは。」
「あら久しぶり、桜木さん。何か...お疲れ?」
「わかる?もうストレスでハゲそう。」
「どうしたの?ちょっとそこのカフェで話していこうか。」
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「中高一貫進学校に入ったまでは良かったけれど、入ってからの熾烈な競争、成績だけで評価されるギスギスした人間関係、もう無理。」
「そんななの?」
「世間じゃさ、あの学校から東大に何人入ったとかそんな話しかしないじゃん。でもさ、1学年300人いたら必ず300位の子もいるわけ。小学生の算数でもわかる真実よ。例えば東大に50人入る学校なら、その50人は貴族よ。先生たちもすごく大切にしている。で、私のような生徒は邪魔なだけ。できれば辞めて欲しいと思ってるってひしひし伝わるもん。」
「ひえ~、聞くからに地獄だわ。入らなくて良かった...いえ、入れそうもなかったから関係ないけど。」
「学校としては最低でも早慶に入ってもらわないと困るみたいで、進路相談が地獄。私、まだ2年生だけど、早慶の合否判定がCなのよ。落ちそう。そこまで無理して早慶に行きたくない。」
「そっかー。私も指定校推薦の枠がなくなっちゃったから受験しなければならなくなっちゃった。」
「どこ受けるの?」
「多摩地区が誇るセントラル大学1本!」
「1本だけ?勇者ね。」
「他の大学は眼中にないのです。」
「そんな多摩ラブっ子だったの?」
「そうよ、空気がきれいで人混みが少ない多摩は最強です。都心に行くとクラクラして倒れそうになっちゃう。私、多摩でしか生きていけない...というのはダメね。就職したら九州でも北海道でも、いえ南洋の島々にでも行くけど。」
「日野さん、いきいきしてて羨ましい。私も狭い枠で物事を考えるのをやめて、自分を見つめ直してみるわ。別に早慶を落ちたら逮捕されて塀の中というわけじゃないのだもの。」
「そうだよ。セントラル大学も受けなよ。家から近くて楽ちんだよ。」
「うん、考えてみる。日野さんと話してなんか楽になったわ。ありがとうね。」
「そうだ、LINEを交換しよう。たまにお茶して愚痴を言ってスッキリしようよ。」
「LINE、使ってなかった。アプリ入れるから待って。」
「うん、私が桜木さんの友だち第1号だね。うれしい!」
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そのころ郁はドイツ語の授業を受けていた。
「きょうは形容詞をやります。ドイツ語の形容詞は英語と違って格変化語尾が付くので、少し面倒くさいけれど、暗記で詰め込むと思うと辛いので、とりあえずエかエンが付くと緩く考えましょう。それではスライドショーのスタートです。」
スライドにはアニメ風のショート動画が貼られ、アイドルユニットみたいなキャラが、“ドイツ語の形容詞には格変化語尾がつきま~す!”などと言ってる。そんなショート動画が3つ流れてから、格変化の変化表が現れ、学生たちは微妙な顔でそれに続く課題に取り組んだ。
「では次は比較級です。動画スタート。」
2体のヴァンパイアが対峙してこれから戦闘が始まりそうな状況。比較級を学ぶために作ったショート動画なので、「おまえは俺より小さい」や「おまえより長く生きてきたからおまえより強い」など、不自然な会話が交わされた。2体のうち1体はドラキュラ伯爵で、もう1体はルスヴェンという日本ではマイナーなヴァンパイアだったもよう。
次の動画では、2体の女性ヴァンパイアが戦っている。優勢なほうが「おまえはなかなか速いけれど、残念ながら私ほどじゃない。」と翻弄しながら煽ると、翻弄されて劣勢なほうが、「クソ婆!おまえは私ほどかわいくない!」と、これまた不自然な台詞。どうやら「~ほど~ではない」という表現を学ぶための動画のようだ。
いつもなががら準備に時間をかけたと思われるふざけた動画だらけの授業が終わり、郁の頭に使いどころのない不自然な台詞がたくさん刻まれた。
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「温ちゃん、受験勉強と身体強化、頑張ってる?」
「はい、美咲さん、自分なりにですが。」
「成果を出せているのね。」
「ただ、受験勉強の英語に不安が残ります。」
「あら、何かしら?」
「いわゆる英語ガチ勢というか、英語ペラペラになりたい人たちと同じ価値観を共有できません。英語ペラペラになりたいという欲が持てないんです。受験で良い点数を取りたいという邪な欲しかなくって、それで本物の英語学習に取り組めていないような。」
「そこに気付くのはすごいわよ、温ちゃん。ふつうはそんなこと気にはしないもの。」
「そうなんですか?」
「たいていは受験で良い点数を取れればそれで良いという考えに何の違和感も抱かないわ。受験英語と実際の英語能力の乖離なんて誰も気にしていない。」
「そうなんですね。なら問題ないのかなあ。」
「でもその違和感に気付いたのは良いきっかけかもしれないわ。それまでただの記号列だった英文に命と息吹が宿ることになるかもしれない。」
「どういいうことでしょう?」
「言葉なのでその下には感情があるのよ。その感情を掬い取りながら読んだり話したりするとずいぶんと英語との付き合いが変わるわよ。」
「あ、なんとなくわかります。私、現代国語の問題文を読んでるとき、著者の生声が聞こえる気がするんです。」
「そう、それはすごい才能なのよ。英語にもそれがあるの。意識して耳をそばだててみて。」
「わかりました。何だか楽しくなりそう。」
「じゃあ変身してきょうの訓練を始めましょう。」
「はい、フェアヴァンドレ・ミッヒ!」
「今日の訓練が最後よ。ロッドの固有技を取得します。」
「固有技?」
「ええ、シュトラールやシュトロームは美少女戦士なら誰でも使える技なの。だけど固有技はそれぞれの戦士専用の技。それだけに威力が高いわ。見てて。クリスタルクレールング!」
まばゆい白い光があたりを覆った。敵がいないのでどんな効果があったのかは判然としない。
「これが私の固有技、クリスタルクレールングよ。浄化の力で周囲の邪悪な存在を一瞬にして消滅させるわ。」
「すごい!」
「ヴァイオレットはすみれ色、高貴と霊性を象徴します。その清らかな波動が邪悪を消し去るの。」
「私はどんな固有技を使えるのでしょう?」
「それは私が教えられるものではないわ。これから自分で探さなければならない。厄介なのは、創立者のこだわりでドイツ語なの。ドイツ語で技名を唱えないと発動しません。どんな技になるか自分の特性と合わせて考え、それを表現するのに最もふさわしいドイツ語をクリスタルと結びつけて唱えれば発動できます。温ちゃんのはどんなのになるか楽しみだわ。」
「はい、頑張って探します。」
固有技、なんて魅惑的な言葉なのでしょう。美咲さんの放つクリスタルクレールングがかっこよすぎて、自分の固有技を見つけ出す意欲が爆増する温なのでした。




