温の新しい決意、受験生日野温、ここに爆誕
指定校推薦は、推薦されて入学した学生の成績が芳しくないと、その高校の推薦枠が取り消されることになっています。母校と後輩に迷惑をかけないように勉学に勤しまなければならないわけですが、受験勉強でブーストした学力が足りないので、しばしばそういう悲劇が生まれます。
温は授業のあとで学内放送で進路担当の教員に呼び出された。何だろう?不安が胸に広がる。
「日野です。放送で呼び出されました。」
「おう、日野か。まあ座れ。今日は残念な知らせがあってだな...」
教師は口ごもって手元の資料に目を走らせている。
「どんなことでしょう?」
「日野は指定校推薦でセントラル大学への進学を希望していたな。」
「はい、定期試験でしっかりと好成績を維持しているつもりです。」
「うん、日野の成績なら推薦できるのだが....問題が発生してしまった。去年卒業した生徒がセントラル大学に推薦で進学したわけだが、大学の成績が芳しくなく、わが校の推薦枠が取り上げられてしまった。大学に進学してからの勉学意欲をしっかり把握していなかった私たちの責任だ。申し訳ない。」
教師は頭を下げた。いや、先生のせいではない。やはり低偏差値の高校からセントラル大学へ進学するとどうしても付いていけなくなるのだろう。普通の大学生生活を送っていては好成績が得られるはずがない。温は先輩の状況を想像したが、どうしても恨みがましい感情を封印することはできなかった。温は硬い表情で唇をかんだ。
「日野、まだ2年生だ今から受験生になる覚悟を固めれば一般入試に挑める。君は成績優秀者だ。ぼくは十分に合格のチャンスがあると思っているよ。」
「わかりました。そうですね、受験を勝ち取ってきた同級生の中で推薦で入るとなんかズルしたみたいですし、これも私に課された試練でしょう。挑戦します。私は美少女...、あ、何でもないです。」
「はっはっは、確かに日野は成績優秀な美少女で間違いない。がんばれよ。」
「はい!失礼します!」
温はぴょこんと立ち上がって深々と頭を下げ職員室を後にした。不思議と悲しみの感情はなかった。入試を突破すれば中野先輩と同じ土俵に立てる。まだ2年生なので、たっぷり時間はある。よし、明日バイトのときに受験参考書を買おう。受験生必携の赤本、これを手に入れればセントラル大学が近づく気がする。
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「あれ、日野さん、まだシフトが始まる時間ではないけど、ずいぶん早いね。」
「あ、店長。はい、日野温、受験を決意したので受験参考書を購入する所存です。」
「お、おう、なんだかすごい気迫ですね。」
「受験はずいぶん先の話なのですが、今日は英語の基礎参考書と赤本を購入します。やる気ブースターです。」
「うん、たしかに志望校の赤本を手に入れると受験の現実味が増しますからね。でも、夏をすぎないと今年度入試の赤本はまだ出ていないよ。」
「とりあえず昨年度のでも良いんです。やる気ブースターですから。」
「なるほどね。がんばってください。君ならやれる。」
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「日野さん、いつもきりっと溌溂だけど、今日は特に目に力がこもっているね。」
「中野さん、怖い女みたいに言わないでくださいよ。今日は決意を固める必要があったのです。私、本日から大学受験生としてスタートする所存です。」
「お、受験生か。懐かしいな。」
「中野先輩の受験生時代はどうだったんですか?」
「あまり自慢できる状況じゃなかったな。もともとあまり成績が良くなかったし。」
「高校のレベルが高かったんですね?」
「中くらいだよ。偏差値は69だし。」
「すごい、段違いの高レベル!」
「成績が良い生徒はみんな東北大学に進学していた。ぼくは中位クラスターなので最初から国立は無理と言われていた。」
「塾や予備校には通ったんですか?」
「いや、そんな難しい大学を狙っていなかったので、参考書をいくつかこなして、予備校の模擬試験を受けていただけだね。」
「私もそれで行きます。」
「え、そうなの?」
「はい、中野先輩の勝利の轍を進みます。」
「勝利ってことでもないし。俺、4校受けてセントラル大学しか受からなかった。」
「それはセントラル大学に選ばれたということです。私もセントラル大学に選ばれる人間になりたい。」
「セントラル大学志望なの?」
「はい、家から近いし、空気も良いし、モノレールから見えるキャンパスもかっこいいですから、推せる要素しかありません。」
「大学の経営陣が聞いたら大喜びするメッセージだね。そうだ、今度の土曜日、大学を案内してあげようか。」
「本当ですか!うれしい!楽しみです。」
「じゃあ、二人外れると店長も困るかもしれないけど、土曜日の午前中に大学を訪問して、午後にバイトに入ろう。」
「はい、よろしくお願いします。」
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「日野さん、ここがぼくのアルカディアだよ。」
「おお、憧れの大学図書館だ。」
「書架がずっと並んでいて、それを眺めているだけで時間を忘れる。」
「いいなあ、そんな時間。」
「そして、何と最大10冊まで15日間借りられる。」
「ええっ!ずるい!もはや王様や貴族じゃないですか。」
「そう、だから本を買わなくても済む。書店でバイトしている身としては申し訳ないのだけれど。」
「小説も揃ってるんですか?」
「文学作品とみなされる限りはね。でもかなりラノベ寄りの作品も入ってるよ。」
「私、受験のやる気ゲージが5上昇しました。」
「よかった。ところで赤本買ったんだよね。」
「はい、過去問に挑戦してみましたが、現代国語以外はボロボロでした。」
「でも現代国語ができたということは大きなアドヴァンテージだよ。」
「そうなんですか?」
「うん、現代国語が苦手という受験生は多いんだ。他の科目は受験勉強のメソッドに従って準備すればそれなりに点が取れるけど、現代国語だけは子どものころから積み上げた読書経験がものを言う。俺も現代国語だけは良くできたのでずいぶん得だった。英語や地歴公民の失点分を補えるから。だから、日野さん、受験勉強はこれからなんだから伸びしろしかないよ。」
「それを聞いてさらにやる気ゲージが3上がりました。中野さん、ありがとう。」
「お、中野、久しぶり。それ、彼女か?」
チャラそうな学生が声をかけてきた。
「違うよ、バイトの仲間。」
「そうなのか。ねえ君、かわいいね。俺、浦島太助っていうんだけど、LINE交換しない?」
「あの...私...」
「おい、やめろよ。初めて会っていきなりナンパとか。」
「何だよ。だっておまえの彼女じゃないんだろ。だったらフリーじゃん。」
「それはおまえのナンパのフリーダムを容認する条件じゃない。あきらめろ。大学は怖いところだと思われてしまうだろ。」
「ちぇっ、相変わらず面倒くさい喋り方をするやつだ。」
浦島は舌打ちして去って行った。
「ごめんね、日野さん。あんな奴らばかりじゃないんだ。」
「いえ、大丈夫です。私、メンタル強いんで。」
「そうか、じゃあもっといろいろ案内してあげよう。あっちの建物は生協だよ。大きいでしょ?こっち側が店舗、あっち側が食堂。」
「あら、温ちゃん。」
「あ、美咲さん。こんなところで会うなんて奇遇ですね。」
「私、ここの学生だもん。」
「え、そうだったんですか。今やる気ゲージが2上がりました。」
「何、やる気ゲージって?」
「受験勉強のやる気ゲージです。さっきから少しずつ上がって、いま+10です。私、絶対にセントラル大学に受かりたい。」
「まあ、温ちゃんが後輩になるのね。嬉しいわ。あ、でも私、今2年生だから、温ちゃんが入学する年に卒業しちゃう。入れ替わりね。後を託すことになるわ、よろしくね。で...、そちらの男性だけど、まさか彼氏とか?」
「違いますよ。そういうことを突然言われると顔が赤くなるのでやめてください.バイトの先輩です。」
「あら、ホントに顔が真っ赤になっちゃった。かわいいわね。」
「こんにちは、俺もここの学生で経済学部1年生です。中野郁と申します。」
「あら、私も経済学部よ。1年生ならゼミはまだね。ゼミ選びは慎重にね。」
「はい。」
そう返事した郁は美咲の顔を直視できず目を落とした。そして心なしか顔が紅潮している。その変化を温は見逃さなかった。そこで追い打ちをかけた。
「中野さん、美咲さんてすごい美人ですよね。」
「あの、日野さん、そういうトラップみたいな言葉で同意を促すのはやめてください。はい、一般的に美人といわれるカテゴリーに属する人物であることは否定しません。」
「中野くんってユニークな話し方をするのね。ゼミの議論みたい。」
「すみません。書物の世界に浸りすぎて適切な日常会話のスタイルを確立できていません。このままではマズいので、努力します。」
「ふっふっふ、面白いわね。これからも学内で見かけたら気軽に声をかけてね。スモールトーク、大事よ。」
そう言って美咲はフローラルな香りを残して去って行った。
憧れの郁くんが美咲さんを見て顔を真っ赤にする。温の感情はこの状況に立ち会ってどう変化したのでしょう?面白いですね、ラノベに恋愛が絡むと。




