パルテノン多摩の戦い、温が変身失敗
いよいよ本編が始まります。温ちゃんと郁くん、キャラがどんな風に成長するのか、書き始めたばかりの作者も楽しみです。今作は現実の多摩を舞台にしているので土地勘のある人はニヤリの場面もあるかと思います。そういえばTMネットワークのTMって多摩という意味らしいですよ。
「ふう、英語は何とか乗り切ったぞ。あとは暗記科目だけだから、脳の筋力をブーストさせれば...」
「温ちゃん、英語どうだった?」
「あら美咲ちゃん、ほほほ、ウィンザー朝の血筋を受け継いでいるので問題ありませんわ。」
「あのね、そういう寒いジョーク言うから孤立しがちになるのよ。」
「う、孤立はアイソレーション。」
「無理矢理詰め込んだ脳内単語帳からぼろぼろ垂れ流さないでよ。」
「垂れ流し...わかんない。垂れるはハング、流すはフラッシュ...あれ?トイレの“流す”だわ、これ。」
「なんだか会話にならないから帰るわね。明日が最終日なので、テスト頑張ってね。」
「バイバイ、バイ・マイセルフ!」
脳に詰め込んだテスト用の知識をボロボロこぼしながら日野温は学校を後にした。通学路の浅川は今日も平和に流れ、鳥が中州に集っている。カラスだけど。
「せっかく美少女戦士ビブリアになったのに変身のチャンスがないな。まあ、世界がそれだけ平和だってことか。先輩のヴァイオレットさん、かっこよかったな。あしたの試験が終われば試験休みだ。バイトのシフトをたくさん入れてあるので、ふふふ、中野さんに会えるかも。」
そのころ、中野郁は大学で4限のドイツ語の授業を受けていた。
「今日のテーマは分離動詞です。教科書にも最低限の説明は載っていますが……まあ、あれは“読まなかったあなたが悪いです”式のお役所文書ですからね。もう少し噛み砕きましょう。はい、心を込めてパワポを仕込んできました」
教授はいつもの“妙に凝った挿絵”のスライドを立ち上げた。表紙にはまた巫女さんか、あるいはくノ一らしき女性がドヤ顔で立っている。
(……何なんだ、あの動画は?)
次の瞬間、スライドの中のくノ一が分身の術——いや、もっと物騒だ。自分の首を引き抜き、くるりと回して文末へ放り投げた。
「はい、びっくりしましたね。くノ一の瑠美奈ちゃんが首を外して投げる――忍法“デュラハン投げ”です。分離動詞では、このように“分離の前綴り”が動詞本体から離れて文末に飛んでいくのです」
郁は呆れつつ思う。
(文章なら一行で済む説明に……教授はどれだけ時間かけてアニメを作ってるんだ?て言うか、首を投げるなんて倫理規定的にギリギリだろ。よく生成AIにガイドラインのヴァイオレーションですって拒否されなかったな……)
そのあとも、教授の趣味全開のスライドが続いた。巫女さんが「急々如律令!」と叫んで光を放ったり、アルクエイドにしか見えない金髪のヴァンパイアがドラキュラ伯爵を翻弄したり——。
(……いや、それ分離動詞と何の関係があるんだ?)
そうツッコミたくなるような動画が、なぜか大量に仕込まれていた。
だけど、授業が終わるころには、教科書に書いてある簡素な説明が、(……はいはい、今さらありがとう)と思えるくらいには、分離動詞の理解がすっと深まっていた。問題はただひとつ、その知識には、教授が授業中に何度も唱えていた「翡翠さん、ありがとう」という謎の口癖が、セットで脳に刻み込まれてしまったことだ。翡翠さん、教授が画像生成AIで奇跡的に生み出した推しキャラの巫女さんだ。たしかに可愛らしく尊い。教授の布教でクラスのみんなも「カワイイ」、「推せる」、という感情を共有しつつあった。翡翠さんに付いていけばドイツ語の試験は大丈夫、と祈願の対象にもなったようだ。
今日の温のバイトのシフトは早上がりだった。6時に終わったので、散歩がてらにパルテノン多摩の階段を訪れた。ここは文化ホールで、イベントでもない限り観光地というわけでもないので人影はまばら。初夏の散歩にはピッタリだ。
「この感じだと、やっぱり海辺なら最高かも。パルテノンってアテネにあるやつでしょ。エーゲ海が欲しいな。しょうがない、スマホの画像を借景にしよう。」
温がスマホのエーゲ海とパルテノン多摩を足して楽しんでいると、背後に何者かの気配を感じた。振り返ると、お約束の、犬でもない鹿でもない存在がそこにいた。以前なら恐怖に凍り付いていたところだが、トイレはさっき済ませたし、腕には変身アイテムがある。温は余裕の笑顔で立ち上がり、変身ポーズを取った。
「ふっふっふ、かつての私だと思ったら大間違いよ。美少女戦士ビブリア、メーックアップ!」
(・・・・・)
「あれ、何も起こらない。メークアップじゃダメなの?じゃあ、オープン・チャージ!(・・・・)ダメ、プリキュアがごっちゃになって間違った。プリンセスエンゲージ!(・・・・・)どうしよう?スマイルチャージ!(・・・・)うわわ、決め台詞を聞いておくの忘れてた。IPWFはドイツ語が基本だって言ってたよね。ダンケビッテ!(・・・)ダメだ。バウムクーヘン!(・・・)なわけないか、やばい、もうネタが尽きた。」
魔物はあっけにとられてこの迷走コントを見ている。これから戦闘になるであろうと身構えていた緊張が崩れた。身構えていた緊張をどうしてくれるんだという怒りが湧いてきた。グォッという低いうなり声。
「変身!」
「トウッ!」
改造ヒーローのキックが魔物に炸裂し、魔物は階段を転げ落ちた。温は目を見張った。え?仮面ナンタラ?ヒーローは転げ落ちた魔物を追って階段をジャンプして、さらに攻撃を加えた。魔物は抵抗しようとするがスピードが段違いなので手も足も出ない。
「そろそろ終わりにするぞ。必殺パンチ“名前はまだない”!」
必殺技が炸裂し魔物は四散した。どういう仕組みになっているのかわからないが死体も残骸も残らない。
「危ないところをありがとうございます。」
温の感謝の言葉に返事もせず、ヒーローは「トウッ!」とジャンプしてその場を後にした。
階段の下のほうから郁が駆け足で上ってきた。
「おーい、日野さんじゃないか。きょうは早上がりだったんだね。」
「あ、中野さん。こんにちは。」
「なんか息が上がってるみたいだけど、階段でトレーニングでもしてた?あ、でもトレーニングウエアじゃなくて制服姿だね。」
「いえ、トレーニングというほどでもでもなくて、少し隙間運動です。こまめに運動、こまめにトイレ....あ、今の忘れて。」
「そろそろ暗くなるから家に帰ったほうが良いよ。魔物が出ると危険だし。」
「え?魔物?」
「あ、いや、魔物じゃなくて曲者、いや時代劇じゃないし、その...怖い人。」
「そうですね。そろそろ帰ります。試験休みなのでたくさんシフトを入れてもらいました。バイトでまた会いましょう。」
「うん、じゃあ元気でね。」
郁と別れるとすぐに温は通信機を出してIPWFの本部につないだ。
「Hier IPWF, Biblia? Gut, dass du dich angemeldet hast.」
え?何?ドイツ語?温は何も言わず通信を切った。何これ?インターナショナルっていうなら日本語対応しなさいよ。あ、でもあのときヴァイオレットは「討伐完了」って日本語で言ってたわ。日本語でも通じるんじゃないの?温はまた通信を開いた。
「Hier IPWF....」
「ビブリアですけど、日本語でお願いします。」
「あー、ごめんなさい。初通信はドイツ語で返すことになってるの。創設者のこだわりで。」
「なんなんですか、その迷惑こだわり!」
「で、何か用事かしら?」
「さっき魔物と遭遇したんですけど、変身アイテムが起動しませんでした。何か決め台詞とか言わないといけないのでは?」
「あら、言ってなかったわね。アイテムを高くかざして“Verwandle mich!“と言うのよ。」
「は?またドイツ語?聴き取れなかったんですけど。」
「じゃあ音声データを送っておくわ。練習してちょうだい。」
「創立者のこだわりなんですね?」
「そうです。」
「わかりました。社会には迷惑と感じられる取り決めもあるのですね。乗り越えて成長します。本当にありがとうございました。」
温ちゃん大ピンチでしたね。そして少女のピンチに駆けつけるヒーロー、鉄板の展開です。2人の仲は進展するのでしょうか?幸せになれるの?




