教授の秘密の香り研究室 ―
ジャムはお好き…??
教授の秘密の香り研究室 ― The Secret Fragrance Lab ―
秋山教授の秘密の香り研究室は、大学の裏手にある旧館のさらに奥、鍵付きの鉄扉の向こうにあった。外からはただの倉庫のように見えるが、中へ足を踏み入れた瞬間、空気が一変する。ほのかに甘く、どこか懐かしい香りが漂い、時間の流れすら緩やかになるようだった。
ガラスの瓶が整然と並ぶ棚。色彩は琥珀、紅、翡翠と多彩で、それぞれが異なる物語を宿しているように見える。奥には古びた木製の作業台があり、顕微鏡、古い書物、そして香りを分析するための装置が整っていた。
秋山教授は、白衣の袖を少し捲りながら、静かにビーカーを揺らした。
「……この香りを、どう思うかね?」
助手の渚は慎重に瓶を受け取り、鼻先に近づけた。
「バニラと柑橘……ですが、どこか苦みがあります。たぶん、クローブが混ざっていますね」
教授は満足げにうなずいた。
「正解だ。だが、ただの香りの調合ではない。これは“記憶の配列”を再現したものだよ」
「記憶……ですか?」
「そう。人の嗅覚は、もっとも古い記憶に直結している。ある香りを嗅ぐことで、脳の奥深くに封じられた記憶が甦ることがあるのだ。
これは、十五年前の事件の現場に残されていた香りを再現した試料だ」
渚の瞳が揺れる。
「十五年前……例の“静香坂の連続失踪事件”ですか?」
教授は頷いた。
「当時、私はまだ准教授だった。警察の捜査では手がかりは掴めず、唯一残されたのが“この香り”だった。だが、私は気づいた。――香りが変化していると」
「変化……?」
「そうだ。調香には時間がかかる。素材が揮発し、酸化し、わずかに成分が変わる。それは、作り手の心理や環境にも影響される。つまり、同じ香りでも“作った時の心”を写す鏡になる」
教授は試料の瓶を傾け、わずかに香りを漂わせる。
「この香りの主は、明らかに怯えていた。だが、その奥に“誰かを守りたい”という意志がある。――私はこの香りを、恐怖と愛の調合と呼んでいる」
渚は息を呑んだ。
「教授……香りだけでそこまで?」
教授は微笑んだ。
「香りは言葉を持たないが、真実を隠すこともできない。
私は香りを“もう一つの証言”と呼んでいるよ」
そのとき、古びた電話機が短く鳴った。坂場刑事からの連絡だった。
「教授、例の遺留品を分析した結果が出た。だが、おかしいんだ――通常の薬品反応とは違う。まるで、香料に細工がされているみたいで……」
教授はすぐに答えた。
「わかりました、すぐに伺います。坂場刑事、――その遺留品、冷暗所で保管を」
電話を切ると、教授は白衣のポケットから小さな銀の瓶を取り出した。
「渚くん、出かける準備をしよう。推理はまだ終わっていない。
……そして忘れるな、真実を導くのは理論ではなく“香り”だ」
渚は頷き、瓶を慎重に箱へと収めた。
部屋の空気が一瞬、柑橘とスパイスの香りで満たされる。
まるで、次の謎がその香りに誘われるように、二人は夜の大学を後にした。
何処かで、またお会いしましょう




