#45 黒癬病
「ッ……ゲホッ、ゴホッ……はぁ……ハァ……」
「少し足をのばすんだ。ゆっくりと、そう──」
年嵩を重ね、茶褐色の髪を短くまとめた"男"は、やや硬直している患者の足を支えながら黒ずんだ部分を触診する。
(……思っていたよりも病状段階の進行が早いな)
"男"はそう心の中だけで呟いた。
──"黒癬病"──
不衛生な貧困層で流行しているこの伝染病は、悪くすれば3週間と経たずして重症化し、そうなればもはや死に至るだけの病気であった。
脛近くから広がった黒い皮膚病変は、既にヒビ割れたように堅くなっている。
患者の動悸も激しく、咳に伴い呼吸も困難になってきていることから、病状が悪化しているのは明白。
「"与羽村"さぁ、どうか頼んます。どうか、どうか助けてやってつかぁさい」
ひげをたくわえた老年の村長は深く頭を下げ、"与羽村"と呼ばれた男は静かに病状を確かめる。
"黒癬病──主にダニを媒介して感染し、人と人の間でも血液感染する可能性がある伝染病。
およそ噛まれてすぐの初期症状。
黒ずんだ皮膚病変が部分的に現れる局所進行。
複数の黒ずみの硬化し、内臓などの機能不全が始まる全身症状。
黒ずみが皮膚中に広がって致死が免れぬ末期。
ステージIIまでなら黒色腫のような病変部分を外科処置し、対症療法と自然治癒力によって回復する可能性が低くないということは、ここ数年間治療に携わって判明している。
(──残念なことだが、選別の順位を……)
与羽村は集落で感染が広がっていた為、己の信念のままに治療にあたっていた。
全体で50人にも満たない小さな農村で、実に半数近くに感染の疑いがあり、要隔離患者が6人にのぼっている。
内重症者が2人──否、今まさに3人目にならんとしていた。
(いや、患者はまだ若い。諦めるには……いささか早いか)
大量の感染者を抱えている集落。
決して衛生的とは言えない環境の中、たった一人で全員を治療をするには限界がある。
症状が進行している以上、高い確率で待っているのは苦しみ抜いての死。
今ここでリスクを負ってでも、救える命があるのならば。
(試すだけの価値はある。救うこと──それこそ、我が生涯を懸けた事業なのだから)
そう決心したところで、与羽村は"地蟲鵺の刃針"を取り出し、その生物由来の刃紋を見つめる。
「村長、今から自分が言うモノを用意してもらえるだろうか」
「お……おぉ! まかせてくださぁ」
ここまで黒色皮膚病変が広がっていると、現状もはや足を切断するしかない。
処置する為の環境を整えつつ、病変を看ながらこれからの段取りとイメージを与羽村は頭の中で組み立てていくのだった。
◇
「ありがとう村長、ここからは感染の恐れがあるので、自分が一人でおこないます」
可能な限りの物資を用意してくれた村長へと、与羽村は感謝の意を伝える。
「なにとぞおねがいしやす。"浄化と慈悲のお導きあれ"──」
"清浄宗"の"神言"で祈りを捧げた村長は、すぐに外へと出て行った。
「……さて」
患者の上体をやや高く仰向けに寝かせてから、与羽村は魔力を流し込んで麻痺毒を活性化させた"地蟲鵺の刃針"を、首筋に──わずかばかり触れる程度に──刺した。
それだけで苦悶にあえいでいた平五郎の意識は朦朧としていき、ゆっくりと落ちていく。
その間に煮沸した布・糸、焼酎、圧迫・止血用の皮ヒモ、縫合用の糸、焼灼の為の焼きゴテ、添え木など、整然と並べていく。
「安らかにしてやった──わけじゃないのか」
不意に声を掛けられて、与羽村は瞬時に刃針を手に、バッと体ごと振り向いて構えた──が、しかし。
木戸は閉まったまま、音もなく……誰もいない。
「ハズレ、かと思ったが……なかなかどうして興味深いぜ」
かと思いきや、何もない場所──まるで"空間と空間の狭間"から、ヌッと天狗の面を着けた男が現れたのだった。
「色々と揃えて、何をするつもりなんだ? 見たことのない道具もあるな」
「天狗、面……」
「応ともよ。まさしく俺こそが天狗面だ──」
与羽村は"天狗面"へと向けていた刃先を、手元でくるりと回転させて逆手に持ち替えた。
「……あ? なんで刃物を下げる?」
「不思議かな?」
謎の侵入者であるはずの"天狗面"への警戒態勢を、あっさり解いてみせた理由を与羽村告げる。
「同業に向ける刃はないのでね」
そう言いながら与羽村は"面"を──顔もなければ模様すら入っていない──"無貌面"を懐中から出して、かぶって見せた。
「"無貌面"……なるほど御庭番だったのか、そりゃ知っていてもおかしくないはずだわ」
得心のいった"天狗面"はかぶっていた面を側頭部へとずらし……まだ少年とも言っていい若さの素顔を晒した。
「そっちの顔を見ちまったから、こっちも披露しないとな。俺は霧縫アルムだ、よろしく」
「自分の名は与羽村──"与羽村リンドウ"だ」
「よはむら……聞いたことがない、珍しい姓だな。リンドウって名のほうは風流だ」
「ありがとう、存外自分も気に入っている。御庭番では氏素性は知られてはならないの掟だが、お互いに不可抗力としようか」
与羽村リンドウは"無貌面"をしまいながら、霧縫アルムという聞き覚えを頭の中で検索する。
「リンドウさんは御庭番として任務中か?」
「いや、私用と言えるかな」
「そっか、俺は任務中だ──半分はな」
「半分?」
霧縫アルムは後ろ手に取り出した扇子をバッと開き、パタパタとあおぐ。
「任務じゃ曙誠党の乱を起こした"主導者"を探索しろとかいう、杜撰な命令だ」
「天狗面のこれまでの実績に対する信頼の表れなのではないか? 武勇伝はいくつか聞こえてきているよ」
「いやぁ……体よく使われてるだけに思えるわ。とりあえず直属の兵隊だったらしい"銀十字協会"だかって残党が逃散中なのは突き止めて、そいつらを探してたところだ」
「探し出して……捕縛するのか?」
「せっかくだから居場所を吐かせて、直接会って話そうと思ってる。主導者をどうするかは、それ次第かなぁ」
「あくまで探索、ゆえに以後をどうするかは好きに決める──と。ゆえに半分か」
「おもしろそうだろ」
「あぁ、それは実におもしろいね」
ニカっと少年らしい笑みを浮かべた霧縫アルムは移り気に、興味津々といった様子で、無防備に近付いて覗き込む。
「ところでそっちも、おもしろそうなことしてるよな?」
「少なくとも患者にとっては面白くはない。これから左脚を切断するのだから」
「切断んん~~~? なんでまた」
霧縫アルムの疑問に対し、与羽村リンドウは黒ずんだ患部を指差して示す。
「これだ。この黒い部分を早急に切除することで、広がるのを防ぐ」
「なるほどなー、治そうとしてるわけだ。そういうやり方があるのかぁ……だから色々用意してあるんだな。魔術で治らんもんは不便なこって」
グイッと霧縫アルムは乗り出すように、患者の皮膚病変と用意された品々を見る。
「ってかあれか、確か~~~"黒死の呪い"! あっちこっち行ってる時に似たようなのは見たことあったわ」
「これは呪いなどではなく、れっきとした病災だ。"黒癬病"──と呼ばれている」
「ふぅん? 生まれてこのかた、風邪一つひいたことのない俺にはわからんな」
「はっはは、それは丈夫な体に産んでくれた両親に感謝するといい」
「あぁ感謝してるぜ、まっ顔も名前も知らねえんだけどな」
「……これは失礼した」
どうやら複雑な事情があるらしく、安易に発した言葉を与羽村リンドウは頭を下げて詫びる。
「別に気にしなくていいって。そんで……そんな"ちみっちゃい短刀"で斬るつもりなん?」
霧縫アルムは特に気にした様子もなく、与羽村リンドウが持っている刃へと視線を移す。
「確かに小振りだがね、これはかの"地蟲鵺"の尾針から造られた刃だ」
「あ~~~むかしむかし北州で暴れた"大妖怪"の一匹だっけ? でももっとイイ方法があるぜ」
そう言った直後、霧縫アルムは開いた扇をそのままストンッと下へと降ろす──次の瞬間には、どういうわけか"左足が真っ二つに分かれていた"のだった。




