#04 散り果て
決意を固めた御幌ゼンノスケは、"天狗面"の青年に対しとうとうと語る。
「清浄宗は……"清貧"・"浄化"・"救済"を旨とする──」
「清貧?」
「物質的な欲求は、所詮はその場凌ぎでしかなく──」
「浄化?」
「自らを禊ぎ祓い、他者をも浄め──」
「救済?」
「"神言"を唱え、真なる救いと至らん──」
それを聞いた"天狗面"は少しばかり咀嚼し、飲み込んでから言葉として吐き出す。
「なぁるほどなー、つまり──欲望はほどほどに、視野を広く、先を見据え。常に自分磨きと、他者へ教示することを忘れず。神言として、教訓の一つ一つを簡略化して唱えることで、常に心に留めておく。って感じか」
「なに、を……」
「宗教ってのはさ、元来……多くは当時の生活に根ざした実践的な教えを、学び考える機会を与えられない人達にも効率よく浸透させる為のものなんだと──ってのは"先生"の受け売りなんだが、俺も割と納得してる」
穀物の収穫量が少ない土地においては、酒類を禁止し食用に限定することで奪い合いを回避、酩酊による秩序崩壊を防ぐ。
一部の家畜は大量の穀物を食糧とし、生食は寄生虫などもリスクがある為に不浄として食べず。
また労働力となる動物であれば、これみだりに消費させない為に、原則食用禁止とする。
断食することで富める者も、貧しき者の立場を理解することで、民族全体の結束力を高める。
偶像崇拝を禁止することで神聖性を保つと同時に、異なった在り様・解釈による宗派の乱立を抑止する。
一夫多妻を容認し、戦争によって発生した未亡人やその子供が路頭に迷うことがないよう、一定の制限を設けて相互扶助を推進する。
文字が読めない者たちの為に、儀式などを通じてわかりやすく伝える。
古来より続く宗教に伝わっている教義は、往々にしてそれを必要とした理由が介在するものなのだと。
そこに信仰を絡めることで、共同体としての強い結束を生み出し、数多くの困難に対応してきたのだと。
「実際のとこは、年月をかけて様々な思惑や利害が関わってたりもするんだろうけど。さしあたって清浄宗の教義は……多少なりと浮いた感じもあるが、まともなことを言っている感じだな。ただ……教義を守ろうとすることばかりに思考停止で固執し、時代の移り変わりに対応していないと──都合よく解釈して利用する輩──原理主義的狂信者が現れ、やがて多数派を占めて跋扈するわけだ」
「異教徒が知った風なことを」
御幌ゼンノスケはあからさまに愚弄されたことに対し、感情を殺し切れずにそう言った。
「まぁまぁ逆講義になっちゃったけど、冥府への土産に聞いてけよ。俺が大陸に傾倒しているのは、単に面白くて役に立つからってのが一番だが……時代には時代に合った流儀ってもんがあるからさ」
"天狗面"は世界そのものを表すかのように、両腕をがばっと広げる。
「この北州の地に"七人の武士"が現れてから、かれこれ400年近く──150年に及んだ戦乱の世。その中で覇を唱えて強大化した陸奥・飛騨・上総・駿河・山城・周防・大隅の七ツ国。相争う中で突如出現し、荒らし回った"邪骨王"を"聖なる威"をもって討ち倒した"扇祇"家の天下統一と、飛騨幕府の成立の歴史。そして現在……未だ"海魔獣"が回遊こそすれ、大陸の造船技術の発達によって本当に少しずつだけど往来が増え始めた昨今。変化の過渡期を迎えるかも知れない時期にあるんだからさ……世界に目を向ければ、もっと違った未来があったろうに」
大仰に語る"天狗面"に、御幌ゼンノスケは浮かんだ疑問をぶつける。
「大陸に……ハァ……、侵略されるとは……ッ──思わ、ないのか」
「徹底抗戦したがる主戦派がいなけりゃ、武力制圧はないんじゃないかな。もっとも文化的侵略って意味なら否定はできんけど」
「それ、がっ──」
「気に食わないんだろう、が……いつまでも停滞してはいられないんじゃねぇ? 俺は時勢に関しては、北州の誰よりも敏感なつもりさ」
技術が違う。知識が違う。人口が違う。まともに戦争したところで蹂躙されるのは火を見るより明らか。
ここ十数年で大きく飛躍し、変革されつつある大陸の情勢は、もはや極東の島国などまったくの問題にならないのだと。
「まっ偉そうにご高説垂れてなんだが、俺も直接行ったことはまだないんだけどな。ほら大陸より分かたれた島国とはいえ、多少なりと言語の違いもあるし。いや俺ならいつでも行けないこともないんだけど、世話になってる人もいるしせっかくなら一緒に──」
「あがっ、ぐ……」
「多少は緩和させたが、どうやら限界のようだな。正直あんたらにも大義があるのは理解できる。だからな~んの慰めにもならんが、とりあえず悪いとは思ってっから」
もはや薬効も意味を為さないほど、症状が進みすぎた御幌ゼンノスケの肉体は、抗弁はおろか声を出すことも叶わなくなっていた。
「御幌ヨシツグとは正々堂々と勝負してやったが、アンタの最期は俺の深淵の一端を"魅せてやる"」
そう口にしながら"天狗面"が鉄扇を真横に一閃する──と、開かれた扇面の上に御幌ゼンノスケの首が鎮座していた。
今際の瞳と真っすぐに交わした"天狗面"は、左手でそのまぶたをゆっくりと閉ざす。
毒による心機能の低下のせいか血しぶきは少なく、そのまま倒れた死体の胸元に首を置いた。
「落着」
"天狗面"は血の一滴もついてない鉄扇をバチンッと、小気味良い音を鳴らして閉じたのだった。
まるでその音が合図になったかのように、"天狗面"の影から女性の肢体が明らかな"化猫面"が現れる。
「"アルム"、血判状の確認は終わったよ。これで"材料は揃った"感じ?」
「さんっきゅ、"ノエ"。後は為るように成ってくだろ。どう転んでも、俺ならどうとでもするさ」
"化猫面"、ノエと呼ばれた乙女から──"天狗面"、アルムは衣服一式を受け取り、下男の服からさっさと着替え始める。
本来の出で立ちになったアルムは首に掛けた懐中時計の蓋を開け、中に収納された指環を見つめつつ時間を確認した。
「あらら、南郷ミチツネと御幌ヨシツグ、両名代とも殺っちゃったんだ」
着替えている間に遺体の顔を検分したノエが、そう口にする。
「立ち合いの結果だ、武士らしく散れただけイイほうだ」
「叱責受けるかもよ?」
「生け捕りにしても良かったが……尋問・拷問の末に刑死するよかマシだろ」
「頭領や"姫公方"さまに、言い訳が通じればいいけどねぇ」
「そん時ぁそん時。泣いて謝るか、笑って誤魔化すさ。同士討ちになったとかテキトーこいてもいいしな」
「私は知らないからねー、それじゃまた」
ノエは再びアルムの影に沈むように姿を消し、外した天狗面と煙管もまた虚空へと消える。
「さ~~~てっと、これで時代が大きく動く」
アルムは窓から屋根へと飛び出すと、雲一つなき星天を望む。
「お楽しみは終わらない──限界を超えて楽しめ、それでも世界は果てしない」
"片割れ星"が浮かぶ夜闇を駆けるその足は音も無く、重力を感じさせないほど軽やかなものだった。