#20 決斗 II
尹・ロンバンと馬・ガオフェン──鎬を削る拳と蹴りの応酬が、ピタリと示し合わせたかのように止まる。
「限界、だなァ」
「……そのようじゃ」
決着は近い。
しかし終焉る前に……絞り出すかのように、ロンバンとガオフェンは言葉を交わす。
「楽しかった、なぁ?」
「言葉にするまでもないわ」
「あぁそうだぁ。無粋、だろうよぉ……だがそれでも拳だけじゃなく口でも語りてェっつーんは欲張りか?」
「いや。このような気分は、我とて久方振りよ」
互いに穏やかな笑みを浮かべ合うも、すぐにガオフェンの表情が曇る。
「口にすンのは野暮ってのはわかってんだけどよォ……わずかな反応の鈍さ──あんたァ病気かなんか、罹ってやがんな」
「行住坐臥に武あり。万全な状態なぞ、望むべくもなし。寝ておろうと、食っていようと、酒を飲んで酩酊にあっても、女を抱いていても、怪我が治っておらずとも……いかなる状況でも、武人たればやることは変わらぬ。たとえ病気に侵され、肉体を蝕まれていようとな」
暗にロンバンは病を患っていることを認め、アルムはそこで老師の状態を初めて知る。
「確かにそうだがよォ……残念だぜぇ。不治の病かい?」
「あいにくとな」
そのような素振りなどまったく見せてはいなかったが、事態は思っていたよりも深刻なようだった。
「こんな辺鄙な場所に住んでんのも、療養の為か──噂と違って、心変わりして弟子をとったのはそのせいかい?」
「さて、な。我自身、よくわかっておらぬ」
老師ロンバンは、弟子アルムへとスッと視線を移す。
「別に我の代わりにしようなどとも思ってはおらぬが……そうさな。我が拳の一端を知る者が、いずれ高みへと至ることでもあれば……おもしろい──その程度のものよ」
そう感慨深く口にしたロンバンは、ガオフェンへと向き直る。
「不老の種族こそあれ、不死の存在はおらん。人間いつ死ぬかなぞわからぬ。何十年後かに寿命で死ぬのも、何年後かに病気で死ぬのも、今ここで敗死するのも……そう違いはあるまいて」
「いやぁ違いはあるだろうよォ? 死して名を遺す者、誰からも忘れ去られる者──ってだけでもな。おいらぁ前者でありたいね、そんで頂上を見てから、惜しまれつつ大往生すんだ」
そう言いながら、ゆらりと脱力したガオフェンのそれは──およそ構えには見えなかった。
「さてぇ、ぼちぼちいいだろうよォ。おいらもあんたも多少は回復したろうし……出し切ろうや」
「そうするとしよう」
ロンバンはうなずくと、やや半身に、腰を浅めに落とし、左足を後ろに、右拳を握る。
(あれは──)
老師の構え、重心の置き方、魔力の圧、充実した気……厳密に教えられてなくとも、アルムはすぐにそれがどういうものなのかを察し得た。
あれこそは老師と出会った日の夜──5人目の賊を打ち倒した時に、己自身もまた遥かに未熟ながらも使った技。
(いや……技じゃない)
"身意八合拳"の基本にして奥義。
内四合──心は威と合し、威は気と合し、気は力と合し、力は魔と合す。
外四合──足は腰と合し、腰は背と合し、背は肩と合し、肩は拳へと合す。
(合わせて、八合)
完全なる合一によって成される拳。
──もはや言葉はなく。聞こえてくるのは息遣いのみ。
──二人の武術家。矜持を懸けた決斗。
──それは少年が見てきた、有象無象の生き死にとはまったくの別物。
──人の人たらん全てを注ぎ込む極致の闘争。
老師ロンバンが踏み込み、完璧な機をもって後の先を取ったガオフェンの両腕が迫る。
しかし完全な合一によって生み出される速度で放たれたロンバンの拳は──先んじてガオフェンの肉体を打ち貫いたのだった。
「おごっ……が、ははっ──」
血反吐をぶち撒け、笑いながら崩れ落ちゆくガオフェンの肉体を、ロンバンは肩を掴んで膝立ちに支えた。
「アルムよ、瓶詰めを……大陸品を収蔵した箱より"青い液体の入った器"を持ってきてくれるかの」
「……!? はい!」
アルムは小屋へと走ると、すぐに"どろっとした青い液体が透けて見える容器"を探し、老師へと手渡した。
「トドメぇ……──頼む、ぜ」
息も絶え絶えにガオフェンはそう口にする。
「大往生をしたいのではなかったか」
「がっ……はは、今ならぁ──武人として……死闘の末に、敗れ死ぬ……のも、案外悪かねェ、かも……なァ……」
「熱に浮かされた、一時の感情に過ぎぬよ。男ならばそれも良かろう、が……生殺与奪の権利は、勝者たる我にあり」
ロンバンは片手で器用に瓶の蓋を開けると、青い粘性を持った液体をガオフェンにぶっかけ、さらに口に無理やり含ませ飲み込ませた。
「老師……それは?」
「"すらいむ"じゃったか──大陸で手に入れた回復薬よ」
「んぐッごぼ──んな……もん、自分に使えば……いいだろォ、よぉ……」
「病気に効くものではないのでな。中身が腐ってなければ、一命を取り留めるくらいできるじゃろう。ガオフェンよ、いずれ汝も大陸に渡るといい」
「がっはは、それで……おいらにも絶望感とやらを味わえと」
既に効果が出始めているのか、ガオフェンの言葉には苦痛の色が少なくなっているようだった。
「それは汝次第よ。アルム、庵に運んでおけ」
「はい老師、お美事でした」
「……悪ィなぁ、坊」
アルムは大型の獲物並に重く感じる筋肉の塊であるガオフェンを、引きずるように抱える。
「勝利の美酒をもらうぞ、汝の分までな」
そう言ってロンバンは余った"青い回復薬の瓶"に酒を注ぐと、きらきらと陽光に当ててから飲み干したのだった。
◇
その夜──酒を飲みながら老師に、アルムは一つのことを胸に決めて談じていた。
「老師……小屋まではこんだのに、いびきが聞こえてきてうるさいです」
「仕方あるまい。死んでいてもおかしくない傷だが元気なことよ。恐るべきは大陸の回復薬じゃな」
空っぽになった──恐ろしく透明度の高い──空き瓶を、アルムはコツンっと指で弾く。
「えぇ……ほんとにすごいですね、大陸は──」
アルムは思いを馳せる。
ラディーアたち"紅炎一座"の皆から聞かされてきたこと。
イドラから聞いた実体験を含んだ大陸の歴史。"星典"を読んで知った今の技術や文化。
「そういえばあの男、ねむるまえに老師に弟子入りしたいとかいってましたけど……?」
「汝の弟弟子になるか」
「えぇ……まっいっか」
兄弟子としてでかい顔をしてもいいし、ガオフェンからも学んだっていいと。
「もっとも、弟子は──アルムよ、汝一人で充分と思っておるがの」
そう言って老師はグビリと酒を喉に通したところで、改まってアルムは崩した足から正座をして告げる。
「老師──俺、霧縫家に帰ってもいいですか?」
「……嫌になったか」
酒瓢箪を机に置いて静かに老師は言葉にするも、アルムは大きく首を横に振った。
「逆です。きょうの決斗をみて……本気でまなびたいとおもいました」
「今までは本気ではなかったと?」
「えっと、かんじょうのもんだい? 楽しいだけじゃなくって、"しんけんみ"っていうか──そのために、やれることをします」
「北州へ帰るアテはあるのか?」
「実はあります、今なら」
老師は酒はそのままに、口角を上げて笑う。
「カカッ、ならば好きにせよアルム。汝は天賦に恵まれておるゆえな」
「知ってます」
「増上慢が玉に瑕じゃな。とはいえ特筆すべきは、苦痛を容易に上回って何事も楽しめることよ」
「……別に普通じゃないですか?」
「そも武術家とて苦痛に耐えて、強さを得ることで楽を覚える奇特な者であるがな……。普通のことだと簡単に言ってしまえるのが、若さであり汝の楽しむ才能よ」
老師は一端そこで言葉を置き、数拍溜めてからジッと弟子を見据える。
「一所に置いておく器ではないことは、この数週間でよぉわかった。じゃが汝はまだまだ道半ば、必ず戻ってくるのじゃぞ」
「老師、俺をだれだとおもってるんです?」
「まだまだ生意気な小子よ」
「その名を霧縫アルム──いずれ世界をてにいれる男です」
大陸にあるあらゆる知識や文化や娯楽を、夜空の向こうに広がる宇宙も、その全てを知りたい──世界を己のものにしたい。
「見果てぬ大望じゃ」
「それくらいやれないと、でしょう?」
『男なら』
そう老師とアルムの言葉が重なった。
──アルムはその後、イドラより教授された魔導と、老師より学んだ魔力合一で、距離こそ短いものの安定した"空間転移"に至る。
そうして一週間ほど掛けて霧縫家へと戻り……計5週間ほどにも及んだ、アルムの行方不明事件の終結を見たのだった。