#19 決斗 I
「っぷ……はあぁぁぁ──なぁ尹・ロンバン、死んで生まれ変わるなら何になりたい?」
馬・ガオフェンは、老師に渡したものと同じ酒を飲みながら、そう問いかけた。
「それって、輪廻転生……?」
「お? よく知っとるなぁ坊」
「あっ……うん、先生からならった。二ばんめの神王さまがしんじてたって」
アルムは封牢にてイドラから聞いた話を思い出していた。
二代神王を信仰する神王教"グラーフ"派の間で、にわかに信じられている思想体系。
人は死んで生まれ変わる。虫や動物など命を問わず宿り、また世界も問わないのだという。
「おぉ、そうなんかぁ。詳しいことは知らんがな」
酒を喉から胃へと通した老師は、ゆっくりと口を開く。
「決斗よりも問答が好みか」
「がっはっは、ごもっとも。だぁ~がなァ……拳で語る以外にも、この手で殺める人間を覚えておくのには──何か一つでいい。"その者の本質がよく見える"ものを引き出したいわけよぉ? 酒を飲む間くらい答えてくれてもいいんじゃぁねぇかい?」
再びグビグビと酒をあおるガオフェンは、豪快な笑顔が浮かんでいた。
「で、どうだい? 生まれ変わるなら何になりたい?」
「……酔狂にはちょうどよいか、我自身だ」
「あ~~~ん? もう一度自分に──ありきたりでつまらん答えだなぁ」
「……今一度、生まれ直せたのなら、"全てを一分の隙もなく完璧に"積み上げたい」
酒を飲む手を止めた老師は、静かに大空を見据える。
「お? 話がおもしろくなってきたかぁ」
「真に完全たる我が限界をもって敗けるのならば……諦めもつこう。そうでないから死にきれぬ──のう馬・ガオフェン、汝は大陸へは?」
「あんたと、他にあと三人ほど──名の通った武術家を倒せば、南州には目ぼしいのはいなくなる。そうしたら大陸へ渡るつもりさぁ」
アルムは北州には来ないのかと思いつつ、二人の会話に口を挟まずに聞き入る。
「……そうか。我はあの日、知ってしまったのじゃ。半端な拳では到達し得ぬ領域があることを」
「どういうこった?」
「年を重ねて、ようやく実感するものだ……まだ拙かったあの頃に刻まれた、"歪み"や"欠損"というものをな」
老師は腰を落としつつ、酒を持っていないほうの手で拳を握り、虚空へと打ち込んだ。
「人は成長を重ねてより大きく、磨かれていく──やがて傷は埋まったように見えるじゃろう。しかし内側に残った亀裂は、年月と共に拡がっておる。外からの力に脆くなり、重心がずれた不完全な球体じゃ」
「なぁるほど、そういうことかい。興味深いねぇ」
「ゆえにもう一度、我として生まれ直せたならば──完璧に積み上げ、改めて高みを目指したい。その上で敗北を受け入れたい……そう考えてしまうのよ」
「実に老いたもんだねぇ、尹・ロンバン」
「カカッ、説いたところで理解るまいて。汝はかつての我と、よく似ておる。大海の広さも、空の深さも知らぬ、井の中の蛙よ」
言い切ってから、老師は酒をあおる。
「言ってくれんねぇ。ちなみにおいらは、過去がいい」
「過去とな?」
「嘘か真か、大陸から極東を斬り分けたっつー"三代神王ディアマ"がいた時代の誰かだ。そんでおいらが闘うんだ」
「なるほど、それは……面白いやも知れぬな」
「だろぉ? おいらぁ今の人生で頂上に登っちまうんだからさぁ!! 同じ人生を歩んだってつまらんぜぇ」
言い切ったガオフェンは、飲んでいた酒瓢箪を地べたへと置く。
「残り半分は"勝利の美酒"にさせてもらうわぁ」
老師もまた酒瓢箪を地面に置き、ゆっくりと息吹をする。
「一挙手一投足。眼を逸らすでないぞ、アルム」
「押忍」
「おいらァ武器も使うが、いいかぁ?」
「一向に構わぬ」
「さっすがぁ。身意八合拳は対武器術にも特化してるってぇ聞いたが……それはそれとして、別にあんたも使いたきゃ使って構わんぜぇ」
言いながらガオフェンは荷物の中から、柳葉刀、連結式の戟、片刃の斧が二丁を地面に突き立てて、さらには流星錘、柄が短い狼牙棒などまで取り出していく。
その間にアルムは少し離れた場所に立つ。老師とガオフェンは向かい合うと、互いに抱拳礼をしてから名乗りを上げる。
「東派・"永極拳"、西派・"洪加拳"──馬・ガオフェン」
「"身意八合拳"──尹・ロンバン」
双方が腰を落としてそれぞれ構えをとり、自然の音だけがわずかに聞こえるのみ。
まだアルムの領域では認識できなかったが、二人の間では詰め将棋のように見えぬ応酬が繰り広げられる。
十秒──二十秒──動かないまま、時間だけが流れていく。
息苦しく思えてくるほどの圧力が"泰山"全体を包んでいるかのようだった。
(よくわからない……けど、老師とあの男の実力は──)
拮抗している。だからこそ動かない、動けない。
一分──あるいは二分か三分は経過しただろうか、対峙している二人にとっては一体どれほどの時間に感じられているのだろう。
アルムがそんなことを考えていると、山の静寂を引き裂くような咆哮が、山彦となって駆け巡る。
「──ッ!?」
アルムは周囲を見回すと、上空に見える不自然な黒点がぐんぐんと大きくなり、やがて陽光に影を作る──それは巨大な翼を広げた"怪鳥"だった。
『邪魔じゃあ』
その直後だった──示し合わせたように──対峙していた二人は同時に動き出していた。
ロンバンはその場から跳躍して地面に深い足跡を残す。
ガオフェンは突き立てていた戟を掴んで回転させながら空中へ放ると、柄尻を思い切り蹴り込んだ。
「"一刀勢"ェ!!」
戟は鉄砲の弾丸もかくやという速度で真っすぐ突き進み、急降下しつつあった怪鳥の胴体と羽を貫いた。
そしてバランスが崩れたところへ、ロンバンの拳が脳天を砕き、続けざまの蹴りで庵と畑とを結ぶ道へと、巨体を叩き落としたのだった。
「まったく客人とは重なるものだな……──水を差されるとは」
着地したロンバンは──張りつめた気はそのままに──そう口にした。
「さっきのはなんだぁ?」
「何年か置きに現れる、山向こうのバケモノ鳥よ」
「がっはっはっはははァ、酒の供になりそうだ」
今まさに命を賭して闘い合う者同士であるにもかかわらず、まるで以心伝心で連係して怪鳥を討った二人の武術家。
「再開しようかい、馬・ガオフェン。男の勝負を」
「たまんねぇなァ、尹・ロンバン。あんたぁ今までで……一番だァッ!!」
そしてまた変わらぬ様子で立ち合う雄と雄。その関係性にアルムは畏敬の念を抱く。
「仕切り直したところで、だ。探り合いは終わりにしようかァ……ちまちまやってちゃあもったいねェッ!!」
ガオフェンは一瞬にして間合いを詰めながら、流れるように掴んだ柳葉刀を薙ぐ──も、ロンバンはそれを素手のまま刃を握り砕く。
反射的なものだったのか、あるいは織り込み済みだったのか……ガオフェンはあまりに速く、あまりにも滑らかに懐中へと踏み込んで、ロンバンの頭へと強烈な肘が叩き込まれた。
「っぐぅ……」
「今ので打ち抜けねぇかァ!? 力みがまだ足りて──」
次の瞬間、すり抜けるような膝によってガオフェンの顎が跳ね上がり──さらにロンバンの肉体がバネのように弾けて、上から下へと頭突きが見舞われた。
「ごッぁ──」
ガオフェンは頭から叩きつけられて地面を砕き、ロンバンはゆっくりと頭を上げる。
「やってくれんねェ……」
「お互いさまじゃ」
掴んだ石片を握り潰しながらすぐに立ち上がったガオフェンは頭蓋から顔面まで血まみれであり、ロンバンもまた白髪が赤色に染まっていく。
アルムは二人のあまねく動きを尋常ならざる集中力で見取り、捉えた全てを脳髄と魂魄へと刻み込む。
この決斗に憎悪はなく、侮りも恐れもない。
相手への敬意に溢れ、我が身を厭わず全身全霊を尽くす、公正で純粋な闘争。
(男の、世界──)
それはきっと……生粋の軍人として戦場を駆けたエドゥアールは、決して選ばない闘り方だろう。
ラディーアを筆頭に他の武闘派の面々も、闘争において……一見してこんなバカげた真似はしない。
今でこそ武家である霧縫とて、根っこが忍びであるゆえ恐らくは……相手を殺すことこそ至上とするに違いない。
(男ならば、かくあるべし──)
あるいは価値基準。あるいは度量。あるいは流儀。
武術家としてだけではなく、一人の漢として比較べ合うその熱量。
速く、鋭く、精緻で。重く、強く、迷いも躊躇いもない。拳と蹴りが幾重にも交差する。
生命そのものを削り、魂魄を燃焼させるが如く。
二人の血と汗が、泰山の地を染めてゆく。
ある種の美しさに魅了され、狂おしいほどの憧憬が……アルムの心に灯った炎が、煌々と──星が爆発するかのように──燃ゆるのだった。