#16 深山幽谷の師
「覚えておけ小子、時として──"己の全存在を込めた拳は、総てを超越る"──ということを」
老人は掴んだ死体を、横の地面へと雑に落として捨てる。
「どなたか……存じま、せん。が……ありがとう、ござ──んぐっ」
老人は無言のままに、焼かれた肉をアルムの口へと突っ込んだ。
極度の飢餓状態だった胃袋を満たすその多幸感は、いまだかつて味わったことのないものだった。
「連中の食いかけじゃが、充分じゃろう」
一息に吞み込んでから、アルムは我を忘れたように焚き火へと近付き、置いてある食糧を食い散らかし、飲み干していく。
何もかもが全身全霊に染み渡る。理性と本能がぐちゃぐちゃに、一心不乱に貪り尽くす。
「自らの手で生を拾った。男たる者、そうでなくてはな」
「っぷ……はぁ……あの、あなたは──」
「小子の闘争を酒の肴にする、通りすがりの酒飲み爺よ」
そう言って喉を酒で潤す老人の並々ならぬ雰囲気を、アルムはつぶさに感じ取る。
「あの、さっき"魔力の流れ"って助言──おじいさんは魔力にくわしいんですか?」
南州から霧縫家に戻る為には、しっかりと"空間転移"を修得する必要がある──その為に必要なのが、魔力と魔導の制御。
「もしよければ……おしえてもらえると──」
「……」
老人は酒を飲むために口を開く。
そして酒瓢箪の中身を全て胃へと一気に流し込んでから、言葉の為に口を開いた。
「小子、汝の名は?」
「アルム、霧縫アルムです」
「霧縫或无──北州の名か」
「はい、ちょっとワケがあって……もどるために、魔力の使い方をおぼえなくっちゃあいけないんです」
アルムはグッと真っすぐに老人の瞳を見据える。
「以後、我のことは老師と呼べ」
「はい、老師」
「これも奇縁じゃ。半ば諦めておったのじゃがな……汝の天賦異才──我が"身意八合拳"を教えるに値する」
「しんい、はちごうけん……?」
「心は威と合し、威は気と合し、気は力と合し、力は魔と合す──これを内四合。足は腰と合し、腰は背と合し、背は肩と合し、肩は拳へと合す──これを外四合、合わせて八合」
老師は空っぽになった瓢箪を空中へ放り投げる。
そして先ほどアルムが放った拳と、似て非なる形で真っすぐ拳を突き込み──落ちてきた瓢箪は、粉微塵に砕け散ったのだった。
「"身意八合拳"──無極より太極へと至り、両儀を生じて、四象と成し、八卦に通ず。我が生涯を懸けた技術、余すことなく伝授させてもらうとしよう」
「えっ? いえ、その俺は……魔力の使い方だけで──」
唐突に出てきた武術の名に、アルムは困惑して抗弁する。
「男ならば一度でも吐いた言葉は、二度と飲み込めぬ」
有無を言わさぬ圧力に、アルムは覚悟を決める。最悪の場合、"空間転移"で逃げてしまえばいいとも。
「押忍。武士に二言はありません」
「──武士か。北州のツワモノどもはまだおるのだな」
◇
「うっく、痛ェ……」
目が覚めると、最初に映ったのは見知らぬ天井であった。
アルムは既視感を覚えつつ、全身に残る鈍痛を我慢して床から体を起こそうとする。
(あ~~~っと、ムチャしすぎたもんなぁ)
イドラの封牢に暴走転移してから食事は摂れず。
再び転移した先は南州で、吊るされて飲まず食わず。無理に体を動かして、5人の賊を殺した。
さらには老師が買い込んだ酒樽を乗せた荷車を引いて、山の奥深くにある庵まで登り続け──そのまま泥のように眠ってしまったのだ。
(こんなとこに寝かされてたのか)
立ち上がって周囲へと視線を移す──壁際には木の棚があり、古びた陶壺や茶器などが並んでいる。
よくわからない木彫り像や、古びた書物などが乱雑に積まれ、部屋の隅にある木箱には使い古された竹籠や、ほつれた布切れが雑多に押し込まれていた。
隣の部屋へ行くも老師はいなかったが、水甕を見つけて喉を潤してから、すくった柄杓を戻す。
別の部屋への扉もあったが、ひとまずは外へ出られそうな扉をアルムは開けた。
「お、おぉ~~~すっげぇ……」
どこまでも続く青空、まばゆく照らす陽光、真昼にも煌めく星。
下には雲海が広がって山々の稜線をのみ込み、まるでここが天と地の狭間であるかのような錯覚を覚える。
「ようやっと目覚めたか。陽は既に真上ぞ」
「すみません……おはようございます、老師」
アルムは武家の作法に則って一礼すると、老師は首を横に振った。
「そうではない、こうじゃ」
否定した老師は、胸元付近に両手を持っていくと、右拳を左手の平へで包むように添える。
そして視線は外さぬまま、左手で包んだ右拳を突き出すように軽く頭を下げた。
「"抱拳礼"──今後は統一せよ」
「押忍」
アルムは老師に倣って、抱拳礼を返した。
「まだ疲労が残っておるようじゃの、動きもぎこちない」
「……おなかも空いてます」
「図太いことよ。食いたければ働け、少し下ったところに畑がある」
「こんなところに畑が──?」
夜中に荷車を引いて必死に登っていた時は気付かなかったが、
「高き山でも育つものがある」
「山……どこなんでしょう?」
「"泰山"と呼ばれておる。このような場所に住んでいるのは、酔狂な我だけよ」
アルムは聞いてはみたものの、南州の地理などわかるわけもなかった。
「良い茶葉や薬草なぞもある。肉を食いたければ獲物を狩る。何事も自給自足じゃ」
「なるほどなー……お酒以外は、ですか」
「かっかっか! 言いおるわい。じゃがその通りよ」
霧縫家も紅炎一座も心配しているに違いない。
とにかく早く帰りたい気持ちはあったが、今の状態で再び"空間転移"しても失敗するのは目に見えている。
ひとまずは新しい生活に慣れることを、アルムは優先するのだった。
◇
老師の動きを模倣し、アルムは同じように"身意八合拳"の型をとっていく。
延々と繰り返される静寂の中で、アルムは耐えかねて口を開く。
「あのォ~~~老師」
「なんじゃ」
「型ばっかりで、つよくなれるんです? 霧縫の家では実戦がおおいんですけど」
老師は型を止めぬまま、言葉を返す。
「強くなりたくはないのか」
「ん、よわいよりはつよいほうがいいです」
「ちっぽけな男でいいのか」
「それは……イヤです」
ゆっくりと息吹をした老師は、それまでの緩やかな動きから、激流のような流れで拳をアルムの眼前に放った。
「ぅお──」
一瞬だけ驚くも、決して臆することないアルムの精神性に、老師は目を細める。
「男ならばまず最強を目指せ、それからまた別の最高を見い出せばよい」
「老師は……さいきょー?」
「──道半ばよ」
「やっぱりやり方がわるいんじゃ──」
言葉の途中でゴツンッ──と、老師の拳骨が接近距離からアルムの額を打った。
「文句は我より強くなってから言うことだ、それまでは鍛錬に励めぃ」
「……押忍」
再びゆったりと、陽が暮れゆくまで型を繰り返す。
「酔った勢いもあったが……アルム、汝を弟子にしたことは間違いではなかったようじゃ」
霧縫流で学んでいた基本の体捌きのおかげあってか、まったく違う流派の型であっても労せず馴染んでいく。
「あのとき酔っぱらってたんですか? そうは見えませんでした」
「うむ、男たるもの吐いた言葉は飲み込めんからの。酔っていても我が眼はしっかりとしていたようじゃ」
アルムはとんでもない爺さんに師事したなと思いつつも、山の上の新たな生活を楽しんでいることを自覚する。
「とはいえまだまだ。魔力との合一がなされておらん」
「……え?」
「魔力もまた心と体を鍛えるのと同様。実際の動きに伴っておらぬから、不和が生じておる」
「お、おぉ……どうやれば?」
「今はまだ、型をしっかりやることよ。ただし、動きを模倣るだけでなく、魔力の流れも意識せよ」
「はい老師!」
アルムはどこか開き直った心地になっていた。
元々好奇心が強く、"紅炎一座"の影響で多様な興味を持った少年にとって──未知の武術、その術理は非常に楽しいものとなっていったのだった。