#15 異境の地
息苦しさと圧迫感、それに浮遊感に目を覚ます。
「んぁ……」
アルムは鈍い痛み、疲労感と空腹、眠気も残るままに状況を確認する。
ゆらゆらとぶら下がっている。胴に回された太い縄によって腕ごと体を拘束されて、木の幹に吊るされている。
朦朧とする意識の中、ここに至るまでの経緯を思い出す。
あれからイドラの下で5日ほど修練を続け、魔導を発動させることで"開かずの座敷牢"から脱出することができた。
(あぁ……せいこーしたけど、しっぱいしたんだ)
そうアルムは直感した。
魔導による"空間転移"そのものはできたものの──今いるのは霧縫屋敷でもなければ、紅炎一座が住んでいる長屋でもない。
空気が薄く、肌寒い。焚き火の灯りがちらつき、煙がのぼっている。焼けた肉と酒の香りが鼻腔をつく。
そして……男の話し声・笑い声──炎の周囲には粗暴そうな男らが5人。
(賊に、捕まった……?)
「っう──く、あのーーー!」
声を絞りだして話しかけると、ゾロゾロと男たちに囲まれる。
「起きたのか、ガキ」
「アルムと言います。ここがどこで、あなたがたが誰なのかは知らないけど……降ろしてもらえると──」
「なんか言葉が変だな? っつーかなんでこんな場所にいた」
男の一人に問われ、アルムも相手に違和感を感じつつ答える。
「わからない。ただ上総ノ国を治める棗家に仕える武家、霧縫の養子です。助けていただければ、きっとお礼を──」
「かずさァ……? 誰か知ってっか」
その言葉に男たちの誰一人として、首を縦に振ることはなかった。
「えっ……上総を知らない? 天下の飛騨幕府の隣ですよ?」
「ばくふぅ?」
「幕府を知らない……? 陸奥は? 駿河は?」
いくら教養の無さそうな賊だったとしても、農民ですら知っていることすらも本気で知らなそうな態度に、アルムは眉をひそめる。
すると布を頭に巻いた男が、何かに気付いたように口を開く。
「ガキぃ、もしかするとソレって北の話か」
「まさか……ここって──」
"北"とただ一言にまとめられたことで、改めて賊らを観察したアルムは一つの答えに導かれる。
「北州じゃなくって、南州……?」
知っていて当然の知識──違和感のある訛り言葉──変わった服装──見慣れぬ意匠の剣──そして、自身の"空間転移"。
南北を分かつ病毒の汚染領域すらも飛び越えて、南州の地にまでやってきてしまったのだと。
「当たり前だろうが」
「……? ちょっと待て、このガキ北州人なのか?」
「たしかに、妙な装いをしてやがるが……」
「なんで北のやつがこっちにいるんだよ?」
「知るかよ」
「どっかのいいとこの坊ちゃんのようだが、北じゃ身代金も期待できねえわな」
男たちはそれぞれに話し出し、しかして結論はすぐに決定する。
「おうガキ、なんで北の人間がこっちにいるかは知ったこっちゃねえ。予定どおりてめーは"人薬"だ」
「人薬……?」
「男のガキはどこが金になんだっけ?」
「肝じゃなかったか、女だったら楽しめたし値も張ったのによ」
下衆な笑い声交じりの会話を聞きながら──アルムは瞬時に覚悟を決める。
この手の輩は紅炎一座でラディーアの背中から何度となく見てきたし、北州も南州も変わらないのだと。
「ぼちぼち行くとするか。オイ、そのガキを降ろし──」
「結び方、悪し」
言葉途中で、スルリと縄を抜けたアルムは──音も無く──着地する。
そして最も近くにいた男の剣柄を握って、抜きざまに首から顎を縦に割り裂いた。
「は……?」
「反応、悪し」
賊どもが呆気にとられている内に、もう一人の男の膝を蹴り崩し、低くなった首元へと白刃を振り下ろす。
「てめっこの──」
「動き、悪し」
ようやく状況に対応しようとするも、剣を抜く途中でさらに一人、胸元へと剣を突き込んだ。
そして刺した剣は抜かないまま、アルムは無手で遁走を図る。
「待ちやがれ!!」
相手は武器を持たず、無様に逃げる小さな少年──そう思わせた心の隙を利用し、アルムは瞬時に反転。
身を低くしたまま相手の足首を掴み、勢いのままに引き倒した。
「判断、悪し」
アルムは倒れ込んだ首裏めがけて、全体重を乗せて踏み抜く──と、鈍い音と共に一瞬だけ体を痙攣させ、賊はそれきり動かなくなった。
「ありえねえ……ただのガキじゃねえのか」
「ッはぁ……ふゥ……」
布を頭に巻いた男は、既に剣を構えていた。
慎重に、油断なく、怒りと恐怖と混乱とを綯い交ぜに。
「鬼の子か」
「くっはは、そうかも」
アルムは空虚に笑う。体力はとっくに底を尽きていた。
渇きに加えて、"開かずの座敷牢"からずっと食べていない上に吊るされていたのだ。
「おじさん……逃げても、いいけど」
本来ならば勢いのままに殺し切りたかったところだった。
気力だけで、これまでの積み上げた鍛錬によって体が動いたが……もはやままならない。
「チッ、空元気だろうが。ここまでやられて退けるかよ、クソガキ」
思ったよりも冷静な賊に、アルムは歯噛みした。
闘争において、後手とは受け身。相手に主導権を譲り、自らの選択肢を狭めることに他ならない。
ゆえに常に先手を取ること。膨大な選択肢の中から、相手に対応を強いて思考を縛るというのが基本であると教わったし、ここまでは実践できた。
「来るんなら、あんたも殺すよ」
「なッ──」
声を出すことすら苦痛に感じるほどの疲労感と負荷。先手を取るどころか、今にも倒れそうな状況。
それでもこんなところで、こんな賊ごときの手に掛かって死ぬなど……絶対にありえない。
死を覚悟なんてしてやるもんかと、虚勢の言葉であった。
されどアルムの見せた表情と雰囲気に、賊は気圧されたじろぐ。
「なかなかどうして、"修羅"を裡に飼っておる」
唐突に掛けられた声へと、アルムと賊の視線が向く。
「酒ぇ……いただいていくぞい」
短い白髪に、白髭をたくわえた老人が、焚き火のそばの地面に置いてある酒瓢箪を拾い上げていた。
「ッッ──!? 誰だてめェは!!」
「帰りしなに一本空にしてしまったもんでの」
「んなことを聞いてんじゃ──」
「小子、腰の使い方がなっておらんな」
老人は賊など眼中に無いかのように無視し、遮るように言葉を重ねた。
「力の出し方は年の割に悪くない。じゃが伝え方が成っておらん」
「つたえ、かた──」
アルムは朦朧としつつある意識の中で、その言葉を反復する。
老人は奪ったばかりの酒をグビグビとあおりながら、鋭い視線をアルムへと向ける。
「いささか固い。今少し回転を意識して下半身から上半身へと連動させよ、さすれば魔力の流れも良くなろう」
「かいてん……まりょ、く……ながれ……」
言われてアルムは、自身の中に残る魔力へと意識を傾ける。
魔導の為に濃く練り上げた密度の高い魔力を、一度攪拌して薄く身体中に行き渡らせる想像。
「ジジイ、さっきからふざけてんやがってッ!!」
「さえずるでない。相手が違うぞ」
「な……くっ……」
低く底冷えするようなその声に、賊は気圧されつつアルムのほうへと向き直る。
「小子、いい感じに力も抜けておる。あとたった一撃じゃ、まだ振り絞れる──男児なら意地を見せぃ」
「……押忍」
アルムは一度だけ深呼吸して、半身に腰を落として構えた。
「いったん死んどけや、ガキぃ!」
刻んだ動きを──回転し接続──魔力の流れを淀みなく──伝えきる。
賊が剣を振り下ろさんとする直前、その内側へ一歩踏み込み、アルムはその拳を心の臓にまで届かせた。
「よし。まだまだ不恰好ではあるが、ひとまずは美事。掴んだ力離さぬ……良き拳じゃ」
アルムへと倒れ込んでくる賊の死体──いつの間にか距離を詰めていた老人が、その襟首を握って支える。
「覚えておけ小子、時として──"己の全存在を込めた拳は、総てを超越る"──ということを」