#13 囚われの貴人
アルムが霧縫家の養子となって2年ほどが経過し、すっかり霧縫姓にも馴染んできた頃──突如として行方不明となる事件が起こった。
なんの予兆もなく、"紅炎一座"もまったくあずかり知らぬところ。
あくまで内々にではあったが、周辺に捜索隊まで出したものの空振り。
それらしい事故はなく、誘拐事件も考えられたものの……要求といったものはなく。
直近の本人の様子から察しても逃亡したとも考えにくく、如何ともしがたい状況が続いた。
そうして5週間ほどが過ぎたところで、屋敷内にて何事もなく霧縫アルムは発見された。
「あっ……ーと、ごめんなさい。ちょっと武者修行に」
多方面から叱責を受けつつも、最終的には些細な……ちょっとした騒動として終結を見た。
少なくとも周りの人々にとっては。
しかしアルムにとって、それはとても大きな出来事だった──
◆
「ん? えっ、は? あれ……どゆこと?」
目が覚めると──最初に映ったのは見知らぬ天井であった。
確かに自分の部屋で、自分の布団で寝たはずだったが……硬く冷たい石床の感触が寝間着を通して伝わってくる。
「これはこれは……一体どういうことでしょう。この身となって初めての来訪者とは」
「ッ──!?」
暗い部屋の奥にはわずかな灯りに照らされてた、片目を隠した銀髪に、碧眼がわずかに煌めく女性の姿があった。
「だれ……?」
「それはこちらの言葉です。一応この狭い封牢の主はわたくしですから」
「牢ぉ?」
アルムは改め部屋内を見回して、己の記憶の中で引っかかったものを叫ぶ。
「……開かずの座敷牢!? すっげ、俺ってば見つけた上に、中に入れた!」
目の前の女性はコホンッと咳払いを一つする。
「あ、ごめんなさい。俺の名前はアルム──霧縫アルムです」
「わたくしは"イドラ・ハージェント"と申します」
イドラと名乗った女性は座ったまま一礼し、アルムもそれにつられる様に頭を下げる。
「お、おぉイドラさんってもしかして大陸人? ですか?」
「えぇ確かにわたくしは大陸出身です。そしてアルム貴方は……霧縫の直系血族ではないようですね」
イドラは立ち上がるとアルムへと近付き、頬へと手を添えた。
そうして伸ばした片前髪の奥にある、"水晶をそのままはめ込んだような左眼"で覗き込む。
「とても珍しい……人族が半分、妖精種が半の半分、吸血鬼も半の半分。揺らぎからすると……おそらくハーフエルフとハーフヴァンパイアの組み合わせでしょう」
「へっ?」
「"妖鬼人"とでも呼べばいいでしょうか、種族間でも非常に産みにくい組み合わせです。よっぽどお互いに愛する二人から生まれてきたのでしょう」
「え、あぁそうなんだ。俺の……父と、母──」
そこでアルムもイドラの顔──立っていながら床に届くほどの流麗な銀髪からはみ出ている長耳を見て気付く。
「イドラさんって、エルフ……?」
「──そうですね、わたくしは一応エルフになります。それよりも……」
イドラは真剣な表情を浮かべ、アルムを真っすぐ見つめる。
「牢の内部に限ってはわたくしが色々と施して循環させているとはいえ、秘匿され閉じられた空間です。本来であれば呼吸することさえできません」
「っと、つまり……?」
「水を生成することくらいはできますが限度があります。わたくしは生きられますが、貴方は脱出できないと遠からず死ぬことになるでしょう」
「えぇ~~~? んじゃぁどうやって出れば?」
「そこなのです。入ることすらできないはずですが、どうしてか貴方はここにいる」
「ふ~ん、そっかぁ」
あぐらをかきながらアルムは、上半身を傾けるようにぐるぐると回す。
「──随分と暢気なのですね。それともまだ子供ですし現状を把握できてないのでしょうか」
「なっちゃったものはしょうがないし、入れたんなら出れるでしょ? それにイドラさん、なんかいろいろ知ってそう」
純粋な気持ちを言葉として投げかけられ、イドラは数秒ほど呆ける。
単純に人と会話することすら久しぶりなのも相まって、長い幽閉の間に固着してしまった己の精神性を蘇らせていく。
「──そうですね。おそらくは……魔術関連の知識については、大陸史上でも有数でしょう」
「すごい! 俺も魔術は一座のみんなから習ってはいるんだけど、なんか上手くいかなくってぇ──」
イドラは少しだけ考えてから、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「それは貴方が、自覚はなくとも"魔導"を使えるからでしょうね。そうでないとここへ侵入できた理由がありません」
「魔導──って魔術よりつよいやつ!」
「強い……とは一概には言えません。魔導は魔術にはできない領域を操ることができるというだけです」
「そうなんだ、つよいわけじゃないのかー」
火・水・地・空など、現象を引き起こす汎用的で誰もが使いやすい"魔術"。
何がしかの部分に特化し、多くは観念的・概念的でカテゴライズがしにくい"魔導"。
理論上は任意全能に近いが、魔術や魔導とは比較できないほど魔力を必要とする為、実際的な限界のある"魔法"。
「魔導を扱う者は、一般に魔術が使えなくなる。厳密には使いにくくなるだけで、修練すればその限りではありませんが」
「もしかして魔導? を使える俺ってば天才?」
「天賦であることは間違いありません。アルム……貴方の魔力はとても濃い」
「濃い? 魔力って見えるの?」
元来、魔力そのものを感じることこそできても、その濃淡も色も肉眼では見ることはできない。
「わたくしには視えるのです」
「へっへぇ~~~イドラさんってすごいんだね。んでんで、俺って何の魔導なの? 自分じゃわからないよ」
「現状を類推するに──おそらく、"空間転移"」
かの魔法具"神出跳靴"に類する魔導。
今はまだ魔法の領域までには至っておらずとも、いずれは届き得るかも知れない才能。
「ワープだ! やっべー!!」
「わーぷ? とは」
「ラディーアが語って聞かせてくれるお話の中にあったんだ。あっ、ラディーアは俺の育ての母!」
「ふむ、連邦東部訛りに近い発音です。あれは元々"大魔技師"と呼ばれる──いえ、今はいいでしょう」
するとアルムは何かに気付いたようにハッとし、それから安堵の表情を浮かべた。
「あ~~~、そっかぁ」
アルムはどこか憑き物でも落ちたかのように、大きく息を吐いた。
「どうしたのです?」
「俺ってさ、身寄りがなくて一座に拾ってもらったんだ。んで、そん時って海のど真ん中にいきなり現れたって……」
「なるほど、まず間違いなく魔導の暴走でしょうね」
「うん……だからさ、俺──本当の"父や母に捨てられたんじゃなかった"んだって……」
涙を浮かべている年相応の少年を、思わずイドラは優しく抱きしめる。
「心配することはありません。わたくしも魔導師です。アルム、貴方がその力を御することができるよう手を貸しましょう」
「うん、ありがとうイドラさん」
しばらくそのまま抱擁してあげつつ、イドラは考えをまとめていく。
「それに──アルム、外部より持ち込んだ貴方の魔力があれば……この閉じた循環にも変化を起こせます」
「んーーー??」
「そしてその力を自在に扱えるようになれば、わたくしも寂しくなくなるでしょう。定期的に顔を出してもらえると嬉しいです」
「そういえばイドラさんはどうしてこんなところに?」
「……行き違い、というだけです。過去にもこういったことは何度もありました」
イドラは懐かしむように言葉を吐き出していく。
「互いに信じていたものが、気付かないまま少しずつズレていき──やがて修正できないほどにまで至る。そうなればもはや別離か排斥かのどちらかになる、そしてわたくしは負けた。それだけの話ですよ」