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#12 霧縫家の日々


 霧縫(きりぬい)家の育預(はぐくみ)として、日々アルムは武家の子としての教育を受けていた。


「アルム、筆を持て」


 その声は低く(おごそ)かでいて、どこか刃のような鋭さも感じさせた。


「はい、師父」


 柔らかな日差しが障子越しに差し込み、畳の上に光と影の模様を描く室内。

 几帳(きちょう)が静かに揺れ、墨の香りがほのかに漂う中でアルムは師父ドウゲンと向かい合う。


「読み書きは多少、できると聞いているが」

「うん、エドゥアールとヴィスコームに習った」

「アルム──」

「……? あっ、はい習いました」


 アルムはドウゲンの視線に気付いて、慌てて言葉を直す。


「よし。お前にとっては、ほとんど生まれた時から慣れ親しんでいるものだろうが……教えたのはあくまで大陸人だ、ゆえに最初から教えていく」

「はい、師父」


 ドウゲンはスッスッと、淀みなく筆を走らせると──"霧縫"──の文字が半紙を黒く染めていた。

 同じようにアルムも新たな己の姓を書いてみるが、歪んでいて文字の体裁がかろうじて整っている程度だった。


「さすがにまだ難しいか、好きな文字を書いてみよ」

「はい、それじゃぁ……」


 アルムはドウゲンの姿勢や筆の運びを模倣するように、ゆっくりと……しかして堂々と一字を書ききる。


「……"星"か」

「はい、なにかダメですか?」


 しばし黙考したドウゲンは、静かにうなずく。


「いや思ったよりも(すじ)がいい、今のように線が()れぬよう注意せよ。何事も、な──」

「はい!」


 アルムは教養・文化・慣習・信仰・礼法・武芸・軍略など日々の中で学んでいく。

 そこに辛さなどは微塵もなく、新しいことを覚える喜びに身を委ねるのだった。





「はぁ……なんでオレが」


 面倒臭そうな声とともに、霧縫フゲンはぐっと背伸びをした。

 武錬場にいるにも関わらず、稽古着はだらしなくはだけていて、袴を締める帯も緩い。


「フゲン兄さんは乗り気じゃないんですか?」

「兄貴でいいよ、アルム。オレには敬語もいらん」

「ふーん、そうなんだフゲン兄貴」


 フゲンはしゃがんでアルムの瞳をまっすぐ見つめる。


「……正直乗り気じゃない、オレは教えるなんて(がら)じゃねーから。だいたい"教えることで自分も学べる"とか、親父どのも考え方がいちいち古臭い」

「そうなの?」

「んなことしなくても覚える時ゃ覚えるし、覚えない時は覚えられんて。そう思わねえ?」

「おぼえられなかった時ないからわかんない」



 アルムの言葉に、フゲンはしばし呆気に取られてから笑う。


「だっはっはははは! 生意気にも言うじゃねーか。いいぞアルム、気に入った。どのみち親父どのが教える時になんも身についてなきゃ、オレが怒られるしな……教えてやるよ」

「よっしゃー」

「まあ今はすいすい覚えられても、いずれ壁にぶち当たることもあろうよ」

「フゲン兄貴も?」


 そう問われたフゲンはそのまま尻を床につけて、あぐらをかいて座る。


「……まぁな。長男のテンゲン兄に比べりゃ、オレなんざ大したことねぇ」

「へぇ~」

「時にはゆる~く生きるこった、根詰(こんつ)めても良いことなんざ無ェからな」

「おぼえとくー」

「うしっ、そんじゃ教えっか」


 勢いよく──音も無く──フゲンはその場にスクッと立ち上がった。



霧縫(きりぬい)は今でこそ武士だけどよ、元々は忍びの家系──霧を縫うように何事をも成す、霧のように捉えどころなく変幻自在たれ──その土台は変わってないらしく、霧縫流として受け継がれてる。今の基本は忍術・体術・投擲術・小太刀・大刀で、過去には暗器や槍や薙刀に、弓から鉄砲、居合・徒手拳術・柔術(やわら)・介者剣術・水中闘法、南州(シーハイ)拳法や馬術に至るまで……とにかく色んなことを試して、動きや心得など必要な部分だけを厳選し取り入れてきた実戦性が霧縫流の(きも)さ。変わり種だと鉄鎖術やら糸だのも使ったって話さ」

「おぉ~~~いいとこどり?」

「節操がないとも言えるがな。とりあえず、まずは全ての基本となる"体術"から覚えてもらうかね」


 素早く──音も無く──フゲンは三角形を(えが)くように反復跳びを何度も繰り返す。

 キュッと床が鳴ったところで中断し、フゲンはアルムへと問いかける。


「っと、失敗。どうだアルム、なんか気付いたか?」

「音!」

「察しがいいなぁ義弟(きょうだい)、今のは"霧影脚(むえいきゃく)"っつー歩法の一種でな。影に(まぎ)れるようなすり足と体捌(たいさば)きで、音を発さず、霧を散らさない体の動かし方だ」

「むえーきゃく」


 アルムはそう口にして、同じように動きを真似するも、床を踏む音や衣擦れの音が消えることはない。



「すぐにとはいかんわな。大事なのは刻み(・・)を意識するこった」

「きざみ?」

「霧縫流では全ての動きの基本となる考え方を"霧刻(きりきざ)む"と言う。動きを霧粒のように"刻み"として一つ一つ分解・洗練させ、再構成して一繋ぎに完成させるってこった」

「おーーー?」

「たとえば拳を打つ流れ一つとっても──」


 フゲンはその場で正拳突きを放ってから、まったく同じ動きを今度はゆっくりと──踏み足から腕まで右拳を前へと突き出すのを繰り返した。


「最初はじっくりと意識しながら動かせ、地面を踏んだ時の足と体と腕の位置、体軸から視線まで、全身をくまなく一つずつ刻んでくんだ。そうしていく内に最適な流れが自然になるように、体にも刻み込むっつーわけだな」

「うごきを、きざむ……ちいさな星をいしきするってことだ!」

「……??」


 フゲンはアルムの言葉に疑問符が浮かぶが、しかし子供の言うことをいちいち聞いていても話の腰が折られるだけなので気にせず続ける。


「とりあえず陽が落ちるまでは、構えてから拳を打ち込むまでの刻みを何度も何度も──それだけをずっとやってな。すぐに身に付くもんじゃねーからよ、習慣にするんだ」

「……フゲン兄貴はなにするの?」

「最初だからな、一応は見といてやるよ」

「さんきゅー兄貴」

「さ、んきゆ……?」

「たいりく語? で、ありがとうっていみ」

「は~~~ん、変な響きだな」





 夜の山は、まるで別の世界だった。

 木々は黒くそびえ、風の音が獣の唸りに聞こえる。"片割れ星(カノン)"は薄雲に隠れ、地面を照らすものはわずかな星明かりのみ。


「怖いか? アルム」


 暗闇に溶けていた声の主──霧縫家の当主であるドウゲンが──音も無く──姿を現す。


「……? 全然?」

「まったくお前は豪胆というかなんというか……ノエ、お前は?」

「わたしは少しこわいです、父上」


 アルムの隣に立っているノエの言葉に、ドウゲンは静かにうなずく。


「それで良い。恐怖を知る者はよくよく生き延びる。恐れ知らずでも、怖れすぎても、どちらも足りぬ及ばぬ──いずれ待ちゆくは()よ」


 忍びとしてだけではなく、いざという時に必要な生存技術──水と寝床の確保、野草知識、狩猟・罠・解体・保存、防寒や道具の製作・加工、応急処置、天候や星読みから方角を知る(すべ)など。

 ドウゲンは身をもって、まだまだ幼き二人に自然の中で教え込み、覚えさせる。



「ではまず──」


 ドウゲンは懐刀を夜闇の奥へと吸い込ませた。

 少し遅れてから、わずかに木に刺さる音がアルムとノエの耳に届く。


「ノエ、まずは手本を見せよ」

「はい、父上」


 ノエは腰を低くして、視線を定めてから、すっと地面を蹴った。

 獲物を狙う山猫のようにしなやかに、音を立てず、前傾姿勢で駆け抜け、闇の中へと消える。


 それから数拍置いてより、飛んできた白刃をドウゲンは難なく掴み取る。



「よし。だいぶ慣れてきたな、ノエ」

「ありがとうございます」


 音も気配も希薄なまま、姉弟子が戻って来るのをアルムは観察していた。


「アルムよ、今ノエがしたことがわかったか?」

「えっと……しずかに刃を見つけて、なげかえした?」

「間違いではないが、本質はそこではない。重要なのはそこまでの過程だ。霧を縫うとは──気配を殺しすぎず、環境に溶け込むこと。夜目を働かせ、音を聴き、匂い嗅ぎ分け、空気を肌で感じ、最も自然な形で重ね、己の存在そのものを同化させるのだ」

「ほーーーノエ、すごい」

「えっへん」


 褒められたノエは少女らしく振る舞い、アルムの肩をぽんぽんと叩いた。


「アルム、まずはやってみろ」


 ドウゲンが再び懐刀を投げる──アルムは刺さる音に耳を澄まし、風の流れを感じる。

 発する音を最小限に、目を凝らして、大きく鼻から深呼吸しながら、動きを刻んで夜闇を疾駆(かけ)る。



 しかし探せども探せども見つからず、元いた場所もわからなくなったところで、いつの間にかドウゲンとノエが近くに立っていた。


「見つけられませんでした、すみません師父」

「最初はこんなものだろう。先ほどよりも、いささか遠くに投げすぎたようだしな」


 ドウゲンは既に回収していた懐刀を鞘へと納める。


「ノエ、己をどのように想像している?」

「猫ちゃん……いえ、猫です父上」


 ノエがそう口にすると、ドウゲンは腕組みうなずいた。


「うむ、模倣すべきものがあると覚えも早い。どうだ? アルム」

「えぇ~~~っと、おれはおれ! です」

「……それでは話が進まぬ」

「じゃぁ──星がいい、流れ星とか!」


 大きく腕を伸ばしてアルムが天上を指差すと、まるで計ったかのように流星が瞬いた。



「生物ですらないとは……まあいい。正直なところ、フゲンなどよりはよっぽど覚えも早いようだからな。今しばらくは好きにやれ」


 夜風が肌を撫で、遠くから虫の声が響く。


「おす!」


 その返事を追うように、またひとつ流れ星が尾を引いたのだった。

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