#01 山大同盟
「ゼンノスケ、今宵歴史が変わる。ゆめゆめ忘るることなかれ」
「はい父上。重々承知しております」
僕は父の言葉と視線を受け止め、不退転の覚悟をもった同志たちと共に、"沢田屋"と書かれた看板の店へと踏み入った。
そこは志士たちと懇意にしている酒造商家の1つで、その大きな屋敷は会合なども含め、密かに便宜を図ってくれている場所であった。
「いらっしゃいませ。方々は二階にてお待ちです」
雑用係と思しき下男が現れると、こちらの姿を見てすぐに察したようだった。
父はゆっくりと値踏みするように問いかける。
「そうか、主人はどうした」
「今は所用で手が離せないとのことで、わたくしめが皆様の応対を仰せつかっております。お呼びいたしますか?」
「いや、帰りの時で構わぬ。すぐに案内せい」
「かしこまりました」
下男は行灯を持ち出してくると、中に入れた蝋燭に火をつけて先導する。
「足元にお気をつけください」
父と自分の後ろに連れ立った、合計10人ほどの男たちは静かに階段を登っていく。
ギシリと踏みしめる音だけが響く中で、僕は音を立てずに深呼吸をして気を落ち着ける。
2階奥の客間の前まで来たところで、下男は襖をトンットンッと叩いてから、ゆっくりと開いた。
「御一行様、お着きです」
広い客間に先んじていた者たちの視線が、自分らへと一斉に向けられる。
「どうぞこちらもお使いください。他に御用はありましたら、いつでもお申し付けを」
行灯を下男から受け取ったところで、自分たちは中へと足を踏み入れた。
「ごゆるりと」
襖が閉められ、下男が階段を降りていく音を確認したところで、奥に座している男たちが一斉に立ち上がった。
「大隅国主が名代──"南郷ミチツネ"」
そう名乗った人物は、背後に連れ立った屈強な男たちよりも頭一つ抜けた2メートル近い巨躯で一礼する。
「山城国主が名代──"御幌ヨシツグ"」
父である御幌ヨシツグは、"神言"が一字ずつ刻まれた数珠をジャラリと鳴らし、礼儀に則った一礼を返した。
代表である2人がそれぞれ突き合わせるように座ったところで、自分らも相手方も、残った者たちは揃って静かに座る。
「さて南郷どの、仔細については既に通達しておる次第ではあるが」
「こっちの"血判状"はこん通り」
南郷ミチツネは後ろに控えた若い男から受け取った紙巻物を、バッと開いて両陣営の真ん中に広げる。
同じように父・御幌ヨシツグも、懐から取り出した血判状を並べた。
そこには、この場にいる全員に加えて、関わるもの全員の自筆名と、自らの血でもって捺された指印が記されている。
山城ノ国と大隅ノ国、この二国が結ぶことによる"山大同盟"によって、歴史が大きく変わるのだ。
「……む? 御幌どん、こん苗字はおんなじかい」
大隅訛りが強い南郷ミチツネは、御幌ヨシツグの名と隣り合わせの署名を見て疑問を呈す。
「えぇ、これなるは──我が息子です」
「御幌家が嫡子、御幌ゼンノスケと申します」
僕はその場にて、両手をついた座礼をした。
「親子揃ってか。顔は細いが、肉体はきっちり鍛えちょる。逞しか男のようじゃ」
「っはは……恐縮です」
己の二倍以上は筋骨に恵まれている巨躯にそう言われて、僕としては苦笑を漏らすしかなかった。
記された内容を確認した南郷ミチツネは、太い指先で丁寧に血判状を巻き直していく。
「──血判状に問題は無か。こいでオイたちば一心同体というわけよ」
「こちらも確認いたした、よろしくお願い申し上げる」
全員が雁首を揃えて突き合わせ、意志の堅さを互いに認識し合う。
世を変えて歴史に名を遺すだけのことを起こさんとする、20人の益荒男たち。
「"飛騨幕府"──泰平の世を長く保ったことこそ評価すれ……既にかつての権勢は大いに薄れ、もはや力なき君主となりつつある」
「汚染が弱化しつつあるという話もある。南州より侵攻があった時に、土地を守れるか? 旗頭となれるのか? 否ッ」
「大陸にしても同じ。海を越えて侵略されたとして、抗し得るだけの武力はもはや無きに等しい」
「今こそ強き者たちの手で、富国すべしっ」
「そう、我らこそが新たな第一陣にして急先鋒。今こそ結束を、鉄よりも硬き結束を」
「南州なぞ、大陸なぞ、幕府なんぞ何するものぞ」
「我らで真なる尽忠報国を知らしめんっ」
「先の乱において、散っていった者たちの弔いをッ」
気運が高まってきたところで──各人、声は落としてはいるものの──鬱憤と共に、時勢についての想いの丈を荒々しく吐き捨てていく。
自分も何を言うべきか迷っていたところで南郷ミチツネが立ち上がり、その場の全員の声が止まる。
「良か気概じゃ」
南郷ミチツネはそう言うと部屋の端にあった大きめの瓢箪を持ち出し、ドカッと再び座り込む。
「オイば故郷の酒よ──」
「これはこれは南郷どの、かたじけない。盃は……無粋ですかな」
「おう」
全員で飲むには少なく、精々が一口ずつといったところだろう。
わざわざ器を下男に持ってこさせるまでもなく、回して飲んでこそ結束も深まるというもの。
「酒は血潮じゃ。腹ん中ァ叩き込むっど、同じ血潮ば流るる家族も同然──迷いも覚悟もすべて飲み干せぃ」
グイッと体ごと後ろに傾けながら、南郷ミチツネが飲み鳴らした喉が静寂に響く。
そのまま黙って酒瓢箪を差し出したのを、父・御幌ヨシツグは受け取ると、同じように一息分を胃へと流し込んだ。
「ゼンノスケ──」
「はい、父上」
僕は父から酒瓢箪を受け取る。まだまだずっしりとした酒の重みが残るそれを、口に含もうとした瞬間──
ゴンッゴンッと強めに襖が叩かれたことで中断し、音の出所へと全員の視線が集まる。
「火急にて失礼いたします、"旅客改め"でございます」
わずかに開けられた襖の隙間より伝えられた下男の言葉に、皆にこれ以上ない緊張が走る。
「こんな夜半に改めぇ? 示し合わせたようじゃあ。なんぜ、ばれた……? こん中に間諜ばおるんかあ」
ギョロリとした南郷ミチツネの瞳が、その場の全員を威圧するように動く。
一方で父・御幌ヨシツグは下男へと、冷静に襖越しに問うた。
「下男、どこの手の者かわかるか」
「今は主人が対応しておりますが……"紅炎一座"と聞こえました」
その名を聞いた僕は、記憶の中から思い当たった部分を口にする。
「"紅炎一座"──たしか棗家の下に、そのようなのがいた気が……」
「棗ェ? あんの将軍家ば、腰ぎんちゃくの手の者か」
最近は耳にしなくなったが、数年前まではかなり暴れていて隣国にまで名が通っていた。
「特に焼き討ちを得意とする連中だったと記憶しています」
「なるほどぉ、じゃっどん返り討ちにして突破しても良か。裏切り者探しは後回しじゃあ」
南郷ミチツネは今にも白刃を抜かんばかりにいきり立つが、父の考えは違うようだった。
「──おい下男、隠し戸や逃げ穴はあるか」
「もちろんございます」
こうした事態に備えていてこそ、志士たちが集まる場所として利用されるものだ。
「なれば──」
僕は父と無言でうなずき合った。
血気盛んな南郷ミチツネとしては不満ではあろうが、後に行われる大義の為には──父に従うのが正しい。
「しかし皆様方に、その必要はないかと」
「……なんだと? 下男、それはどういう──」
姿を見せて部屋に踏み入った下男は、襖をパタンと閉じて塞ぐように立った。
「"紅炎一座"なんて来ていないし、裏切り者もおりませぬ」
「きさん、どういうつもりじゃ?」
「こういうつもりさ」
すると下男は──どこからともなく──手に持っていた"天狗面"をかぶる。
「……"天狗面"、だと? よもや、キサマ"御庭番"か!?」
「ご明察。飛騨幕府、"聖威大将軍"直轄──公儀御庭番。御用改めである、手向かいすれば容赦なく斬り捨てる」