3.おもちゃ epi.9:わがまま⑤
柊様の部屋のドアをノックしてみるが、案の定返事はない。
すると、中からゴトッと何かが勢いよく床に落ちる音が聞こえ、柊様が倒れたのかと思いドアを開けた。
「柊様?」
柊様はベッドの上でゼーゼーしながらぐったりしていた。
ベッドの脇にある引き出しから何かを取り出そうとして落としてしまったらしい。
落ちていた箱を開けると、喘息用の吸入器と薬が入っていた。
「ゲホッ⋯なに、してんの」
息苦しそうに柊様が言った。
「今、吸入器やりますから」
昔妹が重い喘息で、よく薬の吸入を手伝っていた経験がある。
(柊様も喘息だったんだ。)
思い出せばお風呂場のときも咳き込んでいたし、今日は運動していて大丈夫だったのか心配になった。
柊様の体を起こし、ゆっくり吸入器を口に当てて背中を撫でる。
「ゆっくり吸ってくださいね。少しずつ楽になりますから、大丈夫です。」
柊様の顔は少し虚ろで、息が浅かった。
わたしに言い返すこともできないくらい苦しい状態だったようで、少し弱々しく背中が小さく見えた。
——⋯
「少し落ち着きましたか?」
「⋯ああ。」
「よかった⋯これ飲んでください。喉があったまりますから」
まだほんのり温かいはちみつレモンをそっと手渡すと、柊様は黙ったまま素直に口に運んだ。
てっきり『いらない』と冷たくはね返されると思っていたので、素直に受け入れてくれたことが思いがけず、嬉しかった。
「⋯なんで」
突然柊様が尋ねてくる。
「え?」
「ほっとけばよかったのに」
今までの意地悪のことを気にしてるのか、手伝ったことを不思議に感じているようだった。
「苦しそうな人を前にそんなこと出来ませんよ。それに、柊様に何かあったらわたしがクビになります。」
ただ当然の務めだと淡々と言うと、彼は目を丸くしたあと、ほんのり頬をゆるめて笑った。
初めてふわっと笑う顔を見て、胸が少しきゅっと締め付けられた。
「汗かきましたよね、タオルとお着替えお持ちします⋯!」
初めて向けられた笑顔に胸が熱くなり、恥ずかしさを紛らわすように足早に部屋をあとにした。
気持ちをなんとか落ち着けながら、お湯とタオルを用意して戻ると
柊様はもう静かに眠りについていた。
そっと息をひそめながら、温かいタオルで顔を拭いていると、まだ少し息が苦しいのか
彼は苦しげに眉を寄せて眠っている。
その顔がなんだか痛ましくて、気がつくとわたしはそっと彼の頭に手を伸ばし、優しく撫でていた。
すると不意にその腕を掴まれ、驚く間もなく引き寄せられ
そのままベッドに倒れ込み、ぐっと彼の腕に包まれてしまった。
「ちょっ!」
息が止まりそうなほど胸が跳ね上がる。
顔を上げると柊様は眠ったままだった。
寝ぼけているのか、わたしを抱きしめる腕に力を込めるばかりで抜け出すのが難しい。
ようやく呼吸が落ち着いて眠りについてくれたのに、もし今起こしてしまったらまたあの鋭い目で怒られるかもしれない。
そんな恐怖が胸をかすめ、わたしはじっと息を殺しながら、彼が寝返りを打つ隙を待つことにした。
柊様の呼吸は、まだ少しヒューヒューと気管からの音が混ざって聞こえる。
彼の体温が暖かくて、久しぶりに感じる人肌の安心感で、いつの間にかわたしも眠りに落ちてしまっていた。