3.おもちゃ epi.7:わがまま③
柊様の顔が近づいてくると同時に、心臓の鼓動が速まる。
すると開いたままのドアの向こうから、柊様のご友人たちがこちらに向かってくる声がした。
「あのっ柊様、みなさんいらっしゃいます⋯!」
「だから?」
悪戯っぽい微笑をしながら、腕を掴む力を緩めることはない。退く気はないようだ⋯。
部屋の外の話し声が近づいてくるのに、また彼の顔が近づいてくる。
この状況を見られてしまう焦りと、悪いことをしているような罪悪感で心臓の音が頭に響く。
さらに足音が大きく聞こえ、思わずぎゅっと目を閉じた。
「⋯っくくく」
「⋯へ⋯?」
唇が触れそうになった瞬間、顔が離れた。
唖然としているわたしを見て、彼はさらに吹き出すように笑った。
「ほんとにされると思った?くくく⋯アホ面やべー」
肩を震わせながら笑っている。
またからかわれたのだと気づき、一気に赤面しながら立ち上がる。
「お、柊起きてんじゃん。コート行こうぜー」
ちょうどのタイミングで友人たちが部屋に入ってきた。
間一髪のところであの状況を見られずに済んだことに安堵しながらも、まだ顔の熱が収まらない。
「しっ失礼します」
下を向きながら早足で逃げるようにその場を離れた。
——⋯
(危なかったぁ)
仕事着に着替え、天音さんと買ってきたものを整理しながら溜息をつく。
「あら、瑠李ちゃん疲れちゃいましたか?」
下を向くわたしの顔を覗き込むように天音さんが尋ねる。
「いえ!大丈夫です!」
「よかった!じゃあ、これが終わったら、中庭のコートまでお茶を運ぶのお願いしてもいいですか?」
「中庭のコート⋯?」
部屋に迎えに来た人もコートに誘っていた。
「まだ行ったことはないですかね?中庭にバスケットボールとテニス用のコートがあるんです。柊様のご友人がいらっしゃる時は大体そちらで過ごしてて」
やたらと広い屋敷だとは思っていたけど、中庭に球技用コートがあるほどとは思わなかった。
お茶を持ち、天音さんに教えてもらった方向を歩いているとボールが弾む音が聞こえた。
2対1のゲーム中、茉白さんは側のベンチに腰掛けながらゲームを観ていた。
「冷たいお茶と昼食をお持ちしました!」
「あ、瑠李さん、ありがとうございます。」
茉白さんが座っているベンチ横のテーブルにお茶の用意をしていると
ゲームを終えたご友人2人もベンチに集まってきた。
1人コートに残っていた柊様と一瞬目が合ったが、気まずくなってすぐに目を逸らしてしまった。
「あざっすー!腹減った〜、あ、さっき玄関にいた人?」
今日一番最初に挨拶してきた柊様のご友人が聞いてきた。
柊様の部屋でコートに誘っていたのも、この人だった。
「あ、はい。申し遅れました。瑠李です。」
「俺、颯太!ルリちゃんよろしく〜!あと匠と茉白」
大柄の人は匠さんという。
みんな柊様の同級生で、匠さんは柊様と同じバスケ部だと教えてくれた。
匠さんのお兄さんがわたしと同じ高校で、一学年上のバスケ部だと知り驚いた。
そのお兄さんは3年のエースで顔を知っていたので、匠さんに親近感が沸いて嬉しかった。
柊様の友人だと聞いた時、同じように意地悪な人たちなのかと身構えていたが
みんな素直で親しみやすくて安心した。
「じゃあ、瑠李さんは私たちの1つ先輩ですね」
「そっか!すいません、タメ口使ってました!」
颯太さんが謝っていたので、そんな細かいことを気にしてくれることに感動してしまった。
「いえいえ!気にしないでください。気軽な方で話していただいて構いませんよ」
学年は先輩でも、ここではただのメイドなのだ。
むしろタメ口をきいてもらった方が楽に感じる。
「ルリちゃん⋯いい人〜。うちの学校上下関係厳しいからさ〜」
「それは、気を使っちゃいますね。」
しばらく雑談していると、ふいに突風が吹いて付けていたヘッドドレスが飛びかけた。
その瞬間颯太さんの手がすっと伸びて、頭を包むように抑えて助けてくれた。
「す、すみません。助かりました。ありがとう⋯!?」
ガシャンッ──
突然ボールがテーブルに激突し、カップやお皿が割れる音がコートに響いた。
ボールが当たった反動でカップのお茶が颯太さんとわたしにかかってしまったが、
ベンチに座っていた茉白さんは、匠さんが壁になってくれたようで無事だった。
「うわっなにしてんだよ〜柊」
颯太さんが呆れた顔で言う。
「あーごめん。風でコントロールミスったわ」
半笑いでこちらに向かってくる彼の目は、わたしにひっそり鋭い視線を送っていた。
颯太さんは気づいていないようで、服が汚れてしまったことを悲しんでいた。
「今、拭くものと替えの服がないか見てきます」
屋敷に戻ろうとすると、柊様が目の前に立ち
「さっきから何サボってんの」
そう言ってティーポットを持ち傾けると、残っていた冷たいお茶が容赦なくわたしの頭に降りかかった。
「!?」
「柊!」
匠さんが咄嗟にやりすぎだと言わんばかりに名前を呼んだ。
わたしの髪からポタポタと紅茶が滴り落ち、周囲が静まり返っている。
「さっさと片付けてね。」
そう言うと、みんなを連れてコートを後にして行ってしまった。
人前でお茶をかけられ放心状態でいると、後ろから颯太さんや茉白さんが柊様をなだめるようなやり取りが聞こえる。
理不尽に八つ当たりをされることには慣れたと思っていたのに、
久しぶりに対等に話をしてくれた颯太さんたちに油断をしてしまったのだろうか。
堪えていた涙が、そっとこぼれた。




