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第七話 藍染めの服

「ナタリー、これとかどう思う?」

「なんでもいいんじゃありませんか?ジン殿の変装用なのですから」

「わからないから聞いてるの。ジンは体格も良いし、それに変な服を着せるわけにはいかないでしょ」



 数日後、私とナタリーはジンの外出用の服を買いにセノーテの街に来ていた。


 最初は屋敷にあるお父様の服を着てもらうことも考えたけど、人に見られたときにジンの身分を聞かれたら困るから念の為やめておいた。


 ほどよく小綺麗で、かつ庶民的なものといえば街にしか売っていないから、ジンの正体を知るナタリーに付き添ってもらっているというわけだ。



「背丈はエドワードと同じくらいだと思うんだけど……」

「これはこれはお嬢様、ナタリー殿、ご挨拶が遅れて申し訳ございません」



 イマイチ気が乗らないナタリーと話していると、初老の痩せた男性が私たちに声をかけてきた。


 

「スミス殿、お久しぶりにございます。お嬢様、こちらはクローデット領内の綿織物の商工会長スミス殿です」

「はじめまして、今日はよろしくお願いします」

「勿論でございます。えーっと、ナタリー殿のご長男のお召し物ということでよろしかったですかな」



 丸眼鏡をくいっと上げて商売人らしい笑みを浮かべるスミス殿はこの一帯の繊維業の重鎮。製造と販売を一手に担う彼の店には、他の地方からも遥々客が押し寄せるという。


 そしてここはその本店であり、アトリエというわけだ。



「えぇ、長く勤めてくれているのでこちらからプレゼントしようかと」



 ナタリーには私たちと同じ年頃の息子がいる。ジンの服を買う口実にはちょうどよかった。


 

「ほほほ、それはよろしいですな。どのようなものをお探しで?」

「少し難しいかもしれないんだけど、普段着にもフォーマルにも着れる動きやすい服はある?」

「ふむ、それなら近いものをウィルが作っていたような……ウィル!いるかい、おいで!」



 スミス殿が呼びかけると、二階からドタバタと騒がしい足音が聞こえてきた。



「ウィール!早く!お前がこの前作ってたやつを持っておいで!」

「はい!今すぐ!」



 まだ高い少年の声が階段に響く。

 そうして重い扉を開けて現れたのは、まだ初等教育を終えたばかりであろうほんの少年だった。



「はじめまして、お嬢様!ウィルです」

「お嬢様、この子はウィル。服を作り始めたのは最近ですが、妙に面白い服を作る子でね。若い人からは結構評判なんですよ」

「はじめましてウィル」



 ブルネットの癖毛にそばかすのチャーミングな少年、ウィルは両手に抱えた大きな箱を丁寧にテーブルに置いた。


 スミス殿が目をかけるほどの才能がある少年。果たしてどんな服を作ったのだろうか。



「まだ作り立てだからみんなみたいに上手くないんだけど」

「これ、ウィル。売り物を下げた説明をして買ってくれる客はおらんと何度も言っとるだろう」

「どんな服か気になってきた。ね、ナタリー」

「えへへ……それじゃあ開けるね」



 気恥ずかしそうにウィルが箱を開ける。現れたのは丁寧に縫製された上下セットの衣服。少し大きめのサイズでこれならジンでも問題なく着ることができそうだ。



「これは藍で染めてて、匂いとかを抑えてくれるから外で活動する人に良いと思って作ったんだ。あんまり動きやすさを重視しすぎると作業着っぽくなっちゃうから、形は敢えて少し窮屈にしてあるよ。そういうの平気な人?」

「全然平気だと思う、むしろこのくらいの方が似合うんじゃないかな」



 ジンは街で出会ったときは外套を羽織っていたけど、外套を脱ぐと貴族らしいスマートな型の服を身につけていた。

 それがやけに様になるからあまりフォーマルな服装は避けた方が良いと思っていたけど、この服は染料やステッチに工夫がされているからか随分とカジュアルな印象になっていた。



「ゆるく着たいときはこのまま合わせてくれたらいいし、ちょっと畏まりたいならウエストコートをホワイトとかで合わせてくれたらいいと思う」

「素敵!あなた商売上手なのね」

「ふふ、そうでしょう。この子は私の一番弟子ですから」



 きっとジンはこれを見事に着こなすだろう。値段だって予算の範囲内だし、ここで決めない理由がなかった。


 ナタリーもこれならまぁ、と納得している様子だし、私はウィルに目線を合わせた。



「ウィル、あなたの服ってとっても素敵。この一式をいただける?」

「勿論です!ありがとうございます!」



 それじゃあ包装してきますね!と元気よく駆け出したウィルに笑みが溢れる。本当に嬉しそうに喜んでくれるものだから、こちらまで気分が良くなる。



「こんな素晴らしい職人がいたなんて知らなかった。スミス殿、これからの彼の作品が楽しみでしょう」

「えぇ、それはもう。彼が望むならいくらでも服を作らせたいくらいです」



 スミス殿は商才のあるやり手の経営者だが、彼の原動力は服飾への愛情だと聞く。職人を搾取する経営者が多い中、彼は職人を同志として扱い厚遇することで更なる文化の発展を望んでいるのだ。



「皆んながスミス殿とウィルのような関係ならどれだけ良いか……」

「それは無理でしょうな。私ほどセンスのある男はなかなかおりませんから。そして、ウィルほど真摯に仕事に打ち込む人間はもっと少ない」

「そういえば、以前私がお嬢様の使いでここに来たときはウィルはまだ居ませんでしたね。いつからウィルはここに?」

「半年ほど前からです。いやはや、あの子は本当に立派だ」



 スミス殿は丸眼鏡を外すと、ウィルのいた二階を感慨深そうに見上げた。



「あの子は五人兄弟の長男でね、元々はうちの従業員の息子なんです。彼の父親も働き者でしたが、あの子はそれ以上だ。戦争で身体が不自由になった父親と身体の弱い母親に楽をさせてやろうと、大黒柱として家族を養ってる」

「まだ幼いのに立派だこと。うちの息子とはえらい違いだわ」

「同じような境遇の若者は沢山おります。だからあの子の作る服は彼らに響くのです」



 スミス殿の言う通り、ウィルと同じような子どもたちは沢山いる。もっと酷い境遇の子はもっと沢山いる。


 才能があって、スミス殿という良い大人に出会えたウィルはその中でも幸運な方だろう。



「だから私は……おや、ウィルが戻ってきましたな」

「お嬢様!お待たせしました。お屋敷までお持ちいたします!」

「いいの?忙しいでしょう?」

「行かせてやってください。お嬢様のお眼鏡にかなうなんて名誉なことはそうそうありませんから」

「それじゃあお言葉に甘えて。ありがとうございましたスミス殿、ウィル。また来ます」

「いつでもお待ちしております」



 両手いっぱいに荷物を抱えるウィルと共に店を出て馬車に乗り込む。緊張した面持ちのウィルを見送るスミス殿の眼差しは優しくて、私は微笑ましい気持ちで馬車の窓から手を振った。



「それでは帰りましょうか、お嬢様」



 ゆっくりと馬車が動き始める。

 それを険しい目で見つめる存在に、私はまだ気がついていなかった。

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