第六話 税金
「ふぅ、疲れたぁ」
書類から一旦目を離してグッと伸びをする。
目の前にあるのは中央の政府から来ている調査の依頼書。領主の仕事というとこの間のような住人のお悩み解決のイメージが強いかもしれないが、実際殆どは書類仕事だ。
「そろそろ夕食の時間かな」
ジンが屋敷に来て数日、元々お父様の仕事を少しずつ引き継いでいた私は本格的に領主としての仕事を始めつつあった。
今見ているのは税の徴収に関する調査。作物の収穫量に課税していた頃と違い、農業でも工業でも雇われの労働者が増えている昨今は収入の把握が課税する上で必須になっている。
「徴税率が基準に満たない地方には予算を減額せざるを得ないので、早急に改善策を講じるように、か」
「お嬢様、失礼します。夕食の準備が整いましたよ」
「ありがとうナタリー、ちょうどキリのいいところだったの」
こういう難しい問題はお腹を満たしてから考えるに限る。執務室を出てダイニングルームに向かうと、既にジンがテーブルの向かいに座っていた。
「ジン、もう来てたの」
「当たり前だろ、飯食って寝る以外やることがないんだからさ」
「それもそっか」
ジンは早くも屋敷での引きこもり生活に飽きてきているらしい。ジンの正体を知る数少ない使用人に聞いたところでは、朝はアグストリア式の訓練をしてからブランチ、その後は夕食まで使用人を手伝ったり部屋に戻ったりと皇弟らしくない日々を過ごしているとか。
「なぁイヴ、今度街に行くなら着いて行かせてくれよ。暇つぶしの本が欲しくてさ」
「本ならうちの第一書庫にあるのを読んだら?読まれて困るようなものはないし、好きに入っていいから」
「……わかってないな、本は言い訳だよ。外の空気が吸いたいんだ」
「それなら庭に出たら吸えるでしょ」
ジンの気持ちもわかる。変わり映えのない日々は退屈で飼い殺しにされているようだろう。かといって簡単に屋敷から出すわけにはいかないんだけど。
カブのポタージュを味わいながら、何かいい暇つぶしはないかと考える。
「ジンって趣味とかあるの?」
「んー、まぁ色々やってみたけど才能のあるやつはなかったな」
「才能なんて趣味に関係ないでしょ。私はガーデニングが好き、下手くそだから庭師の管理してる場所は立ち入り禁止にされてるけど」
ジンに屋敷から出られるのは困るけど、罪人でもないのに閉じ込めるのもよろしくない。
ガーデニング……そうだ、自然の中なら人目にもつきにくいはず。
「ジン、外に出たいなら今度一緒に裏の泉に行かない?」
「それは有り難いけど……この屋敷の裏に泉なんてあったんだ」
「私も行ったことはないんだけど、屋敷の裏山の中腹にあるらしいの。うちの屋敷で使ってる水は全部そこから来てるってお父様が言ってたから間違いないと思う」
あの場所は水質の管理の関係もあって住人には知られていない。知っていたとしても泉に向かう道中はうちの敷地に入らないといけないから、余程の命知らずでもなければ人が立ち入ることはあり得ない。
「それじゃあ行こうよ、今週は無理だろうから来週とかどう?」
「わかった、来週ね。私も少しリフレッシュしたいし、息抜きにちょうどいいかも」
「領主様のお仕事も大変そうだねぇ。あ、別に詮索してるわけじゃないから」
慌てて付け加えるジンがおかしくてクスリと笑ってしまう。最初は帝国の要人だし掴めない人だと思ったけど、彼は意外と普通の感性の人なのかもしれない。
「わかってる。それに今やってる仕事は別に機密度も高くないし、ある程度は公表されるものだから詮索されても全然平気」
「そう?それじゃあ聞かせてもらおうかな」
「聞いてくれる?あんまりこういう話は人にできないから困ってたの」
「俺でよければ喜んで。って、こんなこと言ったらエドワードに睨まれるな」
もしかすると良いアイデアがもらえるかもしれないし、ジンにとっても暇つぶしになるだろう。
「実は徴税のことで悩んでて、アグストリアはどうしてるのか話せる範囲で教えてほしいの」
「どこも偉い人の悩みは同じだな。うちの周りの奴らもしょっちゅう同じような話をしてたよ」
「昔は小麦とかに課税してたでしょ。だから畑の面積とか例年の収穫量で大体の目星はついてたらしいんだけど、労働者が増え始めて収入の把握が難しくなっちゃって」
「ノードの雇用主は給与の報告書とか出さないの?」
「出してもらってるけど、それが問題なの」
基本的には雇用主が労働者に支払った給料を我々に報告して、その情報を元に課税していく手筈となっている。
しかしその報告の信憑性が今問題になっているのだ。
「従業員の給与を実際よりも多く申告すれば、雇用主の収入から経費として引かれる額が増えるから雇用主の利益が少なくなるでしょ。そうなると雇用主は実際よりも少ない収入に対して課税されるから、脱税の抜け道にされてるみたいなの」
「過少申告ってやつだな。結果的に貧しい労働者の税負担が重くなって、富裕層が蓄えを増やすってわけだ」
「そう!そうなの。労働者から多く徴税しても結果的に消費が落ち込むだけだし、富裕層からきっちり徴収できたらいいんだけど……」
労働者だって馬鹿じゃない、雇用主が不正をしていることに気づいているからなかなか納税しようとしないのだ。
役人に取り立てに行かせたところで、彼らに追加で払う給料で取り立てた分は消えてしまう。滞納というのはなかなか一筋縄ではいかない問題だ。
「残念だけどそれはアグストリアも一緒だな。税務官が必死で追い回してるけどあの手この手で抜け道を見つけてくる。いたちごっこだよ」
「やっぱりどこもそうだよね。そんな簡単に解決できる話じゃないか」
せめて雇用主にも税負担を折半できる言い訳が見つかればいいんだけど現実は甘くない。
来年度のうちの予算は減額かな、覚悟しとかなきゃ。
「悩みってのは尽きないよな。俺もそうだよ」
「ジンはどんな悩みがあるの?」
「……それはもう少し仲良くなってから教えてやるよ」
「そ、そう?じゃあ遠慮しとくわ」
はぐらかされたのか揶揄われているのかわからないけど、深く聞かないほうが良さそうなことに変わりはない。
小さくパンをちぎって、その柔らかな甘みを噛み締める。
今の間に堪能しておこう。来年からは多分もう少し固いパンにしないといけないだろうから。