第十七話 孤児院
「えぇ!来れなくなった!?」
イーディスが来るまであと数日に迫ったある日、イーディスの実家であるマクラーレン伯爵家から使いの者が来た。
「申し訳ございません!イーディスお嬢様はフィアンセから風邪を貰ってしまったようでして、直前で大変恐縮なのですが来月に延期にできないか、と……」
「それは全然構わないけれど、イーディスの体調は大丈夫なの?」
「はい、既に快方に向かわれています」
なんと、イーディスは体調が優れないらしい。確かに昔からこの時期になったらよく鼻水を流していたし、季節の変わり目だから体も弱っていたのだろう。
来月にはもう少し気候も安定しているだろうから、楽しみが延びる分には全然構わない。
「あまり気にしないでとイーディスに伝えておいてくれる?体調が第一だから」
「お気遣い痛み入ります。しかとお嬢様にお伝えいたします」
深く礼をするマクラーレン伯爵家の者を見送って玄関ホールの扉を閉める。
体調が悪いなら仕方ない、チャリティーイベントは一人で行こう。
***
「で、何故ジンがここに?」
「そりゃアレだよ、ナタリーに頼まれたんだ」
「ナタリーが?嘘でしょ」
レズリー孤児院の庭で催されているチャリティーイベント、一人で馬車に乗ってきて受付の順番待ちをしていた私は何故かいるジンに心臓が飛び出そうになった。
「私はあなたと外に出ちゃダメって約束をしたはずなんだけど」
「勿論覚えてるさ。でもナタリーがあんまりにもイヴを心配するもんだから俺も居ても立っても居られなくて」
「絶対嘘、有り得ない」
外に出てしまったものは仕方がない。出来るだけ目立たないようにやり過ごしてもらって、今日はさっさと帰ろう。
「あんまり話しかけないでね。他の人への説明が面倒だから」
「つれないねぇ、この間は俺の汗も厭わず聖母のように頭を抱き寄せてくれて、あいたっ!」
「黙って。あ、レズリー院長が来てくれたみたい」
誤解を生みそうなことを口走るジンの足をヒールで踏みつけていると、主催のレズリー院長が私たちのところまで来てくれた。
「イヴ様、本日はお忙しい中お時間をいただきありがとうございます。私はこの孤児院の院長、クリス・レズリーと申します」
「レズリー院長、今日は招待してくれてありがとう」
「庭では子どもたちの作った小物を、ホールでは絵画などの作品を販売しています是非ご覧くださいませ」
長い白髪と痩せ型の体型が特徴的なレズリー院長は、むせかえるような香水の匂いを振り撒きながらまた次の招待客のもとへと挨拶に向かった。
庭に展示されているカラフルな小物に前衛的な絵画、受付を終えたらゆっくりと見せてもらおう。
「すごく個性的な人。嗅いだことがない匂いの香水だし、こだわりがあるって感じね。よく見たら子どもたちの作品も独創的だし」
「個性的っていうか……あれ、イヴ。あの子どもって」
何かを言いかけたジンだったが、ふと庭の門の陰に気になるものを見つけたらしい。
つられて目線を向けると、小柄な金髪の女の子が隠れていた。
「孤児院の子、だよな?今日って孤児院の子はみんな講堂に集まってるんじゃなかったっけ」
「そのはずだけど……ねぇあなた、何をしてるの?」
怖がらせないように遠くから声をかけようとすると、女の子は肩を跳ね上げて勢いよく駆け出した。
「あ、ちょっと!」
今日は招待客の馬車が沢山走っているから、あんな小さな子どもが走り回っていたら危ない。
まだ挨拶をしただけで数分しか滞在していないけど、今あの子を追いかけなかったら何故か私は後悔する気がした。
「ジン、帰っていい?」
「いいと思うよ。俺もなんかあの子のこと気になるし」
「それじゃあ先にあの子のこと追いかけてくれる?私、今日こんな靴だから走れないの」
「はいよ。俺が誘拐犯だって疑われたらちゃんと無実だって証明してくれよ」
女の子を追いかけるように走り出したジンを見送って、私も二人を追いかける。幸いなことに孤児院の関係者は私たちには気づいていない。まだ受付もしてないけど、誰も私たちのことなんて気にしていないんだから許してほしい。
歩きにくい足で出来るだけ早く歩くと、曲がり角を曲がった突き当たりでジンが工場の柵を乗り越えようとしている女の子の首根っこを掴んでいた。
「離して!やめて離して!」
「ちょっと、早く来てくれよイヴ。俺官憲呼ばれたら困るんだよ」
「それは私も一緒だから安心して」
くるくるとカールした透き通った金髪に綺麗な青い瞳の整った顔立ちの女の子は就学前の幼児ほどの見た目をしている。やはり孤児院の子どもなのだろうか。
「私はイヴ、クローデット辺境伯の跡継ぎなの。あなた、なんであの場から逃げ出したの?」
「関係ないでしょ。ほっといて!」
「こら、あんまり暴れないでくれよ」
しっかりした受け答えは見た目に反して随分と大人びている。もしかすると栄養状態が悪いから未就学児並みに小柄なだけで、実年齢はもう少し上なのかもしれない。
「そっか、確かに関係ないわね。じゃあ大人としてあなたを保護者のところまで送りとどけてもいい?」
「あたしに保護者なんていないわ!孤児なの、見たらわかるでしょ。わざわざ追いかけて捕まえて何のつもり?」
「孤児だったらレズリー孤児院まで送ろうと思ったの。子ども一人で生活するなんて大変だと思って」
レズリーの名を聞いた途端雪のように真っ白な肌がサッと青くなる。やはり、とジンを見ると同じことを考えていたのか、暴れるのをやめた女の子を地面に下ろした。
「孤児院には戻りたいくない……ってことであってる?」
屈んで女の子に目を合わせる。彼女は私とジンを交互に見つめると、やがて小さく頷いた。
「わかった。孤児院には戻らなくていい。その代わり何があったのか教えてくれる?」
「……わかった」
「ありがとう。まずはあなたの名前を教えて?」
「あたしはエマ、六歳」
「エマ、よろしくね」
怖がらせないように、味方であると思ってもらえるような笑顔を浮かべる。流石にすぐには心を開いてもらえないだろうけど、子どもといえど誠意は見せるべきだと思ったからだ。
エマは私の首あたりを見つめて、小さく口を開く。
「あのねイヴ。あたし……えっと」
「うん、うん」
「みんな絵を描いて、レズリーに渡して……でもあたしは」
辿々しくも確かに紡がれる言葉に静かに耳を傾ける。話を整理するのはあとでいい。今はとにかく彼女の伝えたいことを聞かなければ。
「あたしは嫌だったの。でも言うとおりにしなきゃご飯をくれないから、だからえっと、あの、逃げなきゃって思って」
「うん、嫌だったんだね」
そうしてポツリとこぼれ落ちた言葉に、私とジンは息を呑んだ。
「そう、だってあの絵は全部悪い人のお金になるから」
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