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第十五話 バトラー侯爵の恋煩い

エドワード視点です。

 バトラー侯爵領の第二の都市、古都リベイラ。辺境と首都の間に位置し、工業都市として経済発展を続けるバトラー領第一の都市セレスに負けず劣らずの人気と知名度を誇るノードの真珠。

 古い建物が残るわが国随一の美しい街並みを山の上の城から見下ろして、僕は勢いよくカーテンを閉めた。



「エドワード様、クローデットの円卓会議の記事を読まれましたかな」

「読んだ。満場一致で可決されたらしいじゃないか」

「じいは驚きましたよ。幼い頃はエドワード様の後ろに隠れていたイヴ様が、まさか狸親父相手に話をまとめるとは」



 コツコツと足音を立てて椅子に深く腰掛ける。

 執務机に広がっているのは『クローデットの円卓会議』の特集を組んだ新聞記事だ。

 

 高級紙の政治面をいつものように捲って驚いたのは今朝のこと。幼馴染のイヴ・クローデットが提言した税制の三改革が、地元有力者の合意を得て実現する見通しが立ったという記事が一面に載っていたのだ。



「僕も驚いたよ、あの子って意外と口達者なんだね。昔は都の意地悪な令嬢たちに言われっぱなしだったのに」



 決してイヴを侮っていたわけではないけど、ここまでのことをいきなり取りまとめたのには舌を巻いた。

 昔はあんなに大人しかったのに大したものだ。


 

「それはエドワード様がきちんと守っておいででしたから、言い返す必要がなかっただけでは?」

「だって腹立つじゃない、僕はイヴがいいって言ってるのに好き勝手に言われたら」

「ほほほ、好きな子にいいところを見せたかっただけでしょう」



 イヴは僕の婚約者だ。まだ正式に話は決まっていないけど、幼い頃からそのつもりで両親は僕たちを頻繁に会わせていたのだ。ほぼ決まりと言っていいだろう。


 今はイヴの気持ちが定まるのを待っている段階。父親の代わりに領主の仕事を行うイヴは、既にその頭角を現しているようだ。



「困りましたねエドワード様。イヴ様が有名になると心配事が増えるでしょう」

「どこぞの馬の骨が近づいてくるんじゃないかってこと?まさか、あの子はそういう匂いには敏感なんだ」

「おや、信頼しておいでで」

「ずっと見てきたからわかる。あの子は人の本音に敏感なんだ」



 イヴは勘が鋭い。人の目線や表情、動きから察することが得意だから、下心のある人間に騙されることはまずないだろう


 それよりも心配なのはあの居候しているアグストリアの隻眼の皇弟だ。



「はぁ……早くあの旅人を追い出してくれないかなぁ」



 脳裏に浮かぶ人を試すような挑発的な表情。恐らくあいつはイヴの判断力を認めたのだろう。だからこそ、自身の身を隠す先としてクローデット邸を選んだのだ。


 

「エドワード様はイヴ様と物理的に距離が近しい人間を警戒されているのですね」

「ああいうやつにイヴが絆されたらと思うと、落ち着いて夜も眠れないよ」

「それならその気持ちを素直に伝えればよいでしょう、なぜ愛していると伝えないのです」



 じいは簡単に考えてるが、言えるはずがないだろう。

 あの子は僕のことを兄のように慕ってくれている。今の関係が壊れる危険性もあるのに事を急くなんて僕にはできない。それなら先に結婚してしまってからゆっくりと関係を進める方がいくらかいい。



「愛してるよ。だから言えないんだ」



 いつから好きだったか、なんて思い出せない。ただ幼かったあの子が心細そうに僕の手を掴んだあのときには、もう手遅れだった気がする。



「恋ですな……坊ちゃん」

「坊ちゃんって言うな」



 懐かしい呼び方をしてくるじいの声には揶揄いの色が見えた。

 

 今までイヴの良さを知っているのは僕だけだった。僕だけがイヴの知っている男だった。夜明けの色の瞳の優しい輝きに見つめられるのは僕だけでよかったのに。


 あの日、厳しい目で自身を睨む僕を見るあの男の見透かしたような眼差しが僕の心を苛立たせて仕方がない。



「もしあいつがイヴに惚れたら?」

「それはイヴ様のお気持ち次第です」



 考えただけで腑が煮えくり返る。イヴが他の男に部屋を貸すのでさえ嫌だったのに、もしもそんなことになろうものなら、僕はイヴの気持ちが追いつくのなんてとてもじゃないけど待ちきれない。さっさと言いくるめて結婚する。



「これ以上考えるのはやめよう、時間の無駄だ。じい、南洋航路経由でこの間輸入したハーブティーを頼んでもいいかい?」

「イヴ様が好んでらっしゃるアレですか」

「そう、見た目によらず強烈な匂いのするアレだよ」



 他で嗅いだことのない強い匂いと独特のスッとする感覚が特徴のハーブティーは、イヴの屋敷で飲んで以来うちでも眠気覚ましに用意してもらっている。

 

 甘そうな見た目から期待される味ではないから決して自分から好んで飲もうとは思わないけど、気分転換にはちょうどいいだろう。



「砂糖はどうされますか」

「多めで頼むよ。糖分が少ないとどうにも気が焦るから」

「では茶菓子も甘いもので揃えましょうか、じい特製の恋煩いプレートを楽しみにお待ちくださいませ」

「じい、うるさい」



 休憩がてら新聞の別のページを捲る。国際面では例のアグストリア帝国の親帝派と議会派が対外政策の方向性で揉めているらしい。


 これがあいつの兄か、歳は離れてるけど兄弟で顔がそっくりじゃないか。如何にも女性に好かれそうな甘い顔立ちが一層胡散臭くて腹立たしい。



「……はぁ、なんでこんなに悩まないといけないんだ」



 イヴが早く頷いてくれたら全て解決する話なのに、なんて器の小さいことを考えてしまう。

 あのときは待つって言っただろうって?それはジュネヴァとかいう男がいなかったからだ。今は状況が違う。

 

 イヴの頼みならいくらでも待てるけど、待てるのは答えがイエスしかないとわかっているからに他ならない。


 だからイヴがイエスと答えない理由になりかねない相手は出来るだけ早く排除したかった。



「イヴ、早く僕のものになっておくれよ」



 イヴの近況を教えてくれた新聞が今だけは煩わしくて、くしゃりと乱雑に畳んで頭を抱える。

 じいは僕のこれを恋だと言うが、恋とはこんなに重苦しく身を苛むものなのだろうか。



「せめてイヴも僕と同じように悩んでくれたらいいのに」



 薄曇りが太陽を隠して部屋の中が帷を下ろしたように暗くなる。

 そうして僕はじいが部屋に戻ってくるまでの間、暗澹たる気持ちのままじっと身動きひとつ取らなかったのだった。

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