第十四話 オールドローズの微笑み
長い髪をナタリーが丁寧に結ってくれる。薔薇の匂いの香油はナタリーのこだわりで、柔らかくも高貴な香りは髪が揺れるたびにふんわりと辺りに漂う。
「いつもありがとうナタリー、いつもこんなに凝ってもらって申し訳ないくらい」
「いえいえ、お嬢様のお髪は美しいオールドローズですからアレンジするのも楽しいんですよ」
「そんな良いように言ってくれるのなんてあなたとエドワードくらいなものだけどね」
赤っぽい茶髪を随分とロマンチックに例えたものだと身内贔屓の激しい二人に関心しつつ、完成した髪を見て感嘆の息を溢した。
「あぁ、なんてよくお似合いなんでしょう。ジンが見たら思わず口説いてしまうに違いありません」
「ジンは多分そこまで見境なしの女好きじゃないと思うんだけど。軽いだけで」
「お嬢様は相変わらず自己評価が低いですね」
別に私はそこまで自分を卑下しているわけじゃない。これだけ手をかけてもらっているのだからそれなりに見れる容姿にはなっているだろうし、両親だって顔立ちは整っている。
ただ謙遜する癖はどうにも抜けないのだ。エドワードと親しくしていると私の容姿に対する評価はどうしても厳しくなるし、それなら最初から自分でそう振る舞っていた方が対処が楽だから。
「他所のご令嬢の妬み嫉みなんて気になさっていないでしょうに、謙遜などする必要がありますか」
「それはそうだけど気後れしちゃうの。普段はナタリーの言う通り見た目のことなんて全然気にしてないのに、エドワードといると……いや、エドワードのせいにしちゃいけないのはわかってるんだけど」
「はいはい、言いたいことは伝わりましたよ」
うまく言葉にできないけど、このモヤモヤは私の人生にずっと付き纏ってる気がする。最近は慌ただしくて忘れがちだったけど。
エドワードの容姿に釣り合っているのか、私の教養はエドワードの役に立つレベルなのか、きっとエドワードと結婚するとずっとこんなことばかり考えてしまう。
だから私は時間がほしかった。領主としてエドワードに引けを取らない自分になって、自信を持って婚約に臨みたいから。
「だからこそ、私はジンを警戒しているんですが」
「え?何か言った?」
「いえ何も。さて、そろそろお庭に行きましょうか。お嬢様お気に入りのハーブティーも用意してありますよ」
小さな声でナタリーが何を言ったのかは気になったけど、テキパキと動き回るナタリーに深くは追求できなかった。
「良いお天気、絶好のお茶会日和って感じ」
「春らしい陽気でよろしいですね」
白い扉を開けて庭園に出る。しっとりと輝く若葉の匂いをいっぱいに吸い込んで一歩踏み出すと、爽やかな空気が私を包み込んだ。
花々が咲き乱れる庭園、その中に用意された小さな椅子には既に先客がいた。
「あら、今日はジンも一緒なの?」
「ナタリーに頼んだんだよ、俺もこのお茶が気に入ったからさ。ほら、どうぞ」
道理でナタリーがジンの話をしていたわけだ。
椅子を引いてくれたジンにお礼を言おうと顔を上げると、ジンは私の髪を物珍しそうにまじまじと見つめていた。
「どうしたの、そんなに見て。何かついてた?」
「いや、その髪型大したもんだなぁと思ってさ。こうやって編み込まれてたら本物の薔薇みたいに見えるから驚いたよ」
「ナタリーはすごいでしょ。魔法使いみたいなの」
「ナタリーがすごいのは同意するけど、あんたの髪が綺麗だから似合うんだよ」
またまたご冗談を、と軽口に軽口で返そうとして、私を見るヘーゼルの瞳が思ったより真剣で思わず閉口した。
「なんだよ、いつもみたいにあしらわないの?」
「な、なんて返したらいいのかわからなかったの。いつもはもっと軽い感じなのに、あなたに真剣に褒められたのは初めてな気がして」
「失礼な。俺はいつだって真剣なのに」
何で急に固まってしまったのか自分でもわからない。お世辞を言われるのはいつものことなのに、いつもと場所が違うから?
「俺は別にナタリーが思ってるほど軟派じゃないからね。見た目はそりゃ母親譲りの男前だけど、こんな中途半端な難しい立場の人間に近づく令嬢なんていなかったし」
「別に軟派だと思ってるわけじゃないんだけど、その……」
「大体母親がそれで苦労してんのに遊びなんてするわけがないだろ」
「わかってる、わかってるんだけど、エドワードとか家族以外の男性に褒められたことがなかったから恥ずかしいの!」
今までのジンの褒め言葉は全部会話の緩衝材みたいなものだった。だから平気であしらえたし真に受けたりしなかった。
でも今のはそれとは違ったのだ。お世辞であることには違いないけど今まで程は軽くない。
口籠る私を前に、ふぅんとジンは口角を上げた。
「あんたも娘らしい所があるんだな。安心したよ」
「悪い?お生憎様男性とは縁のない人生だったの」
「いいんじゃないか、そういう面を見せたって。領主の仕事をしてるからってずっと領主でいないといけないわけでもないだろ」
それはそうだけど、などともごもご口を動かしながらお茶に口をつける。独特の風味は今回ばかりは気を紛らわせてはくれなくて、私は赤くなった顔を冷ますように手で頬を扇いだ。
「これ以上言うとイヴが茹で上がりそうだからやめとくよ。ナタリーにしばかれる」
「是非そうしてちょうだい。せっかくのお茶会なんだからお茶を楽しまないと」
「それもそうだ。冷めないうちに頂かないとね」
ほろほろと柔らかく崩れていくクッキーの甘さが舌に残る。これ以上何かを話すとまた同じことの繰り返しになりそうで、私は只管にお茶菓子とお茶を交互に口に詰め込んだ。
「……美味しい」
「うん、美味しいね」
そんな会話でさえない感想を言い合ってまた沈黙する。遠くで響く鳥の囀りと風に揺れる木々の音だけがこの空間に流れている。
ナタリーでも誰でもいいから、私たちの間に入ってくれないだろうか。お茶がなくなるまでの時間が永遠のように感じられてしまう。
自分だけがこんなに気まずい思いをしているのが悔しくてちらりとジンを見ると、ジンは妙に様になっているポーズでのんびりお茶の匂いを燻らせていた。
「……腹立つ」
「え?」
「ううん、なんでもない」
ざわざわと吹き抜ける風に揺られて薔薇の花弁が一枚はらりと舞い落ちていった。
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