第十二話 社会連帯
「明細書を全ての労働者に?」
「そう、収入とそこから差し引きされる税金とかの控除額の明細書ね。それを元に労働者には収入の申告をしてもらい、そこから税額を確定させるの。天引きした税金の金額がわからないと、納税した実感が湧かないでしょう」
「それはそうですが……」
流石にこの提案には難色を示す経営者はジェファーソンを含め多くいた。今までの給与支払い報告は経営者の算定がそのまま税吏に受理されたから、色々と誤魔化しが効いたのだ。
「お言葉ですがお嬢様、毎月その業務をするのは困難です」
「一年に一度だけやっていたことを毎月でしょう、いくらなんでもそれは」
「我々個人の申告もせねばならないのでしょう?」
業務量がどうだこうだと並べ立ててはいるが、正しい情報を公開したくないというのが本音だろう。虚偽の申告をして余分に重い税を払わされていたと労働者にバレたら自分の身が危ういから。
さて、ここからが正念場だ。ここからの交渉に今後の財政がかかっている。
私は少し眉を下げると、敢えて弱々しい声を出した。
「そう、やっぱり難しいってことね……」
「わかっていただけますか」
「でも困ったことに、国は医療費補助用の税金は事業者が半分負担する方針を定めてるの」
「なんと!何故我々がそんな負担をせねばならんのです」
私の弱々しい声に勝機を見出したジェファーソンだったが、まさかの国の方針に声を裏返らせた。
「社会に生きる人間として助け合わないといけないから。それ以上の理由がある?」
「それだけの理由で負担させられるなんて納得できませんよ」
「ジェファーソン、今は私たちは上の立場で議論できる側にいるけど今後の情勢の中でどうなるかはわからないでしょ。そうなったら他の人の助けがないと生きていけない。今の立場だって決して自分一人の力で成り立ってるわけじゃない」
「そうなったら自己責任でしょう。私は勝手に野垂れ死ます」
やはり手強い。手強いが、最初はジェファーソンに同調していた経営者も一部はジェファーソンに同意しかねる部分があるのか反論の声が上がった。
「野垂れ死ぬ?とんでもない、私には家族がいる。愛する娘や孫が路頭に迷ったらどうするんだ」
「ジェファーソン落ち着け。みっともないぞ」
「ああ、失礼……しかしお嬢様、一方的に負担が増えるのは承服しかねますよ」
語気が強くなっていたジェファーソンだったが、咎める声に少し勢いが弱まる。
畳み掛けたらどうにか丸めこめるかもしれない。
「勿論負担が増えた分は経費として計上できると聞いているから、そこは安心して。もっとも正確な額を明細に記載できないなら、経費として控除できるかどうかはわからないけど」
要は彼らが反対する理由は、過大申告された労働者の収入に対する税金を折半するのが嫌だというだけのことなのだ。最初から素直に正しい収入を申告していれば、安月給の労働者の税金を半分負担したところで大した額にはならない。
自分が支払いたくない額の税を不当に労働者に強いていたなんて、どの口が損得を語っているのだろう。
「みなさん、我々は一人では生きていけない。この国を守ってきた先人とこれからを支えてくれる子どもたち、それに働いてくれる人々。誰一人として欠けてはいけない。私たちは互いに互いを助け合い連帯することで発展してきたの。そしてこの改革はその新しい段階、私たちは時代の転換点にいる自覚を持たないといけない」
「お嬢様……」
「身分や職業に関係なく、これからはみんなが共に救い合う意識を持たなければならない。私はあなたたちに、その先駆けとなってほしい」
思わず熱くなって最後は感情論になってしまった。でも後悔はしていない。どんな理屈を並べ立てても、結局最後に心に訴えかけるのは良心なのだから。
「連帯、か」
ジェファーソンが苦しそうにそう呟いたきり、部屋に沈黙が落ちる。
全員迷っているのだろう。ここから各人がどんな結論を出すのかは本人の心次第だが、迷う状況に持ち込めたのは大きな成果だ。現在の私の実力を思えば勝利に近い。
どんな結論だろうと考えを改めるつもりはない。いつか誰かがやるであろうことだから。でも出来るのなら敵は増やしたくなかった。
そうして永遠にも感じるような時が流れて、スミス殿が小さく口を開いた。
「……素晴らしい」
ガタンと音を立てて椅子から立ち上がったスミス殿は、私に頷いて拳を握りしめた。
「お嬢様、非常に感銘を受けましたぞ。お嬢様の改革、我が社は協力いたします」
ジェファーソンはスミス殿を苦々しげにちらりと見上げる。
「弊社も賛成です。自らの利益だけを追求するのは三流のすること、これからは社会に利する者が一流の時代です」
「私もお嬢様に従います。そのようなお考えを前に反対だなんてさもしいこと言えませぬ」
有り難いことにスミス殿に続いてくれる人も次々に現れた。まだ半分ほどは沈黙を貫いているが、かなり揺れているのだろう。
「ありがとう、とても嬉しい。もし今までの申告内容に誤りがあったとしたも、今年一年の分なら移行期間として大目に見る予定だから安心してね」
「それはそれは、ありがとうございます」
私がスミス殿たちに言った言葉に何人かの目が揺らいだのがわかった。
そうしてしばらくの葛藤の後、重苦しい溜め息が聞こえてきた。
「わかりました、私も応じましょう」
「ジェファーソン、いいのか」
「私だって馬鹿じゃない。昨今の情勢を鑑みればお嬢様のお考え通りにすることは国力の増強につながる。目先の利益だけ考えてはいられまい」
「ジェファーソン殿がそう言うのであれば、こちらも」
そうして次々に声が上がって、とうとう全員の答えが出揃った。
改めて全員で席について問いかける。
「それではみなさん、税目の細分化、源泉徴収・特別徴収の導入、税申告の導入を三つの柱とする税制の三改革についてご賛成いただけますでしょうか。賛成の方は挙手をお願いします」
その言葉に、ずっと筆を走らせていたジンが久々に顔を上げた。ヘーゼルの瞳が円卓の人々を捉えて、ニヤリと口角が上がる。
「ありがとうございます。それでは皆様、今後もご協力のほどよろしくお願いいたします」
その日の議事録の最後には、こう書かれていた。
『満場一致、可決』
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