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8. 少女、揶揄われる

 数刻後、小夜と弓彦の奮闘の結果、食台の上にいくつかの品が並べられた。卓についているのは暁と小夜の二人だけ。弓彦は盛り付けの手伝いをしたあと、気づけばいつの間にか消えていた。


「あの……食べてみて。あんまり上手く出来ていないかも、しれないけど」

「楽しみだな」


 もじもじと不安そうな視線が暁に向けられる。何度か失敗した後、ようやく出来上がったものを味見したときはとんでもなく美味しいと思ったが、それは自分が作りたての温かい食べ物に慣れてないからそう感じただけなのではないか。

 

 緊張で拳を胸の前で握ると、ぴりっとした指先の痛みが肌を刺す。慣れない包丁で何度か切ってしまったのだった。

 

 包帯に血が滲んだことに気づいて、慌てて背に隠す。これから食事を摂る相手の前で、血など見せたくはなかった。


「いただきます」


 暁は手を合わせて、美しい所作で箸を運んだ。流石は神といったところか、思わず見惚れてしまうほどだった。


 暁が食事するのをまじまじと見ながら、小夜は苦労と達成感により補正がかかってしまっていた可能性のある味見の記憶を思い出す。

 

 水気で柔らかすぎる米は底の面を焦がしてしまっていたし、吸い物の豆腐は断面の角が欠けてぼろぼろだ。

 魚も焼き加減が難しく、炭のようになった部分を取り除いたら一回り小さくなってしまった。唯一野菜と芋の煮付けは完璧だと思ったが、暁の好みに合うとは限らない。

 

 それぞれの品に手を付けた暁は、一度湯呑みの茶で喉を潤し、息をつく。


「とても美味しいよ、小夜」


 お世辞かもしれない。いや、お世辞に違いない。

 それでも初めて作った食事を美味しいと言ってもらえるのは、嬉しかった。喜びで小夜の白い頬が林檎のように染まる。


「特にこの煮付けは気に入ったよ。小夜も食べるといい。温かいうちにね」

「あ、ありがとう」


 一番自信のあった煮付けを褒められて胸を撫で下ろす。


 それに、小夜まで食べても良いと許しが出るなんて思ってもみなかった。残り物を食べさせてもらえるだけで御の字と思っていたのに「温かいうちに」なんて、今まで言われたことなどない。暁はやはり優しいのかもしれない、と思う。

 

 小夜が自分の分も器によそい、炊事場に併設された食台につくと「いただきます」と手を合わせる。


 そのまま食べ始めた彼女を、暁は驚いた面持ちで見た。


「何故そっちに行くの。一緒に食べよう? ここで」

「え、でも……良いの?」

「良いも何も」


 びっくりして思わず米が気管に入りそうだった。

 小夜は困惑していた。当たり前のように、別で食事を摂るものだと思っていたからだ。

 

 今まで村長邸で彼らと同じ卓につき同じものを食べさせてもらったのは、あの忌まわしき十六の誕生日の日だけだった。


 暁に手招きされるがまま、自分の椀を彼のものの向かいに置く。互いに向き合うような形になり、目が合った。

 

 夜、室内の灯りが照らす朝焼けの瞳は、橙色が強い。何となく居心地が悪くなりそうで、小夜はさりげなく視線を卓に戻し、再び食べ始める。

 

 量を食べ慣れていないこともあり、ゆっくりと咀嚼する小夜を、先に食べ終えた暁は頬杖(ほおづえ)をついて見つめる。興味深そうな彼の視線が、落ち着かなかった。


「あんまり、見ないで」

「何故?」


 何故、食事している姿を彼に見られたくないのか。

 尋ねられるとよく分からなかった。暁はなんだか、揶揄(からか)うような意地の悪い笑い方をしているような気がする。


「わ、分かんないけど、とにかく!」

「はは、ごめんって。私のことは気にしないでお食べ」


 正面からの視線は気にしないようにして、何とか小夜は食べ終える。落として割らないように気をつけながら(実は盛り付けの時に皿を二枚ほど割ってしまった)、水道の前に二人分の器を運び、一度食台に戻った。

 

 やはりところどころ不出来な部分もあったが、小夜にとってはご馳走だった。そのご馳走は、自分が作ったのだ。そんな達成感が胸を満たす。


(これで少しは、ここに居ても良い理由になるかな?)

 

 頬杖を突き続けている、正面の美しい男を見上げる。


「暁。これからも弓彦に教えてもらってもいい? これからも、暁のご飯……作っても、良い?」

「もちろん。楽しみにしているよ」


 さらり、と彼の銀髪が揺れた。


「小夜、手を見せて」

「手?」


 彼の声は、頭の中を直接撫でるように柔らかい。

 

 しかし、手を見せろとは。包丁で指を怪我をしていたことには気づかれていたのか。

 

 傷口の部分は弓彦に包帯を巻いてもらっていた。当初は自分でやろうとしたものの、片手で巻こうとするとぐるぐる膨れ、酷い見た目になってしまったからだった。

 

 弓彦の指南中、暁は不在だったとはいえ、彼は神なのだ。とんでもなく小夜が失敗しまくっていたことも、知っている可能性はある。


(怪我した手で料理なんて……汚いって、思ったかな)


 俯いて手を差し出す。不衛生だ、なんて不快に思われていたらどうしよう。指先を見せながら、どんどん不安になってきた。


 暁は何故か、何も言わずに包帯を解いていく。

 

 沈黙に耐えきれずちらりと様子を伺うと、彼に掴まれている自分の手に既視感を覚えた。


 すると暁は、傷が深かったため、まだ少し血の滲んでいる指先に口を寄せる。


(──か、噛まれる……!?)


 かつての記憶が脳裏に蘇り、小夜がばっと勢いよく手を引くと、暁はすぐに手を離してくれた。


「あ、違う違う! もう噛まないって言ったでしょう」

 

 小夜が震えているのを見て、暁は両の手を大袈裟に振って否定した。確かに彼はあの後、もう噛まないと約束してくれた。小夜が過敏になりすぎていたようだ。


「小夜、こちら寄って。治してあげる」


 暁は胡座をかくように座り、自らの膝をぽんぽんと叩く。


(治療なんて、弓彦がしてくれたので十分だったのに)

 

 そう思いつつも、言われるまま彼のすぐそばに寄る。

 

 するといきなり身体が軽く持ち上げられ、暁の脚の中に横向きに座らせられてしまった。

 すぐ近くにある彼の胸板に驚いて、思わず肩が縮こまってしまう。


「あ、暁?! 何、急に」

「この方がやりやすいからね」


 耳に息がかかりそうなほど、近い距離。

 

 胸の鼓動が速まり、ただ困惑する。再び傷ついた指先が、彼の手に取られた。もう噛まれるとは思っていないが、何をされるのだろう。


 じっと見ていると、彼は再び指先に顔を寄せ……傷に口付けた。


「なっ……! き、汚いよ」


 手を引こうとした小夜を、暁は今度は逃さなかった。小夜の声に構わず、暁は全ての傷にひたすらそっと口を付け続ける。

 

 指先から、痛みが引いていくのを感じた。見ると、先ほどまで血が滲んでいたはずのそこはすっかり、元通りの白さになっていたのだ。


「えっ、え?」


 混乱する頭が、また噛まれたときの記憶をひっぱりだしてきた。確かあの時も、噛み傷に口付けられて肌が元通りになったのだった。

 神である暁は、はこうやって傷を治すことが出来るのだ、と理解した。

 

 そう、もう切り傷は治った。

 だというのに、どうしてか彼は唇を寄せることを止めない。


「ちょっと、暁……! もう治った、治ったから!」

「ふふ、まだ治ってないかもしれないよ?」


 ちゅ、ちゅ、と暁はわざとらしい音を立てる。

 既に癒えた場所に、彼は不要なはずの柔らかい感触を与え続けていた。


 いくら一般常識に疎い小夜でも、口付けくらい分かる。それは、好きあった者や夫婦同士が愛情表現に行うものであるはずだ。


 おろおろと視線を彷徨わせていると、ざらりとした感触が肌を撫でた。


「ひゃっ……!」


 見ると、赤くて長い舌が指を這っていた。さらに舐めるに留まらず、ところどころ指が舌で吸われ始める。

 聞こえていた音も、じゅっ、じゅっと変わっていた。


(何、なんで……!?)

 

 脳の理解が追い付かない。どうすれば良いか分からなくて、逃げたくて、小夜は堪えるように目を瞑る。


 すると一拍か二拍おいて、湿っぽかった音が止んだ。そうっと瞼を開くと、小夜のすぐ目の前に暁の端正な顔があった。


「なっ……!」


 至近距離の美貌に、息が止まりそうになる。じっと眼差しを向けていた彼は、思わず仰け反る小夜の反応を見て、目を細めて笑った。

 

「睫毛が震えていたよ」


 くすくすと揶揄うような彼の笑い声は、小夜の顔が茹で上がった蛸のように急速に赤くなるにつれ、愉快だというような大きな笑い声に変わっていった。


「くふふっ……はははは! ごめんね、面白くて」

「お、面白いって!」

「ごめんごめん、可愛くて、の間違いだったよ。ふ、ふふふ……」


(こんなに笑いながら可愛いなんて言われても、嬉しくない!)

 

 小夜は頬を膨らませた。

 眉を釣り上げてみても彼女の潤んだ目に迫力は一切無く、膨らんだ頬を突いてまた暁は笑った。


 ひとしきり笑い終えた暁は、揶揄われて拗ねている小夜の頭をよしよしと撫でる。

 小夜は頬を膨らませて言った。


「それで機嫌を取ってるつもりなの?」

「違う。それに、可愛いと言ったのは本心だよ」


 冗談のような響きが消え、少し声が低くなる。


「ねぇ小夜」


 それは諌めるような、困ったような、それでいてじっとりと湿度を孕んだような色をしていた。


「嫌なら嫌と言わなければいけないからね。決して……あんなふうに震えながら、目を瞑ってはいけないよ」


 背けていた顔を上げて腕の中から暁を見つめる。その口元は微笑んでいるものの、彼の感情は全く読めなかった。

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